2020.03.17 Tuesday
「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎の信仰と絵」についてのまとめを行います。葛飾北斎は国際的な名声を得た日本の画家として有名ですが、自らの画業を完成させるため、長く生きることに執着したことでも知られています。私が羨望の眼差しで葛飾北斎を見ているのは、独特な世界感や卓抜した表現力もそうですが、長い生涯を画業で全う出来たことによります。そんな北斎は仏教的解脱から遠い存在のように思われていて、生涯を紐解くと絵画に賭ける生々しさが伝わってきます。本当のところは果たしてどうなのか、本章はそこを探っていきます。「彼の友人の滝沢馬琴が、北斎の母の年忌に際し、彼の困窮を見かねて香典を包んだ。その日の夕方、北斎は馬琴のところへ来て談笑するうち、懐から紙を出し鼻をかんで投げ出した。馬琴がそれを見ると朝与えた香典の包みである。馬琴は大いにおこって、中の金は仏事に使わず他のことに使ってしまったにちがいない、親不孝な奴め、とののしると、北斎答えて曰く、たしかに、いただいた金は自分の口中にしてしまった。精進物を供え、僧を雇って読経させるようなことは世俗の虚礼である。父母の遺体はすなわち自分の一身なのだから、自分の体を養い、100歳までの寿命を保つのが親孝行ということにならないだろうか…」(飯島虚心『葛飾北斎伝』)これでは北斎は不信心だったと思われても不思議はないのですが、こんな一文もありました。北斎は「妙見(妙見菩薩・北辰菩薩)を信仰した。妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化したもので、延命、除災、とくに眼の病を救う守護神として平安時代から信仰されていた。~略~彼の号戴斗は、妙見信仰からきたものである。~略~このような北斎の信仰は、呪術に頼って除魔・除災といった現世利益を得ようとする江戸時代庶民の宗教感情を如実に反映したもの」ということで、北斎の信仰はなかなか独創的でもあったようです。北斎の肉筆画「西瓜図」には包丁が描かれていて、包丁についた白い点々がゴミではなく北斗七星であることも北斎の信仰を物語るものとして知られているようです。「西瓜図」は何とリアルで美味しそうに見えることか、改めて彼の画力に驚いてしまいます。
2020.03.16 Monday
昼間は公務員管理職として来年度人事に取り組んでいます。この時期が一番骨の折れる時期です。全職員の配置を考えながら、さらに組織の活性化を目指し、仕事がやり易くコミュニケーションがスムーズにいく職場環境を作ろうと私は朝から夕方まで悩んでいるのです。これが私の仕事と言えばそれまでですが、理想的な体制がなかなか組めず、ちょっとした休憩時間には、気分転換のために現実離れしたコトバで遊んでいます。まさにコトバによる現実逃避です。詩らしきものが生まれる時は、こんな時もあるのかなぁと思っていますが、どうでしょうか。造形による創作活動も、全て満たされたバランスの良い生活では緊張感のある作品は生まれないのではないかと思っています。気持ちのどこかに欠如したものがあって、それを補おうと必死に何かを作り上げる行為が、素晴らしい作品を生むと私は考えています。コトバも同じかなぁと思っていて、自分の魂が自分の身体を抜けて上空から私を眺めている場面を想像してコトバを紡ぎました。ついさっきまで頑張っていた私は抜殻になり、その頑張っていた気配だけがあって、上空にいる私はそれを優しく評価しているのです。また梱包された書類の束を見て、これは意味を失った抽象に過ぎないと私は思っていて、私がやろうとしている仕事は、梱包されたことによってアートになってしまったと、怠け者の私は頷いてみせたり、ふと窓の外の春めく風景を眺めて、萌え立つ新緑に自然の蘇生力を見取ったりしていました。おぉ、自然の蘇生力とは何と素直で朴訥なコトバだなぁと思いましたが、春の暖かさとぽっかり浮かんだ雲を見て、そこに捻りを加えることなど出来ないと感じていました。つまり現実逃避は創作活動の第一歩であると言い訳をして、そろそろ休憩時間を終えて真面目な仕事に戻らなければとならないと自分に言い聞かせました。
2020.03.15 Sunday
昨日は6人で砂マチエールの貼り付け作業を行いました。今日は引き続き新作屏風の油絵の具塗装作業を行うことにしました。今日のスタッフは一人だけでしたが、彼女は染めをやっているアーティストで、作業に対する手際が良く、私の作品に昔から関わりを持ってくれています。砂マチエールは完全に乾いていない状態でしたが、油絵の具にも硬化剤が入っているため、全体に滲みこませる作業に入りました。今日のところは一層目の下地を塗る作業だけにして一旦終えることにしました。新作の屏風の下地はグレートーンの淡い色彩にしました。砂マチエールを貼るため6枚の厚板は作業台に乗せていましたが、下地を塗装した後で厚板全てをビニールシートを敷いた床に移しました。二層目の塗装からは刷毛によるものではなく、油絵の具を上部から垂らす行為に変えるのです。油絵の具塗装作業での描写行為は行ないません。偶然に飛び散った色彩を次から次へと上乗せしていく方法を取ります。点描のような状況が微妙な雰囲気を醸し出して、そこに自らのイメージと合致させようとしています。今月中に何層も油絵の具を撒き散らして、当初のイメージに近づけていきたいと考えています。今月はウィークディの仕事も厳しい局面を迎えていますが、創作活動も佳境を迎え、いろいろな意味で精魂を傾けているなぁと感じます。夕方3時半ごろ疲労を感じ、自宅に戻りましたが、手伝ってくれたスタッフは自らの作品を作っていて、もう少し作業を続けたいと言っていました。彼女から連絡があったのは5時半頃でした。新型コロナウイルスのこともあって、彼女を車で家の近くまで送りました。公共交通機関を使ってスタッフが工房にやってくると、帰路は私が車で送る手段を取っています。それはウィークディも同じです。私が仕事から帰っても工房に明かりが灯っていると、私は工房に顔を出し、スタッフを車で送ることをしています。床に置いた厚板は暫く乾かすことにしました。
2020.03.14 Saturday
今日は若いスタッフ4人、家内と私の合計6人を工房に集めました。スタッフは10代から20代の女性たちで、美術に関係した人ばかりです。今月の制作目標として一番に掲げているのが、砂マチエールの貼り付け作業で、新作ではここが見せ場になるところなのです。新作は屏風とその前の床を使って、陶彫部品を複数組み合わせ、自らの世界観を創出させます。言うなれば集合彫刻ですが、これは私のデビュー以来ずっと続けてきた表現方法で、その年によってテーブル彫刻であったり、塔であったり、また今回のような屏風であったりしています。今回の屏風は荒廃し風化した架空都市をイメージしていますが、抽象化を進めているため、観る人によってさまざまな解釈があってもいいと思っています。屏風は6枚の厚板を蝶番で繋げる計画で、その1枚1枚には格子模様を刳り貫いてあります。その単なる木材の状態をイメージ通りにするには画面全てに砂マチエールを貼り付けて、そこに油絵の具を滲みこませていかなければならないなぁと考えていて、砂マチエールと硬化剤を大量に画材店から購入していたのです。作業として大変なのは砂マチエールの貼り付け作業で、私一人ではどうにもならず、普段から工房に関わりのある人たちに声をかけていました。6人がかりで作業を進めたので、今日一日で砂マチエール貼り付け作業は無事終わりました。朝10時から夕方4時まで、昼食を除いて継続で作業をやっていました。作業をしてくれた人たちに感謝申し上げます。全員がボランティアですが、工房を使用している関係者ばかりなので、私としては気兼ねなく仕事をお願いできたわけです。一日乾かして、明日は油絵の具の塗装作業に入ります。手伝いスタッフは1人だけになりますが、ほとんど私だけでできる作業なので、明日以降も頑張っていこうと思っています。
2020.03.13 Friday
今日、東京神田の文房堂から砂マチエール200mlを18本、硬化剤200mlを30本、合計48本が職場に届きました。自宅は不在にしていることが多いので職場に搬入してもらいました。今日は家内が自宅にいたようですが、職場の方が分かり易いこともあって、外商部の女性社員に伝えてあったのでした。文房堂の砂マチエールは私が陶彫作品でデビューして以来、ずっと愛用しています。砂マチエールも各社のものを使用しましたが、私の作品に合うのは文房堂の砂マチエール(マリーン)かなぁと思っています。東京神田の文房堂は、明治時代からある老舗の画材店で、大学生の頃より利用していました。初めは銅版画をやっている先輩に連れて行ってもらった記憶があります。版画用具の充実さでは他に類を見ないので、版画に興味のある私は今後も文房堂を利用するでしょう。砂マチエールは陶彫作品との相性が良く、砂に油絵の具を浸みこませると陶肌に近くなり、殺伐とした雰囲気を表現するのに最適です。砂マチエールを貼り付け、油絵の具で塗装した画面は、私は平面でありながら立体として意識しています。画面を作っている際に色彩を考えることがあり、そんな意味では絵画性にも拘っていますが、筆による描写はせず、油絵の具を画面に垂らしたり、無作為に散らしたりしています。アメリカ人芸術家J・ポロックのアクションペインティングのような按配ですが、荒廃し風化した世界を具現化するためにやっているのです。毎年のように砂マチエールを使って作品をつくっているので、工房の棚には砂マチエール専用の籠があって、在庫が少なくなると文房堂に注文をしているのです。予定では明日は砂マチエールを貼る作業をやります。明日は頑張ろうと思います。