2020.07.03 Friday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第20章「ポストン」と第21章「マクドゥガル・アレー」のまとめを行います。日系人であったノグチはポストンにある収容所に志願して入りました。「ノグチには第五区第七号A室が割りあてられた。独身者用の区域だったが、他の独身者とは異なり、角部屋の一室をひとりだけで使えた。ノグチはレクリエーション&アートセンター建設のための日干し煉瓦づくり監督を任された。だが、ノグチのポストン・プロジェクトはほとんど実現されなかった。~略~ノグチはコリアーに、自分のプロジェクトのための材料の不足、技能をもつ人材の不足、いまだに立ち退き者のための新聞がないという事実を知らせ、文句を言ってすまないと謝った。」収容所内の管理局との間に窮屈さを感じ、またノグチを取りまく環境は良いとは言えず、ノグチは出所要請を出しました。「軍はようやく1942年11月2日にノグチのポストン出所を許可した。」次の章では1949年までノグチが暮らした街角マクドゥガル・アレーでの制作について書いてありました。「自由になって最初の夏、ノグチは石を彫った。『収容所から出てきたあと、最初の作品は《レダ》だった』。官能的で柔らかな曲線を描くアラバスターの《レダ》は、形態の着想をアルプに得ている。~略~1943年から44年にかけてノグチはバイオモルフィックなマグネサイトの彫刻シリーズを制作し、内側に明かりをともした。」この頃、ノグチはロベルト・マッタの妻アン・マッタ・クラークとロマンスがあったようです。「ノグチとアンの友人たちの何人もが、アンはノグチがほんとうに愛した数少ない女性のひとりだと証言する。~略~友人たちはアンがノグチの孤高に惹かれ、その献身に感謝はしていても愛していなかったと言う。」
2020.07.02 Thursday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第18章「ニューヨーク、1936-39年」と第19章「カリフォルニア」のまとめを行います。時代背景として大戦に向かいつつあるアメリカで、ノグチは同じ境遇の芸術家と親しくなりました。「メキシコから帰国後、ノグチはアーシル・ゴーキーと頻繁に会った。ゴーキーとは1932年にある画廊ではじめて会った、と語っている。~略~どちらも自分が亡命者のように感じていたからだ。どちらもが差別を経験し、どちらもがひとつの異文化に深い愛着を抱いていた。」ノグチは1936年にロックフェラー・センター内にあるAP通信社ビルに設置するレリーフ公募に応募しました。「ノグチによる重さ10トンのAP通信社レリーフには、近代ジャーナリズムのツールーカメラ、電話、ワイヤフォト〔有線電送写真〕、テレタイプ、メモ帳と鉛筆ーを手にする筋骨たくましい記者五名が描かれている。そのスーパーマンのような肉体は、多くの失業した男性が家族を養えず自信を喪失していた大恐慌時代のパブリックアートの多くにみられるヒーロー的な男性の典型である。」APのニュースによると「一日に16時間ー強力な研磨機を手にー二度に分けて仕事をしたために、ノグチの両手はタコができて固くなり、仕事が完了したときに拳を握ることもできない有様だった。」と書かれていました。第19章では真珠湾攻撃のことが書かれています。「ノグチは、日本が奇襲攻撃で真珠湾の戦艦を爆撃したとと告げるアプトン・クローズの声を聞いた。自伝のなかで、ノグチは『パールハーバーはまったくの衝撃であり、すべてのアート活動を背景に押しやった。』と語っている。」ノグチが日系であることで不安に駆られ、いづれ収容所に入るなら、その場所を自ら選択した様子が伺えました。「三月末、西海岸を離れずにいたら収容されるかもしれないという不安から、ノグチは車をロサンジェルスに残し、飛行機でサンフランシスコから東へ、まずニューヨーク、そしてワシントンに飛んだ。~略~ワシントンでノグチは、インディアン問題局の局長で思いやり深く理想主義的なジョン・コリアーと会う。~略~ノグチはコリアーの熱意に伝染し、みずからポストン入所を志願した。」
2020.07.01 Wednesday
7月になりました。新型コロナウイルス感染の影響で、個展があるのか心配していましたが、無事に開催できることになり、今月は15回目の個展を開きます。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると、7月1日は個展の話題がよく謳われています。私にとってはこれは誇りなのです。今年のようにコロナ禍の影響だけでなく、自分が病気もせず、また事故もなく、元気に創作活動をやることが出来た証なので、個展開催は正真正銘の誇りと私は感じているのです。最近は陶彫と闘った週末の夜は、身体が動かず、腰や腕が悲鳴を上げているのではないかと感じることが屡々あります。夜になると今までもこんなに辛かったかなぁと思うこともあり、一昔前とは明らかに体調が変化していることにショックを受けます。ウィークディになれば元気に職場に出かけていくので、疲労は溜め込んでいないと思うところですが、加齢には勝てないのかもしれません。さて、今月は個展搬入までは梱包に明け暮れますが、その後は最新作品に没頭しようと考えています。最新作品の陶彫部品の数は例年になく多い予定なので、早くもペースアップをしていかなくてはなりません。焦らず休まず、地道な制作姿勢を貫く所存でいます。問題なのはRECORDです。今月でどのくらい遅れを取り戻せるでしょうか。一日1点のペースを挽回すべく今月も頑張っていこうと思っています。鑑賞はどのくらい出来るか、コロナ禍の中で自己防衛をしつつ、美術館での気分の高揚を味わいたいと思っています。読書は難解な書籍に引き続き挑みます。こうしてNOTE(ブログ)を綴っていると、私には気楽な要素が少ないと感じます。娯楽が研鑽に近いものと考えているのが私の特徴なのかもしれず、生真面目な性格の反映であろうと思います。適度に休憩を入れながら今月もやっていこうと思います。
2020.06.30 Tuesday
職場が少しずつ正常を取り戻していく中で、やはりコロナ禍の影響はまだ残っています。今月は職場関連の会議が漸く可能になり、外会議も増えてきました。人と人とが顔を合わせて話し合う大切さを改めて感じた1ヶ月になりました。今月の週末は専ら梱包作業ばかりだったと記憶していましたが、母の残した遺産相続に関する書類収集もあって、家内と行政機関に出かける機会もありました。個展出品用に新作の修整をする場面もありました。修整はまだまだ必要で、陶彫部品を箱詰めする際にもやっていこうと思っています。今月は久しぶりに美術の展覧会に出かけました。東京の板橋区立美術館で開催していた「深井隆ー物語の庭ー」展では、やはり実際に作品に接すると、木彫という素材感が直接伝わってきて、快い気分になりました。美術館には足を運んだものの、まだ映画館や劇場には行けないなぁと思っています。創作活動では最新作品の陶彫部品を作り始めました。現在2点が乾燥を待っている状態です。一番困難を感じているのはRECORDです。RECORDの遅れはコロナ禍の影響ではありません。自宅のリフォーム工事があって、ダイニングが使えなかったことが影響をしているのです。葉書サイズの小さな平面作品くらいどこでも制作出来ると思っていたことが、制作場所として食卓を使っていた日常が失われてしまったことで、かなりの遅れを取り戻せていない状況を作ってしまいました。下書きはあるにしても、下書きを描いた日にどうしてこんな世界を創造したのか、当初のイメージが思い出せないのです。ここで制作を止めてしまいたくはないので、何とか頑張っていこうと思っています。読書は彫刻家イサム・ノグチ関連の書籍に加えて、現象学者フッサールの論理学に纏わる難解な書籍を読み始めました。今や読書は私にとって課題解決のための大いなる仕事です。来月もロダンの如き考える人でありたいと思っています。
2020.06.29 Monday
新型コロナウイルス感染の影響で、今年の個展が危ぶまれましたが、何とか例年通りに開催が決まって、私はホッとしているところです。週末は来月19日の搬入日に合わせて、梱包作業に追われています。同時に過日、図録用の写真撮影をしましたが、今日色校正用の原稿が出来上がり、カメラマンが自宅にやってきました。図録は今回で15冊目になります。15年間ずっと同じサイズ、同じ頁数で図録を作ってきました。東京銀座のギャラリーせいほうも、毎年同じ時期に個展を企画していただいているので、ギャラリー年間計画の中で定番になっている感じがいたします。もし、今年東京オリンピック・パラリンピックが開催されていれば、個展がオリパラ開祭式に被ってしまい、どうなっていたのでしょうか。世情とは関係なく、いつも通りというのが私は好きなので、オリパラが延期になった今はこれで良しと思っています。図録は我ながら良い出来栄えではないかと思いました。例年に比べても遜色はありません。新作は屏風の色彩に今までとは異なる感覚を取り入れました。それが工房周囲の樹木の緑色と相俟って心地よい雰囲気を醸し出していると感じました。撮影は野外と室内で行なったので、空間の感じが違っていて、どちらも気に入りました。案内状は1500枚の印刷が終わっています。1000枚はギャラリーせいほうに持参していくつもりです。個展に向けて気持ちを高めていきたいと思っています。