2020.07.18 Saturday
個展の搬入日が明日に迫り、今日はその最終準備とギャラリーせいほうとの事前打ち合わせに東京銀座まで出かけて来ました。今日は家内と車で行きました。例年なら私がリュックサックに図録を100冊ほど入れて担いで行っていたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が高止まりして、「Go Toキャンペーン」のトラベル事業が東京を除外する動きがあるため、私としては公共交通機関を使うのを避けて、車で行くことにしたのでした。明日は数人のスタッフが手伝ってくれるので、明日の昼食をどうしようか考えました。例年、銀座の老舗のレストランに出かけていたのですが、テイクアウトが出来るレストランを探して、弁当を予約してきました。明日はスタッフを乗せて車で出かけ、昼食はギャラリーせいほうの中でとろうと思っています。ギャラリーせいほうは東京銀座の一等地にある画廊にしては広いスペースがあり、ソーシャル・ディスタンスは近隣レストラン以上に確保できるのです。ギャラリーせいほうは彫刻専門と謳っているだけあって、場所は1階にあり搬入搬出が楽に出来ます。いろいろな面を考えたら私にとって最高のギャラリーだと言ってもいいと思っています。今回、たとえ鑑賞者が少なくても、私は休むことなく自分の世界を見つめ続けていたい意向を再確認し、中断することなく個展が開催できることが幸いと考えるようにしました。私の自己満足を満たすだけなのかもしれませんが、私自身の意欲を途切れさせないためにも、彫刻を媒体とする思索と表現活動は続けていきたいのです。私の作品は観る人にサービスを提供しない彫刻だなぁとつくづく思います。明日の搬入は頑張りたいと思います。
2020.07.17 Friday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第28章「ボーリンゲン基金調査旅行」と第29章「先触れの鳩」のまとめを行います。ノグチは創作活動の停滞を打破するため、助成金を得て旅に出ることを決めました。「1940年代後半のノグチの著述は実存の不安に満ちていた。ノグチは空虚を、混沌を、意味の喪失を語った。~略~力を見つけるために、ノグチには彫刻の意味を革新する道を探求する必要があった。」さて、ヨーロッパを皮切りにノグチは各国に旅立ちました。「パリではブランクーシを訪ね、かつての師は恨みがましくなったと感じ、その理由はおそらく戦争中あまりにも孤立していたためだろうと考えた。~略~イタリアでは、つねにアートと生活の結びつきを探求しながら大型彫刻のモニュメントや建築を研究した。」その後、ノグチはギリシャ、エジプトを経てインドに到着しました。「ノグチはインドと恋に落ち、何度も再訪した。目にしたものの多くがそののちの作品に明らかに影響をあたえている。たとえばジャイプールやデリーにある18世紀建造の天文台の日時計、円形の井戸、ドーム、球体、螺旋階段はノグチの彫刻庭園にふたたび登場する。」そして日本へ向かいます。「1931年の日本滞在時には、増大する国粋主義と軍国主義のせいで自分は招かれざる者だと感じた。今回、温かく迎えられたのは驚きだった。~略~日本到着後、東京の大新聞『毎日新聞』が主催する現代アーティストによる『連合展』を見る。ノグチは日本の伝統家屋には合わないであろう西洋風の巨大なキャンバスを嫌った。」ノグチの通訳には画家でもあった長谷川三郎が同伴しました。ノグチと長谷川は議論をしながら仲を深めていきました。「ふたりは近代の西洋美術、日本の現代美術対古美術、禅、茶道、日本文学、アートと生活の関係について語りあった。どちらもが日本の古い文化に敬意を抱いており、どちらもが茶道、生花、日本庭園や日本家屋に具現されているような『全く生活と芸術との互の融合一致』(長谷川)を信じていた。~略~京都到着後、ノグチと長谷川が最初に見学したのは、17世紀の優美な桂離宮、慎ましやかだが美しく均整のとれた建物で、日本でもっともみごとに設計された庭のひとつを見おろす。離宮そのものについてノグチは、離宮はその『理想的な簡潔さ』のなかで自分を『より完璧な世界』に運ぶ啓示だったと書いた。」
2020.07.16 Thursday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第26章「1946-48年」と第27章「袋小路」のまとめを行います。1946-48年の間にノグチは舞台装置のデザインを多くやっていました。そうした中で私が最も関心を寄せるテーブル彫刻が誕生しました。「『テーブル彫刻』と呼ぶ彫刻も制作した。《夜の国》の原点としてうかがえるのは、表面に丸く穴が穿たれてゲーム盤のように見えるジャコメッティの大理石板《ノーモア・プレイ》(1931-32)である。《夜の国》の暗色に輝く大理石の表面は、円形の穴と小山、妊娠をあらわす突き出す突起物によって、シュルレアリスムの荒涼とした夢の風景を連想させる。」さらに1947年にノグチが制作した「火星から見える彫刻」は父野口米次郎の死と関係しているようです。「おそらくは父親の死によってかきたてられた無常観と人間の死すべき運命への思いが、ノグチが1947年に制作したある彫刻作品のデザインに象徴的にあらわれている。」次の章ではノグチがスランプに陥った状況が描かれていました。「1948年と49年には、おそらく彫刻の新しいアイディアを考え出す意欲が湧かなかったためか思索にふけり、アートについてかなりの量の著述をした。その多くがアートの機能と社会におけるアーティストの地位に焦点を絞っていた。」加えて「ノグチをさらに惨めな気持ちにしたのは、1948年7月のアーシル・ゴーキーの自殺である。」とありました。親友ゴーキーは癌になり、鬱に襲われ、結婚生活も躓いたようです。ノグチにとっては辛い時期を過ぎ、やがて個展の開催に漕ぎつけます。概ね好評だった個展にもこんな評が寄せられていました。「ノグチ彫刻に対するグリーンバーグの反応は、のちの鑑賞者たちの多くが見せる反応を典型的にあらわしている。彼らはノグチ作品のなかに、典型的にアメリカ的と考えられはじめていた攻撃性と反撃性、身体的な直接性が欠けているのを惜しんだ。」攻撃性と反撃性が欠如した立体、これが日本で体得した庭園文化を初めとする自然観を生かした美意識に導かれ、やがてノグチ独自の世界へ発展していくのだろうと私は思っています。
2020.07.15 Wednesday
私は個展の度に、同じサイズ、同じ頁数の図録を用意しています。そのために懇意にしているカメラマンに図録用の撮影をお願いしてきたのでした。今年が15回目の個展なので、図録は15冊目になります。毎年1000部印刷していますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、個展に来られる人は少ないだろうと思っています。図録の内容は毎年変わり、作品によってはデジタル化した方が映える作品もあります。彫刻は立体なので光と影が微妙に影響し、とりわけ野外撮影は天候にも左右されます。幸運なことに雨が降って撮影が出来なかったことは、今まで一度もありませんでした。晴天か曇り空で撮影が行われたことを天に感謝したいと思います。今回の図録ですが、私としては今までにない色彩感のある出来栄えではないかと思っています。「発掘~聚景~」の屏風を、水色や桃色、薄紫の色彩を多用したことで明るい雰囲気を醸し出しました。私は暗い色調が好きなので、これはかなりの冒険でした。私としては苦手な色彩克服もあったのでしたが、自分の表現が広がったように感じています。図録では野外撮影と室内撮影を対比していますが、ギャラリーせいほうの白い空間で見る作品は、また違う雰囲気を纏います。そこが立体の面白いところでもあるのです。今日の夜に今年の図録1000部がカメラマンによって自宅に届きました。明日職場で職員に配ろうと思います。土曜日にギャラリーせいほうに3分の1程度を持参いたします。図録はカメラマンと彫刻家による協働作品だろうと私は思っています。決してアナログ作品の解説ではありません。アナログとデジタルが両輪で噛み合って、初めて作品の世界観が現れてくるのです。
2020.07.14 Tuesday
「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第24章「岩とあいだの空間」と第25章「タラ」のまとめを行います。ノグチの残した一連の彫刻の中で、スラブ彫刻があります。それは大理石加工場が閉鎖され、建物の外壁に使った大量のスラブが安価で手に入ったことで、それらを宙吊りにして構成し、ノグチは重力のバランスをとるユニークな立体作品を作り上げたのでした。「ノグチの彫刻の多くは人体に似た形態をしているが、感情という点では攻撃的というよりは瞑想的である。ノグチは表現主義者ではなかった。静寂と不動性、いまこの場にある意味、あるいは強烈に個人的な意味よりも時を超越する意味を好んだ。」とあり、さらに代表作である「クーロス」についてこんな説明がありました。「《クーロス》は実体と空隙のあいだ、垂直と水平のあいだ、具象と抽象のあいだで完璧にバランスをとることで、力強いと同時に詩的、壮麗であると同時に華奢であることに成功している。」何か東洋的な美意識がノグチに働いているように感じるのは私だけでしょうか。次の章でノグチの私生活についての記述があり、この頃のノグチはインド人女性と恋に落ちていたようです。女性の名はタラと言い、両親がインド独立闘争に深く関与していたのでした。「ノグチが結婚を申し込んだとき、タラは拒否した。ひとつには年齢差があった。だが、ノグチのボヘミアン的なライフスタイルは魅力的であっても、あまりにも違いすぎていた。」タラはインドへ帰国を決意し、やがて二人は離れ離れになり、タラは別の男性と結婚することになりました。「アン・マッタがチリからノグチに送った手紙は希望を与えるものだった。だがアンの手紙と違って、タラの手紙からは、タラがノグチの妻となるためにアメリカにもどることはけっしてないのは明らかだった。」