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  • 「命題論的分析論としての形式論理学」第14~15節について
    「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。本論として初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第14~15節についてまとめを行います。ここでは形式論理学の次の段階としての整合性(無矛盾性の論理学)について書かれていました。形式論理学の中で判断をどう扱うか、何度か読み返しても私にはまとめることができず、注目した箇所の引用でご勘弁願います。「判断の整合性についての類的な諸真理として、例えば適応する形式の各前提判断の中に、特定の形式の諸判断が(《分析的に》)包摂されていることについての真理として保有していることは、洞察されうる。同様に、別の推論の諸形式は分析的な反対帰結、分析的な《矛盾》の本質的諸法則の価値を有してはいるが、しかしこれらは実は《推論》の諸形式ではなく、いわば《排除》の諸形式である。~略~すなわち伝統的な形式論理学は純粋な《無矛盾性の論理学》ではないということと、この純粋性を明示して、論理学の問題設定と理論において最も重要な内的な区分がなされるべきだ、ということである。」そこで第14節の最後に「的確に理解された単純な分析論の基本的諸概念に妥当性の基本的諸概念として(規範概念として)含まれるのは分析的な整合性と矛盾だけであり、それに反して既述のとおり、真理と誤謬はその諸様相も含めてここには登場しない。」とありました。第15節では、前節を受けて次のようにまとめています。「もともと区別されるべきこの両概念が、論理学ではわざわざ形式化される本質法則的な連関によって初めて、単なる分析論が形式的な真理の論理学に転換すること」としていました。今回はここまでにします。
    イサム・ノグチ 巨大なプロジェクト
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第38章「ノグチと仕事をする」と第39章「浮遊する岩たち、祈りの翼」のまとめを行います。1960年代に入ると、ノグチに大きな仕事が入ってきます。「この(バイネッケ)図書館にノグチは白大理石のサンクンガーデン(半地下庭園)を提案した。植物のかわりに三体の大理石の形態ー輪、ピラミッド、頂点のひとつを支点にしてバランスをとる立方体ーを配置する。庭は世界から切り離されて知性に訴えかけるように感じられ、したがって図書館という立地にはぴったりだった。」イサムにはオーエンズという制作協力者がいて、イサムの気難しい性格にも耐えて仕事をしています。「イサムは馬のように強く、ロバのように頑固で、十歳児の活力をもつ。見つかるかぎりで最高のビジネスマンだ。ぼくが会ったなかで最良の政治屋であり、途方もなく優れた彫刻家だ」とオーエンズは称賛もしていました。次に私が大好きな作品であるチェース・マンハッタン銀行のサンクンガーデンにイサムは取り組みます。「七つの岩のいくつかは京都近くの宇治川と鴨川の川底から運ばれた。何世紀にもわたって水の流れに寝食されてできた複雑なひびのために、岩たちは中国の学者が瞑想を促すために書斎においた賢者の石のように見える。ノグチはチェースの庭園を『ぼくの龍安寺』と呼んだ。あの禅寺の庭のようにチェースの岩たちは島に見える。」さらに次のプロジェクトは、興行主であったビリー・ローズの依頼で、「エルサレムに建設中の新しい国立博物館わきに彫刻庭園をつくることについてノグチに接触してきた。」とありました。そこでノグチはこんなことを言っています。「『ほんとうにどこにも帰属せず、未来永劫途切れることなく国を追われている人としてのユダヤ人にはいつも惹かれてきた。アーティストとはそんなふうに感じるものなのだ』1965年に完成したとき、ビリー・ローズ彫刻庭園はノグチがもっとも誇りに思う成果のひとつとなった。~略~擁壁に内包される大地は『大きな翼』あるいは『大きな船の舳先のよう』になるだろうと書いている。道や通路はなく『砂利と樹木の自由なエリアだけ』。彫刻自体の配置が空間を規定する。ここでもまた、ノグチは『静謐と観照』のための場所をつくりたがった。~略~ノグチは、庭園は彫刻をおくために意図されているが、たとえその彫刻が加えられなくても意味をもち、イスラエル人だけではなくすべての人に帰属すると書いた。」
    イサム・ノグチ 様式の変遷とプリシラ
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第36章「変化したヴィジョン」と第37章「プリシラ」のまとめを行います。1958年に米国に戻ったノグチは新たな表現方法を模索しました。「アルミニウムを折り、穴を開けることでノグチは奥行き感と量感を創出した。この方法は、1940年代のスラブ彫刻、そして折り紙と多くの共通点をもつ。それはまるで、禅寺の庭で半ば地面に埋められ、重力に縛りつけられた岩とは正反対の様式の探求を、ノグチが選んだかのようだった。」また一方で大理石を彫る仕事にも取組み、「変化したヴィジョンに、ぼくはいかにすばやく適応することか。これは触覚的価値の完全に感情的な領域だった。」と自ら語っています。「アルミ彫刻で軽さを探求したことをきっかけとして、ノグチはバルサ材でも仕事をした。~略~バルサ材彫刻最大の《犠牲者》は戦争で破壊された人間の姿をあらわす。ノグチはこの作品について『悲劇は重さの緊張、絡み合う四肢によって暗示される』と書いた。」この時期ノグチは重要なパートナーと出会っていました。「歳月が経つにつれてノグチとプリシラは深い友情を育んでいった。忠誠と相互理解という意味では一種の結婚ともいえる協力関係だった。もっともどちらも実際の結婚は望まなかった。~略~大きな活力、臨機応変の才、組織能力で、プリシラはノグチにとって計り知れない助けとなった。」プリシラの支援を得て、ノグチには大きな仕事が舞い込んできます。「『テキサス彫刻』という名で知られるようになるこのプロジェクトには、ノグチが大きな手間をかけて運び出した灰緑色の花崗岩から彫られた大型の作品二点が含まれる。ノグチはこの二対を一種の門、そして『エネルギー(金はエネルギーだ)の象徴』とみなした。抽象ではあるが、人体を連想させる。二体はプリミティヴなトーテムのように銀行の煉瓦敷きの前庭を見張る。」さらにノグチの活躍は続いていきます。
    回遊(遊歩)式庭園について
    「ノグチと佐野藤右衛門の最大の闘いは低木をめぐるものだった。佐野は伝統的な『見え隠れ』の考え方に従った。遊歩式庭園の一部は隠され、それから来園者が移動すると姿をあらわす。佐野は庭園の石のいくつかが隠れるような形で低木を配置した。『ぼくの彫刻になにをするんだ』とノグチは視界をさえぎる低木の一本を蹴飛ばしながら怒鳴った。」この一文は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)より、ユネスコ庭園を造った時の彫刻家イサム・ノグチと日本からやってきた造園家佐野藤右衛門の葛藤を描いています。彫刻と造園、この2つの分野には鑑賞に対する相違があると私も感じています。私の亡父は造園業を営んでいて、数々の庭園を造っていました。私の学生時代は亡父の手伝いに費やされ、造園の考え方を叩きこまれましたが、学校で学んでいた彫刻との圧倒的な違いは、その見え方にありました。彫刻は、西洋の考え方を体現する立体造形で、形態そのものを明快に見せる芸術です。日本庭園には、その代表として回遊(遊歩)式庭園があり、それは歩きながら見え方が変わる風情を楽しむもので、樹木に隠れた池や石などを視点を変えながら味わうのです。それは彫刻と言うより絵画的な要素も含む空間演出ではないかと思うところですが、そこでは全体の構築性はそれほど重要ではなく、寧ろ俄かに差し込む光や影といった刹那を楽しむ要素もあるのです。回遊(遊歩)式庭園は、室町時代の禅寺により造園され、江戸時代には大名に好まれたようで、日本各地に点在しています。私が訪れた回遊(遊歩)式庭園は、兼六園(金沢)、栗林公園(香川)、足立美術館(島根)の他、京都には桂離宮、金閣寺(鹿苑寺)、慈照寺、天龍寺、西芳寺、二条城などがあって、どれも回遊する楽しさを満喫しました。パリのユネスコ庭園にも行きましたが、残念なことがひとつありました。日本庭園は定期的に手入れをしないとその美しさを保てないのです。見え隠れする造形は、それを維持するために放置できない宿命があり、それが証拠に足立美術館の庭園には日常的に職人が入っています。完成された美は、いつまでも完成されない施工によって完璧な美が保たれているのです。
    週末 5点目の陶彫成形
    今日は酷暑から解放されて凌ぎ易い一日になりました。久しぶりに朝から午後まで工房で過ごし、新作の5点目になる陶彫成形を行ないました。陶彫の制作工程の中で、成形こそが唯一立体を作り上げる工程で、彫刻的に言えば一番面白い作業です。現在作っている新作は単なる直方体に過ぎませんが、それでも立体が立ち上がることに喜びを感じます。新作は今までの作品に比べると、禁欲的な箱型が多く、形態の自由度が少ないと感じます。曲面を排除しているせいで、最近見に行った「きたれ、バウハウス」展のバウハウス・デザインに似た傾向の造形になっているなぁと思います。ただし、あくまでも私が作っているのは彫刻であって日用品ではありません。バウハウスのように日常生活に簡潔なデザインを取り入れて、当時の時代を先取りした様式を私が試しているわけではありません。他の素材ではなく最終コントロールが難しい焼成が必要になる陶土を使って幾何的な直方体を作るのは、素材有効性を無視した困難な道を行くようなものですが、そこに創作物としての緊張度が増すように私は考えているのです。今日も陶土で平らな面を立ち上げ、出来るだけ歪まないような手作業を施しました。今日は酷暑ではなかったのですが、精神的な働きのせいで汗が流れてシャツをびっしょりにしました。今日は久しぶりに10代のスタッフが3人、工房に顔を出しました。2人が美大受験生、1人は文学系の高校生で、それぞれの課題を黙々とやっていました。工房に関わりのある子たちは、昔からおしゃべりではなく、工房で過ごす数時間を自己を見つめて何かしらの表現をしています。現在出入りしている子たちも例外ではありません。そんな私は若いスタッフに気分的に助けられています。暗黙で私の背中を押してくれているように感じるからです。自己表現は実のところ大変なエネルギーを必要としています。満足も得られますが、地道な努力ばかりで、成果を得るのには時間もかかります。それでも美術が好きで彼女たちは集まってくると言っても過言ではありません。また来週末に頑張る予定です。