2020.09.01 Tuesday
9月になりました。今日はやや涼しくて凌ぎやすい一日になりました。今日は「防災の日」でもあり、今を遡る97年前に関東大震災があり、それが起因となって「防災の日」が設定されたようです。職場でもコロナ渦の中で防災訓練を行いました。災害はいつやってくるのか分からないので、備えは十分にしておこうという意図で防災訓練を決行しました。先月までは暑い日が続き、新型コロナウイルス感染症だけでなく、熱中症にも気をつけて過ごしていました。今月はいつ涼しくなるのか、創作活動に弾みをつけたい私としては秋が待ち遠しいのです。今月は涼しくなると仮定して、今後の制作目標を考えたいと思います。今月は「敬老の日」と「秋分の日」が合わさった4連休が予定されています。週末を全部創作活動に使うとすると休日が10日あり、新作の土台である厚板材の切断が出来るのではないかと思っています。土台の完成は無理かもしれませんが、大まかな構想は描けると期待しています。陶彫部品もどのくらい作れるのか、見通しをもった計算をしておこうと思います。具体的な制作目標は改めて稿を起こします。RECORDは下書きの山積みが少なくなってきました。RECORD制作に勢いが出てきているので、この調子で頑張りたいと思います。鑑賞はどのくらい展覧会に行けるのでしょうか。映画館に行くのはまだちょっと抵抗があります。読書は先月から継続して、日系彫刻家の伝記とオーストリアの現象学者の書籍に挑んでいきます。
2020.08.31 Monday
8月の最終日になりました。今年は梅雨の長雨から一転して気温が上昇する酷暑となり、今月は35度を超える日が続きました。8月は例年夏季休暇を取得して旅行に出るのが私の定番でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で遠方への旅行は控えて、日帰りで首都圏だけを周遊することにしたので、なかなか気分転換が図れない8月だったなぁと振り返っています。週末は工房に行って新作に挑みましたが、空調のない工房に長く留まれず、予定の半分くらいしか制作が進みませんでした。その分自宅でRECORD制作に励み、下書きの山積みはだいぶ減少してきました。まず、新作陶彫の成果としては6点の成形が終わり、そのうち4点が彫り込み加飾を終えて乾燥を待っているところです。涼しくなれば陶彫制作に拍車をかけたいと思っています。RECORDは山積み解消とまではいかないにしても、自分なりに頑張ってきました。私は生真面目な性格上、どんな作品に対しても気楽に描けないタイプで、RECORDも1点1点に思いを寄せて、しっかり描き込んでしまうのです。日々の制作が重く感じるのは、私自身のせいです。鑑賞は「スーパークローン文化財展」(そごう美術館)、「きたれ、バウハウス」展(東京ステーションギャラリー)、「深堀隆介展」(そごう8階)、「國領經郎展」(茅ヶ崎美術館)、その他として「江戸東京たてもの園」内の「前川國男邸」、フランク・ロイド・ライト設計による「自由学園明日館」(池袋)に行ってきました。1ヶ月の鑑賞としては多いのではないかと思っています。読書では「石を聴く」と「形式論理学と超越論的論理学」を交互に読んでいて、彫刻家イサム・ノグチと現象学者エトムント・フッサールが、現在の私の関心を惹く2人の偉人になっています。これは継続して読んでいくつもりです。
2020.08.30 Sunday
8月最後の日曜日になり、朝から工房に篭りました。猛暑は変わらず汗が滴り落ちる一日でしたが、昨日陶彫成形の準備をしていたので、6点目の成形を行いました。6点目の成形は小さめで、大きな陶彫部品の三段目になる予定です。これはボルトナットで留めることなく、直方体の陶彫部品を積み木のように重ねていくので三段目が限界かなぁと思っています。午後になっても作業をしていましたが、今日は彫り込み加飾はせず、次回に回すことにしました。陶彫成形は面白い制作工程なので、つい夢中になってしまうのですが、工房内の室温のことを考えると無理をしない範囲で作業を打ち切るのが良いと判断しました。というのは今日も美大受験生が2人来ていて、それぞれデッサンや平面構成をやっていたので、彼女たちの健康にも気遣いしました。彼女たちは中国に繋がる高校生たちで、私がいないところでは中国語でやり取りをしています。私がいると何気なく日本語に切り替えます。外国語の切り替えが自然でスムーズに出来ることに私は驚いてしまうのですが、20代の頃に私が喋っていたドイツ語より遥に流暢に言葉を扱うので、10代の子たちの頭の柔軟性に感心してしまいます。2人とも日本でずっと生きていくようで、美大にも日本人として一般受験をする構えでいます。二国間に文化を持つこの子たちは、デザイン業界できっと活躍の場があるのではないかと私は思っています。夕方、2人を車でそれぞれの自宅近くまで送り届けてきました。夜になって、個展に来ていただいた方々にお礼状を送ることにしました。芳名帳を見ると住所が分からない人たちばかりで、結局私が案内状を送った人たちに限られてしまいました。このNOTE(ブログ)をご覧になられている方で、お礼状が届かなかった方には申し訳なく思います。改めてここで個展に来ていただいた方々に感謝を申し上げます。新型コロナウイルス感染拡大が続く中で、わざわざ東京銀座にいらっしゃっていただいて有難うございました。
2020.08.29 Saturday
やっと週末になりました。8月最後の週末は相変わらず気温が高く、工房にずっと篭るのは辛いかなぁと思いました。そこで朝7時に工房に行き、明日の陶彫成形のためにタタラを数枚用意し、2時間程度で工房を後にしました。タタラは陶土を掌で叩いて座布団大の大きさまで伸ばすのです。それをビニールで覆って明日に備えるのですが、一日置くとちょうどいい硬さになります。2時間のタタラつくりはほとんど肉体労働で、忽ち汗が噴き出てきました。今日の作業はここまでにして、午前10時頃に家内と車で自宅を出ました。まず向かったのは東神奈川の邦楽器店で、家内の楽器を修理に出すのに付き合ったのでした。その後は東名高速から圏央道を走り、茅ヶ崎に向かいました。途中で昼食を済ませ、茅ヶ崎海岸の近くにある茅ヶ崎市美術館に到着しました。この美術館で開催中の「國領經郎展」は、砂浜や砂丘を描いた画家の代表作品を網羅している情報を知って、ぜひ見に行こうと決めていました。本来なら既に終わっている企画展でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で会期が延長されていたのが幸いでした。画家國領經郎の世界は私も知っていましたが、まとまった作品を見たことがなかったので、今回は改めてじっくり作品を拝見させていただきました。これは生誕100年記念となる回顧展で、國領經郎は既に他界されている作家ですが、横浜に生まれた人でもあり、横浜美術館に所蔵作品があって、私にも馴染みはありました。詳しい感想は後日にしたいと思っていますが、明日で展覧会が閉じてしまうので、感想を述べるのは展覧会閉幕後になることをお許し願えればと思います。美術館で鑑賞した後、車でササンビーチがある海岸を望みながらドライブを楽しみました。今夏、海を見るのは初めてでした。現在も遊泳は禁止されていますが、多くの人が海岸にいました。ほんのちょっぴり夏気分を味わって帰宅しました。
2020.08.28 Friday
昨日に引き続き「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。本書の本論は初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、その中の第1章として「命題論的分析論としての形式論理学」が掲げられています。そのうちの第16~17節について、何とか読み砕いていますが、毎回のこととは言え、難解な文章とその意味合いに立ち往生してしまい、これをどうまとめてよいやら分からず、今回も気になった箇所の引用で済ませます。命題論に関する諸区別について、区別に該当する明証の違いを考察していて、一つの判断が各主観ごとに異なる仕方で与えられていても、同じ判断として明証的な所与であることが述べられていました。「混乱した思念が《判明になる》ことで初めて《実際に判断され》、そして先ほどはただたんに予想されていたにすぎないあの判断が実際に、しかもそれ自身が与えられているのだ、と言う。~略~意味の側面では、表示される諸形象すなわち諸判断自身が、表示する諸志向が継続して充実される《明証》の中で、したがってそれと同時に根源的な能動性の中で形成される本来の諸判断として成立することもあり、もしくは受動的な読書の場合のように、判断が空虚に表示されることもありうる。」次に判明性と明確性について述べられていました。「ここでは二種類の明証性が区別され、その一つは判断自身がまさに判断として与えられる場合の明証性であり、この場合の判断は判明な判断であり、実際に正確に判断して得られる判断だとされる。二番目は、判断者が自分自身の判断を《通して》希求する事項そのものが与えられる場合の明証性であり、このような判断者こそー論理学がつねに想定しているー認識の希求者である。」次の章では論理学そのものを論じている箇所があったので、引用いたします。「そもそも論理学全体がアプリオリ(先天的概念)な学問であるのと同様、単純な分析論も実際の諸判断を、すなわち或るとき、或る場所で実際に下された諸判断を問題にするのではなく、アプリオリな諸可能性を、すなわち該当するすべての現実を分かりやすい意味で包摂する諸可能性を問題にするのである。」