Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 15冊目の図録が届いた日
    私は個展の度に、同じサイズ、同じ頁数の図録を用意しています。そのために懇意にしているカメラマンに図録用の撮影をお願いしてきたのでした。今年が15回目の個展なので、図録は15冊目になります。毎年1000部印刷していますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、個展に来られる人は少ないだろうと思っています。図録の内容は毎年変わり、作品によってはデジタル化した方が映える作品もあります。彫刻は立体なので光と影が微妙に影響し、とりわけ野外撮影は天候にも左右されます。幸運なことに雨が降って撮影が出来なかったことは、今まで一度もありませんでした。晴天か曇り空で撮影が行われたことを天に感謝したいと思います。今回の図録ですが、私としては今までにない色彩感のある出来栄えではないかと思っています。「発掘~聚景~」の屏風を、水色や桃色、薄紫の色彩を多用したことで明るい雰囲気を醸し出しました。私は暗い色調が好きなので、これはかなりの冒険でした。私としては苦手な色彩克服もあったのでしたが、自分の表現が広がったように感じています。図録では野外撮影と室内撮影を対比していますが、ギャラリーせいほうの白い空間で見る作品は、また違う雰囲気を纏います。そこが立体の面白いところでもあるのです。今日の夜に今年の図録1000部がカメラマンによって自宅に届きました。明日職場で職員に配ろうと思います。土曜日にギャラリーせいほうに3分の1程度を持参いたします。図録はカメラマンと彫刻家による協働作品だろうと私は思っています。決してアナログ作品の解説ではありません。アナログとデジタルが両輪で噛み合って、初めて作品の世界観が現れてくるのです。
    イサム・ノグチ スラブ彫刻とインド女性
    「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第24章「岩とあいだの空間」と第25章「タラ」のまとめを行います。ノグチの残した一連の彫刻の中で、スラブ彫刻があります。それは大理石加工場が閉鎖され、建物の外壁に使った大量のスラブが安価で手に入ったことで、それらを宙吊りにして構成し、ノグチは重力のバランスをとるユニークな立体作品を作り上げたのでした。「ノグチの彫刻の多くは人体に似た形態をしているが、感情という点では攻撃的というよりは瞑想的である。ノグチは表現主義者ではなかった。静寂と不動性、いまこの場にある意味、あるいは強烈に個人的な意味よりも時を超越する意味を好んだ。」とあり、さらに代表作である「クーロス」についてこんな説明がありました。「《クーロス》は実体と空隙のあいだ、垂直と水平のあいだ、具象と抽象のあいだで完璧にバランスをとることで、力強いと同時に詩的、壮麗であると同時に華奢であることに成功している。」何か東洋的な美意識がノグチに働いているように感じるのは私だけでしょうか。次の章でノグチの私生活についての記述があり、この頃のノグチはインド人女性と恋に落ちていたようです。女性の名はタラと言い、両親がインド独立闘争に深く関与していたのでした。「ノグチが結婚を申し込んだとき、タラは拒否した。ひとつには年齢差があった。だが、ノグチのボヘミアン的なライフスタイルは魅力的であっても、あまりにも違いすぎていた。」タラはインドへ帰国を決意し、やがて二人は離れ離れになり、タラは別の男性と結婚することになりました。「アン・マッタがチリからノグチに送った手紙は希望を与えるものだった。だがアンの手紙と違って、タラの手紙からは、タラがノグチの妻となるためにアメリカにもどることはけっしてないのは明らかだった。」
    「予備的な諸考察」第9節~第11節について
    「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もあります。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第9節~第11節のまとめを行います。第9節の冒頭で「論理学のどの事項にもある二面性は、われわれの最初の諸解説ですでに明らかなとおり、客観的と主観的のこの両面を同等に扱うことを意味してはいない。」とありました。これは実証的諸学について言っているわけで「実証的な諸科学はもっぱら理論の段階で、すなわち、ひたすら認識の分野を主題にする方向で形成される理論の段階で成果を挙げている。」と説明がありました。第10節ではそうした中での心理学のことが述べられていました。「実証的な諸学が、唯一のテーマである純粋な客観という理念を満足させるために、諸事象を経験し思惟する作用に伴うたんに主観的な事柄に属するものとは一切絶縁するとしても、やはりそれら諸学自身の圏内で〈諸主観についての独特な実証科学〉が登場する。それが人間と動物についての科学、すなわち〈人間と動物における心理的な事柄、主観的な特徴を主題にする心理学〉である。」第11節ではさらにabcという小題がつけられていて、aでは客観的・理論的な思惟の形成物を目標とする論理学について考察されていました。「すでに最初の論理学が知識と学問について独自の詳察をした際にも主に、客観的で理論的な諸形態に拘泥しすぎて、最初もその後も長らく、そのテーマを完全に意識して明確に〈純粋な判断と認識の形成物に限定すること〉に考え及ばなかったが、実はこれらのことこそやはり論理学研究本来の分野であった。」bでは洞察についての主観的反省が述べられていました。「洞察して獲得された《真実》《帰結》《無矛盾な事柄》は判断の形成物そのものについての特性および述語として、客観の側に現れるのであるから、意味の純粋論理学によって扱われる形式的な諸理論のテーマだ、ということである。」cはその結論です。「論理学がその発達過程全体をとおして最近まで(すなわち超越論的哲学の諸動機が論理学にラジカルな影響を与えていなかった間)、その重要な主題の領野を理論の分野に、つまり多様な判断の形成物と認識の形成物の分野に、もたねばならなかった理由と、外面的には非常に目立つ〈主観の思惟行為の主題化〉がそれにもかかわらず、まったく二次的な性格しかもたなかった理由を理解するであろう。」本論に入る前段階としての「予備的な諸考察」はここまでにいたします。次回から本論に入ります。
    週末 梱包完了して安堵感
    私の彫刻作品が陶彫という技法を使っているために、個展の搬入搬出や保存に結構気遣ってきました。焼き物は割れ易いということがあって、木割で補強した丈夫な木箱にエアキャップで包んだ陶彫部品をひとつずつ収めているのです。陶彫である以上、梱包に時間がかかるのは仕方がないと思っています。例年この時期は梱包に明け暮れています。今日やっと梱包が完了しました。昼過ぎに搬入業者が荷物の状態を見に来ました。昨年よりやや少なめの木箱の量を見て、来週搬入のトラックの大きさや作業員のことなどを見積もっていました。毎年お願いしている業者なので、私は安心して任せられるのです。梱包材で包んだ板材や木箱に収めた陶彫部品の他に、電動工具や接着剤などを準備して工具箱に入れて、それも持って行きます。後はどのくらいスタッフが集められるのか、私の方でそれぞれに連絡をしなければなりません。実はこの梱包作業が完了して、私は漸く安堵感を持ちました。それでも毎年やっている個展というイベントは、開催までに何があるのか分からず、慣れというものは存在しません。毎年のように何かしら問題が生じることあるのですが、もともと非日常空間を作るための苦労なので、内心は楽しくて面白くて、つい夢中になってしまうのです。人は生活を豊かにする媒体に痺れてしまうものなのかもしれません。これに生活がかかっていると思うと世知辛くなってしまうのです。もちろんギャラリー関係者は生活がかかっているものですが、私にとっては自分の思索を具現化し、理想の空間を創出するための手段なので、生活とは関係ないところに立っていられるのです。私が建てた工房も非日常です。そこに通ってくる美大受験生も大きな捉えの中では特殊な世界で生きていると思っています。今日は朝から毎週来ている高校生がいました。蒸し暑い工房の中でデッサンに励んでいました。彼女を代車で送りながら、ディーラーに立ち寄り、車検の済んだ光岡ビュートを取ってきました。来週はビュートに5人乗って東京銀座に向かいます。
    週末 個展開催と感染拡大の狭間で…
    週末になりました。新型コロナウイルス感染拡大が再び東京で増加しています。野球場にも観客が入れるようになり、急減した消費を喚起する「Go Toキャンペーン」のトラベル事業を今月22日から開始すると、政府が言っていました。経済活動を回していかないと、日本全体に多大な影響を及ぼしかねないという判断なのでしょうが、感染を恐れているのは私だけではないはずです。そんな中で東京銀座で私の個展開催があります。美術館や画廊は通常通りの日程を取り戻し始めましたが、果たして鑑賞者がどのくらい来てくれるのでしょうか。個展開催と感染拡大の狭間で、私は心底悩んでいます。それでも今日は平静を保ちつつ、梱包用木箱の追加製作に明け暮れました。梱包用木箱の製作には慣れてきました。板材が足りなくなって、建材店に車を飛ばしました。夕方には追加の梱包用木箱が出来上がり、明日は残りの陶彫部品の梱包をしていきます。おそらくこれで全部が収まるのではないかと見積もっていますが、果たしてどうでしょうか。今年ほど搬入準備をしていこうとする気持ちに迷いが生まれているのは初めてです。準備が整ったとしても、その先の個展開催に関して、どのように考えたらよいのか分からないのです。そんなことに気を回さず粛々と準備をしておけば良いとは思いますが…。個展は展示が中心なので、コンサートや演劇とは違い、飛沫の影響は少ないと思っています。ただ場所が銀座の真ん中というのが、厳しいかなぁと思っています。