2020.11.15 Sunday
今日は朝から工房に篭り、昨日準備しておいたタタラを使って、19点目になる陶彫成形を行っていました。久しぶりに美大受験生が2人工房にやってきました。2人のうち1人は修学旅行に行ったようで長崎のカステラをお土産にいただきました。コロナ渦の影響で、本来なら台湾に修学旅行に行くはずが、九州になったと言っていました。若いスタッフが工房に来ると背中を押される感覚があって、私の制作も進みます。午後になって乾燥した陶彫部品を仕上げて化粧掛けを施そうとしましたが、窯に入れるための組み合わせがうまくいかず、今回の焼成は見送ることにしました。その分彫り込み加飾を多少でも先に進めることにしました。このところ週末は陶彫一辺倒ですが、夜になってNHK番組「日曜美術館」(再放送)を見ていたら、故人陶彫家を取上げていて、私の興味関心を一気に持っていかれました。その人の名は辻晋堂で、私のNOTE(ブログ)にも複数登場しています。「辻晋堂の彫刻」(2008年11月12日付)、「鎌倉の『辻晋堂展』」(2011年2月2日付)、「『辻晋堂展』で陶彫を考える」(2011年2月3日付)、「壁体彫刻の魅力」(2011年2月9日付)とアーカイブを数えると4回取上げています。今晩の「日曜美術館」ではサグラダ・ファミリア贖罪教会の主任彫刻家である外尾悦郎氏が出演し、大学時代の師辻晋堂について語っている場面がありました。外尾氏が学生時代、大事にしていた一本の鑿が師の心に触れたらしく、いつも見守ってくれていたという台詞は私の心も打ちました。スペインに行く前に師から「日本美術家連盟」に入るように勧められて推薦をしてくれたことも言っていました。あぁ、私と同じだと思いました。私も師池田宗弘先生の推薦を受けて「日本美術家連盟」に入ったのでした。「何かの役に立つと思うよ。」と池田先生が言ってくれましたが、私もそこで彫刻家としての自覚が芽生えました。私が辻晋堂という陶彫家を知ったのは、40年以上も前に東京銀座のギャラリーせいほうで池田先生の個展の手伝いをしていた時でした。その後、同ギャラリーの「辻晋堂展」にお邪魔しましたが、とうとう作家には会えませんでした。そんな思い出が甦ってきて、別稿でもう一度「辻晋堂の陶彫」について書いてみようかと思っています。辻ワールドに接すると、私はつい惹きこまれてしまうのです。
2020.11.14 Saturday
週末になりました。ウィークディの仕事から解放される週末ですが、工房での陶彫制作が毎回続いています。新作を作っていると言えども、制作工程は大きく変わるものではなく、土曜日が土練り、タタラを作って翌日の成形に備え、余った時間は既に成形された陶彫部品に彫り込み加飾を加えています。日曜日は土曜日に準備したタタラで新しい陶彫の成形を行います。余った時間は乾燥した陶彫部品があれば、そこから何点かを選び出し、ヤスリで仕上げ、化粧掛けを施して窯に入れます。これを制作サイクルと私は呼んでいて、毎週末になるとこれを繰り返しているわけです。窯入れは乾燥待ちがあるので、毎週出来るものではありませんが、焼成以外の制作工程ならサイクルを回していくことは可能です。今日は朝から工房に籠って、土練りとタタラ作り、午後は彫り込み加飾を行いました。変りばえのしない制作工程ですが、こうした地道な積み上げが大きな成果を生むことを私はよく知っているので、自分の気持ちをコントロールしながら制作に励んでいました。制作サイクルは陶彫の場合と木彫の場合はそれぞれ異なり、木彫が始まれば木彫としての制作サイクルを回し始めます。ただし、木彫は焼成がないため作品が乾燥するまで待つという時間的配慮が必要ありません。制作の進め方は木彫のほうが単純ですが、何時間も鑿を振るうために体力は消耗します。今月はまだ木彫に手を出さず、陶彫一本に絞って制作をやっていきます。明日は成形に入ります。
2020.11.13 Friday
先日、横浜そごう美術館で開催中の「吉村芳生」展に行ってきました。「超絶技巧を超えて」という副題がつけられていた通り、鉛筆で描かれた写実画には目を見張るような驚きがありました。日常のありふれた情景を撮影し、それを明暗の調子に分解し、緻密に写し取った絵画に、通常の具象絵画とはまるで違う世界観を私は感じ取りました。大変な労働の蓄積を見取り、どうしてこのような発想になったのか、この画家についてもっと知りたいと思いました。図録に本人の心境を吐露した文が出ていました。「僕は(中略)白い紙の上にエンピツや絵具で目の前の風景、静物・人物、又はイメージである情景を描写することに限界を感じていた。それは、自分の三次元空間のデッサン力のなさ、イメージの貧困などから来たものなのかもしれないが、終いには絵を描くことが苦痛になっていた。~略~先生からは、図面を整えることをいわれ、自分の描きたい意図が上手く伝わらない。どうすればいいのだろう、と模索していた時にみた、アメリカの現代美術展に大きなショックを受けた。写真をそっくりそのまま写した作品がある、大きなキャンバスを一色で塗りつぶした作品がある。」こうした出会いが現在の行為を生み、芸術性を高めていったと私は思いましたが、新聞紙に自画像を描き込んだ「365日の自画像」を見ていると、所謂スーパーリアリズムとも一線を画する仕事ではないかと感じました。図録の解説を引用いたします。「『機械文明が人間から奪ってしまった感覚を再び自らの手に取り戻す作業』と幾度も語っているとおり、あくまで主眼にあったのは、写す”行為”そのものだった。だからこそ、新聞・金網そして写真も、『ほんものをそのまま映す』と言いつつ、どれも近づいてみるとその手作業の痕跡やムラが見て取れるような描き方がされている。~略~吉村がきわめて私的なレベルにおいて重要視した、描く”行為”そのものに対する執着は、彼にとってのじつに純粋なコンセプトとして結実していく。自己と向き合い、日々を写し取る”行為”を延々と続けていくこと。それこそが、彼が目指した自分にしかできない芸術だったからだ。」(高田紫帆著)
2020.11.12 Thursday
東京国立博物館平成館で開催中の「桃山ー天下人の100年」展は、絵画に限らず、私にとって興味が尽きないものばかりが並び、日本の伝統文化の重厚感に圧倒されてしまう展示内容でした。安土桃山時代は日本陶磁史上最も隆盛した「茶の湯」があり、「侘び」という認識が確立された時代でもあります。その中で堺の商人から天下人の茶頭にのぼりつめた千利休やその後継とされる古田織部が登場し、日本独特な「桃山茶陶」が出来上がったようです。図録によると千利休は「生来の進取の気性に加え、政治的能力にも恵まれ、織田信長、そして信長没後は羽柴(豊臣)秀吉の茶頭をつとめた。」とありました。利休の鑑識眼は、当時としては革新的で現代にも通用する美学があると私は思っていて、その具現化のために陶工長次郎に焼かせた楽茶碗は、無駄を削ぎ落した造形の極みと私は感じています。「従前の茶碗にとらわれず、手づくねと箆削りによって手になじむ形が追求され、聚楽土そのものの自然な焼き上がりを見せる赤茶碗と、黒一色の黒茶碗が生まれたのである。」次の時代を担った古田織部は、図録によると「一般に『ヘウケモノ』を好んだ人物として、『変形』『豪快』な茶陶のイメージと結びつけられることが多い」とされています。展示されていた「織部松皮菱手鉢」は当時としては前衛そのものであったように思います。解説によると「深い緑釉と、鉄絵による網干や唐草らしき複雑な文様表現が際立っている。いかにも華やかで斬新であり、力強い慶長の気風を映すような桃山茶陶の傑作である。~略~究極まで技巧を尽くしたその作風は、織部焼、ひいては和物茶陶の到達点とも見える。」とあり、自由闊達な造形表現が従来大陸から伝えられた形式を覆していく時代だったのだろうと考えられます。桃山茶陶の最後を飾る芸術家は本阿弥光悦だろうと私は思っています。マルチなアーティストとして俵屋宗達とコラボした「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」がありますが、光悦は作陶やさまざまな工芸にも優れた作品を残しています。図録によると「美を享受する立場。鑑賞体験をもとに新たな造形を創造する。仕事ではなく作ること、それ自体を楽しめる時代、個人芸術家の時代が訪れたのである。」とありました。いよいよ美の認識が現代に近づいてきたという感覚をもったのは私だけではないはずです。
2020.11.11 Wednesday
東京国立博物館平成館で開催中の「桃山ー天下人の100年」展は、その出展作品の内容や展示の視点から見ると、大変大がかりであり、また興味が尽きないものばかりで、日本の伝統文化の重厚感に圧倒されてしまいます。昨日のNOTE(ブログ)では主に時代背景を書きましたが、今日は私にとって最も関心の高い「洛中洛外図屏風」について述べていきます。本展には「洛中洛外図屏風」が複数展示されていて、その魅力を余すところなく発揮していると感じました。古いものは「歴博甲本」と名付けられていて、図録には「本作は近年土佐派作とする可能性も提示されており、洛中洛外図の祖型の成立を考えるうえできわめて重要な作品」とありました。室町時代の制作です。次に「上杉家本」と名付けられているのは、同じく室町時代の若き狩野永徳によるもので、図録には「京都のランドマークが金の雲間からのぞき、墨書きされた場所の名称は235か所にのぼる。僧俗貴賤の階級も問わず、2500人近くの老若男女が描き込まれている。」とありました。私はこの作品の緻密さに魅せられてしまい、暫し鑑賞に時間を使いました。次は江戸時代の作品で、図録によれば「現存する『洛中洛外図』のなかで最大のもの」とあり、大画面全体にわたる鮮やかな色彩に眼が奪われました。次は「勝興寺本」が続き、徳川家康により造営された二条城が姿を現します。「二条城を左隻の中心に大きく配することが『洛中洛外図屏風』の定型となった。」と図録にあり、これも狩野派の画家によるものと考えられています。江戸時代に岩佐又兵衛によって描かれた「舟木家本」にも私は眼が奪われ、とりわけ画中の庶民の姿を追ってしまいました。「この屏風で画家が描きたかったのは、庶民の姿、それも後に二大悪所と呼ばれる歓楽街、遊里や歌舞伎の場に集まる人びとであり、画面に散見される風紀を乱すような人びとのさまざまな姿、浮世を楽しむ姿である。」と図録にあり、まさに当時の風俗が俯瞰される視点で描かれていたことが、楽しくもあり、また驚きでもありました。空中を飛行するものがなかった時代に、こんな鳥瞰図が描かれたこと自体に感動があり、また位置関係を隠すために金の雲で覆って、あたかも金色の都市を象徴するような工芸品にまとめ上げていることが凄いなぁと思っています。本展は「茶の湯」にも重要な作品が展示されており、さらに別稿を起こそうと思います。