2020.08.24 Monday
「ノグチと佐野藤右衛門の最大の闘いは低木をめぐるものだった。佐野は伝統的な『見え隠れ』の考え方に従った。遊歩式庭園の一部は隠され、それから来園者が移動すると姿をあらわす。佐野は庭園の石のいくつかが隠れるような形で低木を配置した。『ぼくの彫刻になにをするんだ』とノグチは視界をさえぎる低木の一本を蹴飛ばしながら怒鳴った。」この一文は「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)より、ユネスコ庭園を造った時の彫刻家イサム・ノグチと日本からやってきた造園家佐野藤右衛門の葛藤を描いています。彫刻と造園、この2つの分野には鑑賞に対する相違があると私も感じています。私の亡父は造園業を営んでいて、数々の庭園を造っていました。私の学生時代は亡父の手伝いに費やされ、造園の考え方を叩きこまれましたが、学校で学んでいた彫刻との圧倒的な違いは、その見え方にありました。彫刻は、西洋の考え方を体現する立体造形で、形態そのものを明快に見せる芸術です。日本庭園には、その代表として回遊(遊歩)式庭園があり、それは歩きながら見え方が変わる風情を楽しむもので、樹木に隠れた池や石などを視点を変えながら味わうのです。それは彫刻と言うより絵画的な要素も含む空間演出ではないかと思うところですが、そこでは全体の構築性はそれほど重要ではなく、寧ろ俄かに差し込む光や影といった刹那を楽しむ要素もあるのです。回遊(遊歩)式庭園は、室町時代の禅寺により造園され、江戸時代には大名に好まれたようで、日本各地に点在しています。私が訪れた回遊(遊歩)式庭園は、兼六園(金沢)、栗林公園(香川)、足立美術館(島根)の他、京都には桂離宮、金閣寺(鹿苑寺)、慈照寺、天龍寺、西芳寺、二条城などがあって、どれも回遊する楽しさを満喫しました。パリのユネスコ庭園にも行きましたが、残念なことがひとつありました。日本庭園は定期的に手入れをしないとその美しさを保てないのです。見え隠れする造形は、それを維持するために放置できない宿命があり、それが証拠に足立美術館の庭園には日常的に職人が入っています。完成された美は、いつまでも完成されない施工によって完璧な美が保たれているのです。
2020.08.23 Sunday
今日は酷暑から解放されて凌ぎ易い一日になりました。久しぶりに朝から午後まで工房で過ごし、新作の5点目になる陶彫成形を行ないました。陶彫の制作工程の中で、成形こそが唯一立体を作り上げる工程で、彫刻的に言えば一番面白い作業です。現在作っている新作は単なる直方体に過ぎませんが、それでも立体が立ち上がることに喜びを感じます。新作は今までの作品に比べると、禁欲的な箱型が多く、形態の自由度が少ないと感じます。曲面を排除しているせいで、最近見に行った「きたれ、バウハウス」展のバウハウス・デザインに似た傾向の造形になっているなぁと思います。ただし、あくまでも私が作っているのは彫刻であって日用品ではありません。バウハウスのように日常生活に簡潔なデザインを取り入れて、当時の時代を先取りした様式を私が試しているわけではありません。他の素材ではなく最終コントロールが難しい焼成が必要になる陶土を使って幾何的な直方体を作るのは、素材有効性を無視した困難な道を行くようなものですが、そこに創作物としての緊張度が増すように私は考えているのです。今日も陶土で平らな面を立ち上げ、出来るだけ歪まないような手作業を施しました。今日は酷暑ではなかったのですが、精神的な働きのせいで汗が流れてシャツをびっしょりにしました。今日は久しぶりに10代のスタッフが3人、工房に顔を出しました。2人が美大受験生、1人は文学系の高校生で、それぞれの課題を黙々とやっていました。工房に関わりのある子たちは、昔からおしゃべりではなく、工房で過ごす数時間を自己を見つめて何かしらの表現をしています。現在出入りしている子たちも例外ではありません。そんな私は若いスタッフに気分的に助けられています。暗黙で私の背中を押してくれているように感じるからです。自己表現は実のところ大変なエネルギーを必要としています。満足も得られますが、地道な努力ばかりで、成果を得るのには時間もかかります。それでも美術が好きで彼女たちは集まってくると言っても過言ではありません。また来週末に頑張る予定です。
2020.08.22 Saturday
週末になりました。今週から職場での仕事が始まっていて、漸く1週間が経った気分で、今週は長く感じました。職場では職種に関係する論文を書かなければならず、締め切りの金曜日にやっと間に合わせたことが、今週を振り返ると苦しかったなぁと思っています。このNOTE(ブログ)のように思いついたまま気楽に書けるといいのですが、仕事となるとそういうわけにはいきません。序論から本論に繋がるところはどうだったのだろう、まとめとしての考察は月並みなものになってしまったなぁと、自分の役職としての浅はかな思考に嫌悪感さえ覚えます。やっと週末になり、創作活動に頭を切り替えて、新作の陶彫に取り組みました。新作は5点目の陶彫制作に入ることになり、今日はその土練りを行ないました。土練りと明日の成形のためのタタラ作りは、慣れているとはいえ、単純な肉体労働で骨が折れます。炎暑はちょっと落ち着いた感じがありますが、それでも午前中だけで汗が滴り、自宅から持参した水分はカラになりました。午後1時まで頑張って工房にいましたが、今日の最低ラインのノルマを達したところで工房を後にしました。まだまだ夏の暑さは半端ないなぁと感じています。午後は自宅で少々休んでからRECORDの追い込み制作に精を出しました。このところ休日は午前中に陶彫制作を工房でやって、午後からは自宅でRECORD制作をやっています。アクリルガッシュは色別に分けないで大きな箱にバラバラにして入れていますが、足りない色彩が出てきたり、面相筆の機能が落ちたりしていて、毎日やっているといろいろなところに支障が出てきます。RECORDに使う厚紙ボードもうっかりしていると足りなくなります。塵も積もればの諺通り、毎日の実践習慣は大したものだなぁと思わざるを得ません。明日は工房で陶彫成形に励みます。
2020.08.21 Friday
先日見に行った東京ステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展では、バウハウスの教壇に立っていたロシア人画家ヴァシリー・カンディンスキーに関する資料が展示されていました。昨日は同じ立場にいたパウル・クレーについて書きましたが、カンディンスキーも自身の作品の他に、彼に師事した学生作品も展示されていました。カンディンスキーは「芸術における精神的なもの」を著した抽象絵画の旗手として、20世紀の前衛美術を牽引したことでも知られています。図録からカンディンスキーの授業に関する箇所を引用いたします。「カンディンスキーは、形態では点ー線ー面の分析から、色彩ではその基本要素である寒ー暖(青ー黄)、明ー暗(白ー黒)の対比から講義を進めた。また彼独自の観点から形態と色彩を結びつける見解を示して、大きな反響を巻き起こした。『分析的デッサン』は、正確に対象を見ることと構成的に絵をまとめることを目的として行われた。教室の一角に無造作に積み上げた机や椅子、ハンガーや箒、あるいは自転車などの混沌とした物のかたまりの中から、いくつかの単純な基本的形態と、カンディンスキーがいうところの『緊張』(シュパヌングSpannung)という造形関係を見いだし、全体の構造を理解し表現する。それは全体の簡単なデッサンから始まって、いくつかの段階を経て、緊張関係の抽出へと至る。それはまるで抽象画のプロセスである。学生の習作を見ると、この授業がバウハウス初期のヴァイマール時代から始まって、彼の授業の中核として行なわれ続けていたこと、そして表現に工夫がなされてきたことがわかる。」理論家であったカンディンスキーは、自らが論考した抽象への過程を、造形の基礎教育を補完する役割として学生に対して実践していたことが明らかになっています。学生が試みた分析的デッサンは、大まかなアウトラインを描いた後、定規やコンパスを使いながらアウトラインを取捨選択し、制作過程が一目で分かるような習作になっていました。当時、バウハウスに留学していた日本人学生も、この授業を日本に紹介していて、日本の造形教育の中にも取り込まれていたようです。
2020.08.20 Thursday
先日見に行った東京ステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展では、バウハウスの教壇に立っていたドイツ人画家パウル・クレーの作品の他に、クレーに師事した学生たちの作品もあり、大いに興味を持ちました。図録によるとクレーが授業を担当したのは1921年に着任し、1931年に退職するまでの10年間だったようです。図録からパウル・クレーの授業についての箇所を引用いたします。「パウル・クレーは、イッテン(後にはアルバース)の予備課程を終えた学生を対象に、造形論の講義をおこない、形態と色彩について教えた。彼は、生来の几帳面な性格から、膨大な量の講義ノートを残しており、それによって授業の詳細を知ることができる。週1回の授業があり、講義の週とそれについての演習の週が交互にあった。みずから『形式的手段とのおつきあい』と呼ぶ彼の授業は、造形を『運動』と『成長』という観点から説明する独特なもので、線から面、空間そして構造から運動(螺旋や矢印)へと講義は進んだ。クレーにかかると線は意志をもって走り、あるときは逡巡し、形は生物学的に、そして数学的に解析される。数式が多用されるが、これまでに学生が習ってきた数学とはまったく異なる世界が広がる。色彩についても振り子と螺旋という2つの運動から説明した。必要があれば両手にチョークをもち、2本の線や文字を同時に書きながら説明することもあったという。毎回の講義の終わりに出される演習の課題もまたユニークだった。」図版を見ると、学生作品はいずれも製図の書き始めのようで、禁欲的な線と面が丁寧に画面に書き込まれています。旧態依然とした芸術アカデミーのデッサンから始める造形活動とは、まるで異なるアプローチで造形教育を捉えていたことが分かります。教育者としてのクレーはどうだったのか、私には推し量ることは出来ませんが、存在感のあったクレーのもとで学ぶことは、それなりの覚悟はあったのではないかと信じたくもなります。クレー自身の絵画は技巧的にも理論的にも模倣が出来ないと私は思っています。