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  • NOTEから見えてくること
    NOTE(ブログ)は、2006年3月16日から書き始めています。NOTE(ブログ)を始めて数か月は時々アップする状況でしたが、その年の後半から毎日書くようになり、10年以上にわたって就寝前の時間帯にパソコンに向かう習慣が定着しました。今日を加えると4389日分のNOTE(ブログ)をホームページにアップしています。日記としてその日の記録を残したものは、全体を見ると意外に少なく、週末の陶彫の制作状況を書いたものがほとんどを占めています。アーカイブを読むと、その時の焦りや憤りが甦ってきます。創作活動は強烈なインパクトがあるのだろうと振り返っています。陶彫だけではなく、RECORDのこともその日の気分がよく伝わります。普段は苦しんだことなど忘れているのに、NOTE(ブログ)には苦悩が刻まれていて、自分の足跡がよく掴めます。鑑賞では、美術展や映画やその他のことで詳しい感想を載せていますが、そのためか印象が鮮明になっているのが嬉しい限りです。こうした鑑賞した展覧会や演目の選択でも自分の嗜好が現れていて、自分の求めようとする何かが浮き彫りになっています。創作活動や鑑賞を通して、私は自分探しをしているのだろうと思います。若い頃に滞在した欧州のウィーンや当時旅した東欧やエーゲ海沿岸、最近になって夏に旅しているアジア各国も、自分を探しに出かけていると言っても過言ではありません。ここ10年で読んだ書籍にしても自分探しという意味では同じと考えています。その記憶や記録をNOTE(ブログ)に残すことが出来るのは幸福なことだなぁと思っているところです。
    イサム・ノグチの陶彫について
    「(イサム・ノグチの)五〇年代の陶器彫刻群は、はるかにそのイメージや題材も広がりは大きい。だが、系譜から言うと、シュルレアリスムの有機性と、縄文やら弥生やらのアルカイック・インスピレーションがふたつの柱であるのは変わりないが、土の質感がはるかに活き活きしているのは、第一級の職人や材料が勢ぞろいした魯山人のアトリエや、備前の金重陶陽の窯場で仕事ができた、陶芸的環境のためであるのは、言うまでもない。」これは現在読んでいる「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)の中に出てくる陶彫に関する文章です。陶彫の創始者として八木一夫ら走泥社の活躍が挙げられますが、その契機となったのがイサム・ノグチの陶彫でした。イサム・ノグチと同世代の美術評論家瀧口修造は、有史前の日本の埴輪や土器に関して、それらが現代を生きる芸術文化に大きな意味を与えている自論を唱えていました。それをそのままイサム・ノグチ論として読み替えられるのではないかと著者は指摘しています。文中から拾うと「瀧口は縄文、弥生、古墳という『世界で最も古い土器文化』の美を『生きる必要に迫られたときにつくりだす緊張した形のユニフォーミティ(一様性)』としながら、それを『地域を越えた形態感覚』と見る。用途も、ものとしての分類も不可能な、『未分化の造形』である。絵画、彫刻、工芸といった美術史的な分類ももう、無効なのである。『緊張した形の結晶』である縄文土器は、『実用の容器をこのような比類のない精神のモニュメント(記念物)にまで高めることができた』もの、古墳前期の鍬形石の『モニュメンタルな緊張した抽象性』、縄文土器の『非合理な造形性』、弥生土器の『静かな空間のなかの遊戯精神の現れ』、『手の初発的なういういしさ』、『機能的な形態感覚』、そして縄文土器の『呪術の世界にもたくまざるユーモア』。そしてさらに、それらは究極的には、『むしろ人間に対する巨大な他者を対象としていたのではないか』と問う。」とありました。『』は瀧口修造の語彙をそのまま借用したらしく、ノグチの陶彫を切り口に、瀧口流の大きな捉えと考察に、私は興味が尽きません。
    イメージ力を保つために…
    昨日、筋肉を保つために…というNOTE(ブログ)を書いていて、ふと思ったことは身体の筋肉だけではなく、頭脳でも持続力を保たなければならないのではないか、それを保つために何が必要なのか考えました。頭脳を使うことは、職場で言うところの課題解決力、それは問題が生じた時の組織的行動力や情報共有力、普段から身に付けておきたいコミュニケーション力や人との気遣いも含まれると考えています。創作活動ではどうかというと、やはり新しいイメージをキャッチできる力でしょうか。それは突如として湧いてくるものではなく、現行作品の制作に苦しんでいる時にイメージが降ってきたりするものです。それは体力を保つためのトレーニングにも似ていると感じています。日々新しい作品を作らなければならないRECORDはその最たるもので、イメージ・トレーニングには有効です。最近になって筋肉の衰えを感じ始めている私は、イメージ力はまだ保てているのではないかと自負しています。新作の彫刻も年々ハードルを上げて、クオリティをいかに高めるかを追求しています。その意欲があるうちはまだまだ大丈夫と自分に言い聞かせています。よく散歩で工房にやってくる年齢が一回り上の先輩が、最近意欲がなくなったと嘆いていますが、自分の頭脳の持続力はどうなんでしょうか。70代、80代でも彫刻に挑み続けられるのでしょうか。師匠の池田宗弘先生を見ていると、自分はまだこれからが勝負だと決意を新たに出来ます。確かに創作活動では60代で漸くスタートラインに立てたように思えるのです。葛飾北斎の画業を仰ぎ見て、意欲を奮い立たせている私がいます。
    週末 筋肉を保つために…
    週末ごとに陶彫制作に取り組み、その陶彫部品を集めて大きな集合彫刻を作っています。今は7月の個展に向けて陶彫部品ひとつずつをエアキャップで包んで箱詰めをしています。梱包作業は来週まで続きそうです。昼間作業に精を出している時は、あまり気にしていませんが、朝晩気を抜いている時は、手足の筋肉が緩んで力が入らないのです。昔はそうではなかったので、加齢のせいなのかどうかわかりませんが、ヨレヨレする時があるのです。疲労感もあります。毎週日曜日に近隣のスポーツ施設に水泳に出かけますが、五十肩を患ってから腕が回し難くなったのは確かです。現在五十肩は完治していますが、腕が上がり難いのです。水泳で言えば、水中での身体のラインが作れないため、身体の中心がブレます。水流と言うか水の体感によって、身体が伸びきれていないのがわかります。今後泳ぐ距離を少しずつ増やしていこうと考えていて、それで何とか筋肉を保てないものか、大真面目に考えています。足腰は丈夫な方なので、駅では出来るだけ階段を使おうか、歩けるところは歩いていこうか、いろいろなところで筋肉を使う場面を持とうと思っています。職場ではデスクワークが多いので、週末くらいは身体を使っていきたいのです。幸い彫刻制作は肉体労働なので、額に汗して頑張る場面が多いのですが、スポーツとは違うので、筋肉をバランスよく使うことはしていません。今日はそんなことを考えながら梱包作業に取り組みました。来週末も継続です。
    週末 個展準備が着々と…
    先日の夜、カメラマンが自宅にやってきて、印刷が終わった個展の案内状を届けてくれました。昨日、職場外であった会議の後、ギャラリーせいほうに立ち寄り、案内状1000枚を届けました。個展準備が着々と進んでいます。例年個展は同じようなスケジュールでありながら、毎年異なる新作のため、心配の種は尽きません。とりわけ「発掘~根景~」のテーブル部分の設置は大丈夫なのか、撮影の時のように柱を4本しっかり立てられるのか、そこが一番の課題です。今日は朝から工房に行って、梱包用の木箱を作っていました。木箱は20個近くになりましたが、陶彫部品を全て入れることは不可能です。でもどうにか木箱の数は確定しそうです。そろそろ気になっているのはこの作品の収納場所です。それは追々考えていくとして、まだ不足している材料があるのです。夕方、日曜大工センターに出かけてエアキャップを追加購入してきました。それにしても個展の搬入前ですが、精神的な疲労感が出てきてしまいました。でも創作活動に対する疲労はありません。新しいイメージが湧いてきて、現在も自分を虜にしていますが、目前の作業に対する疲労感は、どうにもならないなぁと思っています。それはRECORDも同じです。最初のイメージはあれど、仕上げが後回しになってしまう悪癖が出ています。これを何とかしなければなりません。