2018.06.17 Sunday
梱包作業のリフレッシュのために適度に鑑賞の機会を入れています。今日も昨日に続き、午後は鑑賞を入れました。今朝は7時から工房に篭り、梱包用木箱に陶彫部品を収め始めました。作った木箱は9個。カットしたベニヤ板がなくなったので、これ以上木箱が作れず、ひとまず9個の梱包をやったのでした。全体の陶彫部品の3分の1くらいが木箱に収まりました。う~ん、木箱は20個では足りないかもしれません。来週のウィークディの仕事帰りに材木店に行って、ベニヤ板をカットしてもらおうと思っています。昼ごろになって、家内を誘って美術館巡りに出かけました。初めに行ったのは東京駒場の日本民藝館。私は久しぶりにここを訪れました。瀟洒な住宅街の中に、日本らしい蔵作りの民藝館がありました。ここは展示空間が素敵です。民藝運動を牽引した柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司らが求めたさまざまな民芸品が、蔵作りのモダンな展示室に置かれていて、気分が解放されます。今回はNHK番組で紹介された染色家の個展が開催されていたので鑑賞に訪れたのでした。「柚木沙弥郎の染色」展は、動物や植物の象徴化されたパターンから斬新な幾何抽象まで、布に染め上げた作品の色彩が美しく、とりわけ私が惹かれたのはアフリカやアジアの仮面と一緒に展示された布が、何とも不思議な調和を醸し出していたことでした。休日だったため、日本民藝館は混雑していて、図録も売れ切れていたことが残念でしたが、それでも感覚が刺激される瞬間が何度もありました。詳しい感想は後日改めます。次に向ったのは横浜美術館でした。横浜は地元なので、自宅近くに戻ってきたわけですが、「ヌード展」を開催していて、これは必ず見ようと思っていました。イギリスのテート・コレクション所蔵作品のうち、人体のヌードばかりを集めた企画で、なかなか面白いテーマだなぁと思いました。ロダン等の力作も多く、見応えもありました。これも詳しい感想は後日改めます。今週末は自作の梱包作業と鑑賞を組み合わせて、充実した時間を過ごしました。
2018.06.16 Saturday
週末になって朝から工房に籠って梱包作業をやっていました。「発掘~角景~」のテーブルや柱の梱包が終わり、ウィークディの連夜やっていた木箱作りに着手しました。そろそろ木箱が揃ってきたので、明日くらいから木箱に陶彫部品を収めてみようかなと思っています。あとどのくらい木箱が必要なのか確かめたいと思っているのです。午後2時になって梱包作業を中断しました。夕方、歌手のコンサートを予約していたので、横須賀芸術劇場へ向いました。往年の歌姫と呼んでいいものか、彼女は私が子どもの頃から憧れていた歌手の一人でした。公演は「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」。家内は胡弓の演奏会があったので、コンサートには私一人で出かけました。歌手加藤登紀子は、当時流行していたアイドルとは一線を画していて、数々の歌の意味合いがわかったのは、私が大学生になってからでした。政治や人権を主題にしたものや、歴史上の背景を纏った歌詞が、若かった私を刺激しました。私より世代が一回り上の人たちは大学紛争を体験し、美術界でもダダイズムが席巻していたのでした。時代に遅れてやってきた私は、アングラ劇に熱中したり、ミニシアターに通いながら、閉塞感のある社会に中途半端に嘆く日々を送っていました。和製フォークソングも自分を吐露する上で共感を覚えた媒体でした。歌手加藤登紀子はそんな捉えの中で存在感を放っていました。私は大学を終え、ヨーロッパの美術学校に出かけました。そこで出会った東欧の共産主義体制に生きる人々や、自由を求めた学生運動とその弾圧を知って、自分の成育歴にはなかった空気を感じたのでした。加藤登紀子の歌には、あの頃自分が肌で感じたヨーロッパの匂いが漂っています。彼女が歌っているロシア民謡は、私がルーマニアの片田舎から鉄条網越しに垣間見たウクライナの風景を思い出すのです。日本に育った私にとって身近ではなかったはずの環境、5年間の滞欧生活によって脳裏にすり込まれた冷戦時代の暗い記憶、それらが音楽によって呼び覚まされるようです。現在は情緒として懐かしくもありますが、20代の当時は暗中模索の中で生きていました。コンサートの詳しい感想は後日改めます。
2018.06.15 Friday
次なる新作のイメージは、現行の作品が佳境を迎えている最中に出てきます。私の場合は上空から降ってくるような感覚です。陶彫による集合彫刻は、相変わらず30年も前に旅した地中海沿岸の古代都市の遺跡が原点になっていますが、印象が鮮明だった初期の作品と照らし合わせてみると、イメージが少しずつ変わってきています。廃墟となった都市をイメージしていることに変わりはありませんが、自分の中で積み重ねてきたカタチと、初期イメージとの間でズレが生じていることも確かです。次なる新作のイメージは今までの作品を発展させたもので、「発掘~層塔~」や「発掘~群塔~」の範疇に入るかもしれません。つまり、再び塔を作ろうとしているのです。先月「発掘~根景~」を作っている途中で、床から立ち上がっていく陶彫部品が出来つつあった時に、床置きの高く積んだ景観を主題にした作品がボンヤリと降ってきて、しかも複数の塔が根で繋がっていく状態をイメージしていました。そこにコトバによる思索はなく、カタチそのものが現れてきていたのです。今までも自作に纏わるコトバは後追いです。私は思索することが大好きですが、思索からカタチを導き出す作家ではないと自覚しています。まずはカタチありきなので、浮かんだイメージをすぐに具現化したい欲求に駆られます。自分の胸中に少しの間イメージを寝かせることもしますが、紙にエスキースはしません。場合によっては雛形を作ることもありますが、個々の部品の角度を求めたり、全体構造に工夫が必要な時にだけ雛形を作っています。次なる新作は現行作品の梱包が終わり次第、取り掛かろうと思っています。
2018.06.14 Thursday
新作の撮影が終われば、多少なり時間的な余裕が生まれるだろうと期待していました。しかしながら、今年の作品は部品が多く、梱包は大変ではないかと思っていました。予想は的中し、陶彫部品を収めるための梱包用木箱をいったい幾つ作ればいいのか、見当がつきません。週末だけではやりきれないことが判明し、毎晩工房に通い、木箱作りを始めています。仕事から帰って、工房に行って木箱を作り、自宅に戻ってRECORDを制作、就寝前にパソコンに向かってNOTE(ブログ)を書く、こんな生活が続いています。昼間の仕事も決して楽ではなく、神経を使う場面も多くあるので、新作が完成した今でも骨が折れる仕事が待っています。現実逃避と言われようが、美術館や映画館に行きたいと常々願っていて、今後ストレスを溜めない方法を探らなければなりません。一難去ってまた一難といった塩梅です。素材が陶であるため、木箱は破損から守る目的で作っています。木箱用の板をどのくらいの厚みにするのか、今までもずっと考えてきて、陶彫部品が中に入ってもそれほど重くなく、外部の衝撃に耐えられる厚さがいいと思っています。木箱には釘を使います。その釘もどのくらいのサイズがいいのか、いろいろ試してきました。最後にガムテープで木箱全体を補強します。現在まで培った経験で木箱の大きさ、板の厚みを決めています。木箱はどんなに重くても2人で持ち上げられること、多少歪んでも壊れないこと、保存のために木箱を積み重ねて置くことがあるので、ある程度は頑丈にしておくこと、こんなことを考えながら作っています。ウィークディの夜は、RECORD制作やNOTE(ブログ)もあるので、木箱は1個ずつ作っています。週末にはまとめて作ろうと思います。
2018.06.13 Wednesday
「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み始めました。イサム・ノグチは日系アメリカ人の彫刻家で、現代美術に大きな業績を残し、NOTE(ブログ)にも度々登場する巨匠です。先月末に関西に出張した折、私は松尾大社で重森三玲が作った庭園を見ました。古来から継承される日本庭園に現代的解釈を加えた重森三玲の世界観は、忽ち私を魅了し、そこの空間から離れ難くなりました。その時、ふと私の脳裏を過ったのはイサム・ノグチの彫刻群が置かれたストーンサークルでした。イサム・ノグチも庭園を設計しています。その「庭の芸術」の観点からイサム・ノグチの作品全般を論じている本書は、重森三玲の世界に通じ、実際に庭園に触れたことが契機になって読んでみようと思ったのでした。私は亡父が造園業を営んでいたおかげで、庭園に対する興味関心がありましたが、私にとって造園は複雑な分野でした。彫刻に目覚めた学生時代から造園を意識するようになりました。しかしながら、それ以前は家業を手伝うことに反発があり、野外での肉体労働を嫌々やっていました。庭石の据え方、植木の刈込み、植木の移動、芝の手入れ、その全てに父の指示を受け、複数の職人との協働作業を行っていました。庭園が完成した時は、多少なり労苦が報われた感覚を持ちましたが、そこに芸術的視野を持つことができずに、悶々としていました。私の彫刻が、場を空間演出するようになって、初めて亡父が求めていた造園の概念との一致を果たすことができたのでした。そこに重森三玲とイサム・ノグチが登場し、私の関心は一気に「庭の芸術」に傾きました。本書では、庭は「ノグチの考える、自然とか、彼の独特な風景論を解く、鍵のように思われたからだ。」とあって、西欧の彫刻概念とは異なる何かがノグチに空間志向を与えたのではないか、また自然と遊離した文明が喪失したものを、ノグチが感じ取り、庭に向かわせたのではないか、「優れた芸術家に必須の霊感が、ノグチにそう予感させ、何かを促したに違いない。」とありました。これだけでも本書は面白さを感じさせる書籍です。通勤の友として楽しみながら読んでいこうと思います。