2018.06.07 Thursday
先日の夜、仕事から帰って夕食を済ませた後、急な思いつきで映画「ウィンストン・チャーチル」に行ってきました。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝き、しかもメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのは日本人の辻一弘氏。だからというわけではなく、時代背景に興味関心があった私は、これを是非見たいと願っていたのでした。失策を繰り返し、政界の嫌われ者になっていたチャーチルが「国難だから損な役割を押し付けられたものだ」という台詞がある通り、ナチスの脅威に曝されていた1940年5月にイギリスの首相に就任、そこからチャーチルの苦悩が始まります。初の演説で「私が差し出せるのは、血と労苦と涙、そして汗だけだ。」という台詞が印象的でした。さらに「人類の歴史のなかで、国民が血を流して戦った国家は、たとえ負けても必ず蘇っているが、血を流さないで降服した国家は歴史上から消滅している。」というチャーチルの主張が示す通り、側近から宥和政策を提案されても一蹴し、徹底抗戦を議会や国民に呼びかけるのでした。それには多大な犠牲も伴いました。チャーチルは全6巻からなる回顧録「第二次世界大戦」を1948年に出版し、ノーベル文学賞を獲得しています。ただここに書かれていないドイツとの交渉が模索されていた事実は、1970代になって公開された戦時内閣の閣議記録によって、人々が知るところとなりました。映画で描かれていたチャーチルの苦悩は、こうした資料が基になっているのでしょう。映画ではチャーチルが突如地下鉄に乗って、そこにいた人々の声に耳を傾ける場面がありました。これはフィクションですが、最後の閣議でのチャーチルの演説に説得力を与える演出として、つい身を乗り出してしまうほど面白い効果がありました。辻一弘氏のメイクは俳優をまるで別人に変えていて、しかも自然に肌の下の筋肉が動いて、チャーチルその人になっていました。顔面に接近した撮影もあったにもかかわらず、私はその技量に驚きを隠せませんでした。
2018.06.06 Wednesday
昨夜、常連になっている横浜の中心街にあるミニシアターに行ってきました。レイトショーは夜9時から始まったため、自宅に帰ったのが午前0時前でした。時間的に昨日のNOTE(ブログ)にアップできなかったので、本日これを書いています。日常の仕事で鬱積した気分を和らげるため、非日常の世界に浸るのが、私のストレス解消法です。週末は彫刻を作り、ウィークディの夜はRECORDを作っているのもそのためです。美術館や映画館に出かけるのも非日常の世界がそこにあるからです。時に現実逃避とも受け取られがちですが、そうでなくても精神のバランスをとるため、私には必要なことなのです。昨夜は私が急遽決めた映画鑑賞だったので、家内は同伴せず私一人で出かけました。観た映画は「ウィンストン・チャーチル」。第90回アカデミー賞の主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞の2冠に輝いたことで一躍脚光を浴びた映画です。日本で話題になったのは、メイクアップ&ヘアスタイリング賞に日本人の辻一弘氏が選ばれたことでした。チャーチルの風貌に似せるためのテクニックは素晴らしく、主演したゲイリー・オールドマンもチャーチルその人になりきっているように感じました。映画のテンポも歯切れよく、国家存亡の危機に直面している切迫した状況が伝わってきました。ヒットラーと和平交渉か徹底抗戦か、一歩間違えばナチスの支配下に置かれる瀕死の祖国。私たち観客は歴史上の結末を知っているだけに、チャーチルが支持する徹底抗戦に、当然のように軍配を上げていますが、実際に当時はどうだったのか、混乱渦巻く政治に緊迫感溢れる濃密な時間が過ぎていったことでしょう。そんな時代に連れて行ってもらった非日常の世界に、暫し時が経つのを忘れました。映画の詳しい感想は後日改めます。
2018.06.05 Tuesday
先日、読み終えた「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)の第五章では「トテゴリー」について考察しています。トテゴリーとは何か、章の扉に「ロゴスの見直し、西欧的文化伝統そのものの見直し、それをトテゴリーと呼ぶ」とありました。何かしっくりいかないので、本書の中を探ってみると、理性の自己検証に入らない感覚的なもの、たとえば神話の世界、神々による「宣り」が、雑駁に捉えればトテゴリーというわけです。トテゴリーの対比としてはカテゴリーがあり、範疇と訳されています。文中より「事物を人間の理解可能な範囲へ持って来ること、すなわち事物を『概念』へ変換すること、これがカテゴリーの役割である。~略~人間は生得的に『感覚する』能力と、『思考する』能力を持っている。思考する能力を《純粋悟性概念》といい、純粋悟性の機能はカテゴリーを介して発揮される。その意味で、カテゴリーは純粋悟性の『概念』なのである。」とありました。カテゴリーの説明によって、対比概念であるトテゴリーの意味が浮かび上がってきます。そうした論理の展開の中で、本書では現代芸術におけるトテゴリーを語っている部分があります。この引用を持って、本章のまとめにしたいと思っています。「思えば、ダダイストのデュシャンが『芸術は制度』にすぎぬことを発き、しかもこの『発き』の企てそのものを『芸術作品』に仕立てようとして以来、芸術は一方で建設的であり、また一方では破壊的であった。建設と破壊、それが芸術が『自己立法』の名の下にするトテゴリーであった。芸術のトテゴリー、一面で反省と実験である。しかし、それは『芸術』に与えられた制度的特権をもって、とことん自分を揶揄し曝しものにすることでもあった。自分を『茶にする』、『自分でおどけてみせる』ことまで、芸術のトテゴリーの課題にしたのである。哲学のトテゴリーには、思いも及ばぬ所である。」
2018.06.04 Monday
昨日、図録用の撮影が終わり、分解された陶彫部品があちらこちらに置かれた工房の室内は、さながら儚き夢の跡のような塩梅で、この夥しい数の陶彫部品を、7月の個展搬入のために、それぞれ梱包していくのが今月の目標になりそうです。創作活動とは異なり、梱包の作業は退屈です。しかし、これは重要な作業であることも確かです。彫刻作品は収納に幅を取り、大変厄介な代物ですが、きちんと保存管理をしておかないと作品は徐々に失われていきます。私は陶彫部品を複数入れられる木箱を自分で作っています。木箱には作品名と陶彫部品の番号を書き込んでいます。同じ木箱が倉庫に山のように積まれているため、その整理もしなくてはなりません。新作をどこに置くか、軽いものならロフトに上げますが、陶彫部品の木箱は重量があるため、1階倉庫を使うことになるでしょう。最近は木箱が増えてきて収納が厳しくなってきました。個展も今回で13回目になるので、作品の保存管理を今後どうしようか思案中です。私の場合、工房を作業部分と倉庫部分に分けていて、収納だけのために倉庫を借りている同業者に比べると幸運と言えます。そんな環境で制作できる幸せを噛み締めながら、それでも倉庫部分の拡張を今後考えていく必要がありそうです。今月は美術館や映画館にも積極的に出かけ、鑑賞を充実させたいと思っています。今月も週末全てを使えない状況ですが、鑑賞や読書を楽しみつつ、作品梱包を進めていきます。RECORDは僅かばかりの遅れがあって、今のうちに遅れを取り戻そうと考えています。今月はRECORDが唯一の創作活動になります。この小さな平面世界を大切にしていきたいと思っています。
2018.06.03 Sunday
いよいよ新作の撮影日がやってきました。私は朝7時に工房に出かけ、昨日準備しておいた作品を構成するそれぞれの部品を点検しました。私の作品は陶彫部品を組み合わせる集合彫刻です。全体を組み立てるのは、図録用撮影日の今日が最初なのです。緊張と不安が交差する圧迫感に苛まれ、朝から落ち着いていられない精神状態でした。9時半になるとスタッフが続々と工房に来てくれました。自作と言えども自分一人では組み立てられない私の作品は、スタッフがいないとどうにもならない作品なのです。10時にカメラマン2人が到着し、「発掘~根景~」と「発掘~角景~」の部品を野外工房に運びました。まず、「発掘~根景~」の組み立てから始めました。4本の柱にそれぞれ女性スタッフが齧りつき、その上に男性スタッフがテーブルを設置しました。テーブルと柱は補強金具で留めて、陶彫部品をひとつずつ吊り下げる作業に移りました。吊り下げが終わった後、床置きの陶彫部品を設置しました。部品を上部に積んでいって、吊り下げた部品の内部に床置き部品の上部が入るようにしました。最後に床を伸びていく根にあたる陶彫部品を設置して、「発掘~根景~」は出来上がりました。これに比べると「発掘~角景~」は簡単に組み立てが終わりました。野外工房での撮影は、スタッフが作品設置している姿を撮ったものや、それぞれの全体像や部分の接写もあり、昼過ぎまでやっていました。今日は真夏を思わせる炎天下で、野外での作品の陰影がハッキリ出ていました。新緑も美しく、眩い光が溢れていました。私はスタッフの熱中症を心配しました。昼食は毎年やっているピザ店からのデリバリーで、飲み物や菓子は昨夜用意したものでした。工房には小さな冷蔵庫があるので、水分は冷やしていました。午後は野外設置した作品を、一旦分解し、工房内に持ち込んで、再び組み立てる作業がありました。室内でカメラマンは照明を使うので、作品の印象が変わります。スタッフも私も疲れが多少出ていましたが、よく頑張ったなぁと思いました。何とか夕方4時までに撮影も終了し、安堵感が広がりました。ずっと私を圧迫していた緊張の糸が緩み、一気に疲労感に襲われました。ひとまず撮影は成功、自作がイメージ通りだったことに私は満足を覚えました。よくやってくれたスタッフの皆さんに感謝申し上げます。最後は皆さんの力によって私の作品は完成できたと思っています。本当に有難うございました。