2018.06.02 Saturday
6月最初の週末を迎えました。明日を図録用撮影日にしているため、今日はその準備に奔走しました。毎回のことでどんなに準備万端と思っていても小さなミスはあるものです。早速陶彫作品の組み立てに使う金具の寸法が違っていて、その僅かなことで日用品店に出かけました。まだ何か不測の事態が起きることも想定して、今日は一日中落ち着かない気持ちでいました。「発掘~根景~」の柱に陶板を貼り付ける作業がまだ残っていて、かなりの時間を費やしました。柱陶は大変な重量になり、作業台から壁に移動するにも一人で奮闘していました。時計を確認すると夜9時を回っていました。今日の頑張りがきっと明日に幸運を齎すと私は信じていて、撮影日の前日は例年早朝から夜遅い時間まで、工房に篭っていることがあります。今年も例外ではなく、長い時間をあれこれ気を回しながら、細かな箇所を点検していました。創作作品の産みの苦しさと言うべきか、今までやってきたことが全て結果として、明日で試されるのです。私の作品は個展搬入がゴールではなく、図録用撮影がある明日がゴールなのです。組み立ててみて初めて気づくこともあります。明日の組み立てがイメージ通りになることを祈りつつ、万が一明日の組み立てが不可能となった時は、図録や案内状の印刷が間に合わないことにもなりかねません。完成までの綱渡りは今日が最後です。そんなことを考え出すと、工房を離れられず、今なら不足するものがあっても、まだ間に合うと思ってしまいます。身体が動かなくなって、やっと自宅に戻りました。明日も早朝に工房に出かけていって、再度確認をしたいと思います。
2018.06.01 Friday
6月になりました。昨日まで関西に行っていた関係で、5月のまとめが出来ていません。まず、先月を振り返ってみることから書き始めます。5月は陶彫制作に精一杯取り組んでいました。5月は連休があり、制作日が多く取れたことが幸いして、「発掘~根景~」の柱陶制作から始まり、同作品のテーブル部分の塗装、「発掘~角景~」の柱の木彫、テーブル部分の刳り貫き作業と砂マチエール、「陶紋」4点の制作、印章の準備など、数え上げればかなり多くの作業をやっていたことになります。ウィークディの夜も頻繁に工房に通いました。陶彫部品は全て完成して、あとは組み立てるだけになっています。図録用の撮影が済むまでは心配の種はつきませんが、1ヶ月の創作活動とすれば疲れた身体に鞭を打って頑張れたように思っています。精神がフロー状態になることを度々経験しました。昼間の仕事も、休日出勤があったり、野外イベントがあったり、関西へ2泊3日の出張があったりして多忙でした。美術鑑賞では「ジョルジュ・ブラック展」(パナソニック汐留ミュージアム)、「プラド美術館展」(国立西洋美術館)、「エリオット・アーウィット展」(何必館・京都現代美術館)の3つ、映画鑑賞では「北斎」、「馬を放つ」(どちらもシネマジャック&ベティ)の2本、その他に京都の松尾大社の庭園や東寺の仏像を鑑賞してきました。 5月は鑑賞もよく出かけていたと自負しています。夜の工房に通っていた影響で、RECORDが多少滞っていますが、まだ下書きの山積みはそれほどでもないので、すぐ挽回できると思っています。鞄に携帯していたアートと美学に関する書籍は読み終わりました。京都へ行く新幹線の中で最後の章を読んでいました。まとめは来月早々NOTE(ブログ)にアップいたします。さて、6月ですが、図録用撮影が頭から離れず、先々のことが考えられない状態です。6月3日が過ぎれば、その先のことが計画できるだろうと思っています。6月の目標を立てるのは3日以降にします。
2018.05.31 Thursday
作庭家重森三玲は幾たびかNOTE(ブログ)に登場していて、私が関心を寄せる作家の一人です。亡父が造園業をやっていて、そこで育った自分の生育歴と重森三玲の仕事が重なっているのかもしれません。私は自然石の組み方を亡父に教わったことがあり、小さな個人庭園の飛び石を職人さんたちと協力して施工したこともありました。学生時代に自分がバイトでやっていた中途半端な職人紛いの仕事とは違い、重森三玲の庭園はスケールと空間の解釈に圧倒的な迫力があって、古来から伝わる庭園の知識の上に成り立つ現代の庭園のあり方を示しているのではないかと考えています。以前東福寺を訪れた時、あまりにも現代的な石庭が眼前に広がっていて驚いた記憶が今も甦ります。今日は初めて嵐山の松尾大社に行き、重森三玲が作った幾つかの庭園を見る機会を得ました。「上古の庭」「曲水の庭」「蓬莱の庭」そこに即興的に作られた庭を加えると4つの庭園が松尾大社にありました。「蓬莱の庭」は三玲の遺作となり、長男が三玲の遺志を継いで完成させたようです。私が心から楽しんだのは「曲水の庭」でした。奈良時代にあった曲水式庭園を範として作られたようで、うねるような水の流れ、サツキの大きな刈り込みが緑泥方岩と相俟って、人工的な美しさを感じました。高い木々が一切ないことも上部に開放感があって、私の視点に叶っていました。それは場を演出する彫刻群を見ているようで、イサムノグチのストーンサークルに通じる造形感覚を、そこに見取りました。自然石と自然石との間に、見えない糸が張り巡らされていると想像すると、全体の構成が緩急を極めていて、空間美の説得力があると思いました。また来る機会があるでしょうか。庭園内をウロウロ歩きながら、再訪を誓いました。
2018.05.30 Wednesday
京都にある何必館・京都現代美術館で開催していた 「エリオット・アーウィット展」を見てきました。エリオット・アーウィットは1928年パリで生まれた写真家で、戦禍を逃れてアメリカに渡り、フォトジャーナリストとして有名になりました。25歳の若さで写真家集団マグナムの一員となり、高い評価を得たようです。J・F・ケネディ大統領や、キューバの革命家チェ・ゲバラ、女優マリリン・モンローなど、20世紀を代表する著名人を多く撮影していました。でも私が関心を持ったのは、何気ない日常の瞬間です。子供たちや散歩する犬に向けられたカメラにドキッとするような場面がありました。銃弾が当たった車のガラス窓の向こうに少年の顔があり、蜘蛛の巣状に罅割れたガラス越しに少年の右目が隠れていたり、荷台にバゲットを2本積んだ自転車に乗った父と子が同じベレー帽を被っていたり、社会的な揶揄とユーモアに溢れたエリオット・アーウィットの世界観は、祇園界隈の雑踏を暫し忘れさせてくれました。写真は時にモノクロの方が主張がはっきりと感じられるのではないかと思うことがあります。モノクロでも充分色彩を感じさせるものが写真にはあります。寧ろ余計な説明がない分、力強く訴えてくるのです。写真は一瞬を捉えていく技巧で、刹那な時間を永遠に閉じ込めてしまう表現です。誰にも出来るようでいて、誰にも出来ない表現でもあります。美しさを追求したものもあれば、社会的告発を主題にしたものまで多様です。エリオット・アーウィットの世界観は単なる記録とは違い、人間や動物が一瞬見せる表情を捉えて逃がしません。そこに面白さを感じるのが写真展の醍醐味です。
2018.05.29 Tuesday
私たちの職種は1年間に1回は宿泊を伴う出張があります。横浜市に100以上ある職場の内、京都府や奈良県に行くケースが多く、私の職場では今日から大阪、京都、奈良を回る2泊3日の出張がありました。私は全体の責任職として同行しましたが、仕事の実務は職員が行っているため、私には多少の時間的余裕が出来ます。その時間を利用して、例年社寺を回ったり、美術館に立ち寄ったりしています。今回の関西出張では、京都の松尾大社、東寺、それと何必館に行こうと思っていました。松尾大社は作庭家重森三玲の庭園があり、まだ実際の庭園を見たことがなかったので、機会があったら幸いと考えていました。東福寺にある重森三玲の庭園は幾度となく訪れていて、その度に石が点在する空間に刺激を受けていました。彫刻は場を創出する芸術なので、庭園に近い存在であろうと思っています。禅寺の古い庭園も学ぶべき空間がありますが、現代に通じる重森三玲の庭園は自分にとって身近です。東寺は立体曼荼羅というべき仏像が林立する空間があり、ここにも魅力を感じています。密教や曼荼羅に私は疎いので、これから勉強したい分野なのです。何必館は現代美術を扱う美術館で、祇園の近くにあります。北大路魯山人のコレクションで知られる美術館で、その5階に小さな室内庭園があり、私は過去度々訪れて、ここを眺めては心を潤してきました。仕事での緊急対応がなければ、京都の祇園界隈は散策にはとても良い場所だと思っています。因みに店舗と喫茶を併設している鍵善良房は私のお気に入りの和菓子店で、喫茶ではくずきりを注文します。そんな関西出張を楽しみたいと思っています。