2017.09.28 Thursday
本書「オブジェを持った無産者」(赤瀬川原平著 河出書房新社)は、1970年に現代思潮社より刊行された書籍で、2015年になって河出書房新社から再刊されたものです。私は今年の6月に出張で京都に行った折に、立ち寄った書店で見つけ、装丁が気に入って購入しました。故赤瀬川原平の造形から文書に至る多くの作品は、私に刺激を与え続けてきましたが、本書の中心的な話題は1966年にあった「千円札裁判」で、当時小学生だった私は、この前衛芸術が法的な裁きを受ける現場にも立ち会っていなかったし、事件すら知らなかったのでした。ずっと後になって美術家の道を志した私は、大学の先輩にこんな人がいて、初期の頃に芸術作品をもって検察に立ち向かった前衛作家の果敢な行為を知り、その作品を理解すればするほど魅力に抗えないようになりました。確か千葉で開催された回顧展の最中にご本人が逝去されたのではないかと記憶しています。赤瀬川原平の著作は自宅の書棚に数冊ありますが、「オブジェを持った無産者」は著述家赤瀬川原平としての出発点だったようです。日本に反芸術運動が起こって社会問題になった時代は、乗り遅れた世代の私には少々羨ましい時代でもありました。破壊と創造が解り易いカタチで眼前に広がる光景を見てみたかったなぁと今でも思っています。本書を読んで、少しでもその時代の空気に触れられたら幸いと思っています。本書を数頁捲ってみると、結構難解な箇所が目につきます。著述家赤瀬川原平の先鋭的な思想が表れた瑞々しいものではないかと想像するところですが、通勤の友にしていこうと思います。
2017.09.27 Wednesday
8月はまったく読書をしなかったため、今日取り上げる「スーラとシェレ」(セゴレーヌ・ルメン著 吉田紀子訳 三元社)は7月25日から読み始めて、9月も終わりに近づく今になって漸く読み終わった次第です。遅読甚だしき言い訳として、「奇想の系譜」と「マルセル・デュシャン全著作」も同時に読んでいて、三つ巴の乱読があったためですが、この若い頃から続く私の癖はそろそろ止めようと思っているところです。「スーラとシェレ」は19世紀から20世紀に至る美術史の動向の中で、従来の絵画とポスターに代表される大衆美術との関わりを論考したもので、面白く読ませていただきました。著者ルメンに関して訳者が寄せている文章を引用すると「ルメンの研究に通底する手法を一言で述べるならば、未公開の資料として、これまで検証対象として扱われることの少なかった十九世紀フランスのポピュラー・イメージを貪欲に掘り起こして調査し、そうした実証的な手続きによる事実解明を、最新の文化研究の理論と対峙させるというものである。~略~モダニズムが等閑に付してきた、十九世紀の”純粋芸術”と”大衆芸術”との間で交わされたダイナミックなイメージの乗り入れを解き明かす作業が、この時期、美術史の新たな課題として浮上したのである。」とありました。ジョルジュ・スーラは新印象派の画家で、点描を考案したことはあまりにも有名です。ジュール・シェレはサーカスのポスターを数多く手がけたイラストレーターで、作品が大衆に迎合した媒体であったため忘却の一途を辿りましたが、シェレの視覚表現に斬新さを感じ、その要素をスーラが絵画に取り入れていたことは、私も知りませんでした。パフォーマンスの代表でもあったサーカスを通じて、2人の芸術家が結びついていた事実に、絵画表現を革新する動きは、思わぬところから始まっていくことを知った著作でした。
2017.09.26 Tuesday
私の立体作品は窯に入れて焼成する陶の技法を用いています。彫刻、陶芸、絵画の3分野に跨る制作方法を取っていて、手間のかかる制作工程と言えます。まずは陶土を使って立体を作ります。これは彫刻です。立体の持つ構成や量感に重点をおいて作っているのです。立体の内側は空洞になっていて、これは焼成する際に壊れにくくするためで、陶芸では定番となっている方法です。陶土で作った立体の表面には彫り込み加飾を施します。これはレリーフですが、彫刻的な捉えをしていません。立体を際立たせる効果はありますが、あくまでも平面的な彫り込みです。文様を彫り込むことによって古代の装いを作品に付加するのです。いわば絵画性の強い装飾です。この彫り込み加飾は、やや硬化した陶土の表面に鉄筆で線を入れ、また線で囲んだ部分の陶土を掻き出していくのです。専用へラである深さまで削っていく作業によって、立体性と平面性を兼ねた表現が出てきます。矩形による規則正しい凹凸を加えることで、立体はその角度によって微妙な陰影を加えます。窯に入れ、炎神の威力によって陶彫は立体と平面が一体化した作品になっていくのです。そんな意味でも彫り込み加飾は重要な工程です。最近では彫り込み加飾をウィークディの夜にやっています。立体として全体を把握する必要がないので工房内を歩き回ることがなく、作業台に照明を当てながら、部分を削る作業をしているのです。夜の方が加飾に集中できるかなぁと思っています。
2017.09.25 Monday
昨日で終了した展覧会を取り上げるのは些か恐縮ですが、私は個人的に奇想の芸術が大好きなので、詳しい感想を述べさせていただきます。ベルギーという中央ヨーロッパに位置する国について私は深く考えたことがなく、20代の頃ウィーンに住んでいた時に、首都ブリュッセルと古都ブリュージュに立ち寄ったことがありました。ベルギーは緯度が高いわりに気候が穏やかであり、その歴史からすれば多くの周辺国の支配を受けていて、独立を果たしたのは1830年だったようです。絵画史で有名なフランドル地方はベルギーにあり、中世から伝わる写実主義描写に加えてキリスト教の神や悪霊の存在が信じられていて、その具現化に携わった画家ボスやブリューゲルはあまりに有名です。本展にはルーベンスの絵画も出品されていて、やや違和感がありましたが、図録の文中にその説明がありました。「ボスやブリューゲルの手により、いわば『フランドル的な』異種混同の悪魔に埋め尽くされていた『地獄』の情景は、巨匠ルーベンスによって、イタリア的な要素と結びつき、キリストの戦士たちの勝利を観る者に強く印象づけるバロック美術特有のドラマティックな構図へと生まれ変わっている。」(廣川暁生著)さらに本展には、近現代の画家マグリットやアンソールも出品されていて、ベルギー美術全体を俯瞰できる内容になっていました。現代に通じる部分に関してはこんな一文が図録に掲載されていました。「ベルギーのアート(とアーティスト)のヴィジョンは、世界で進行中の事象に対するほぼ地理的に持って生まれた受容性と、また、その覚醒した意識の武器=ほぼ生物学的に生来のアイロニーのセンスとして、定義することができる。」(伊藤伸子著)どこか覚めた感覚というか、乾いたユーモアをベルギー現代美術を見て私は感じましたが、宗教から離れた事象に関しても、奇想が現代社会に生きていて、それが芸術家を動かしているパワーになっていると思いました。
2017.09.24 Sunday
新作のテーブル彫刻の床に配置する陶彫部品は6個あります。今日は最終である6個目の成形を行いました。昨日は東京の美術館や画廊に出かけましたが、起床してすぐ工房に行ってタタラを準備していたのでした。そのちょっとした頑張りで、タタラはいい具合に硬くなっていて、成形がやり易くなっていました。因みに今日成形した陶彫部品は今までで最も大きなサイズでした。今日は朝9時から11時頃まで家内を演奏会場に送ったり、若いスタッフ2人を駅まで迎えに行ったりする予定があったので、それでは成形時間が足りなくなると判断し、今日も起床してすぐ工房に行って成形を始めていました。夕方になると緊張が解けてしまう傾向が自分にはあるので、早朝から作業を始めた方が効果が上がるのです。結果、夕方4時には成形が終わっていたので、見立ては合っていました。一日のうち出入りの時間があると集中力が細切れになり、強度のフロー状態になることはありませんでしたが、それでも順調に作業が進みました。この陶彫部品が仕上がれば、今月の制作目標は達成したことになります。彫り込み加飾はいつものようにウィークディの夜にやろうと思っています。私はおそらく人より週末の充実はあると思いますが、これによってウィークディの疲労とは別の疲労が残るような気がしています。季節の変わり目のせいか本当に毎日疲れています。何もしないで過ごす休日を経験したことがないので、疲労回復は通常の生活の中でやっていく他ありません。回復の一番の手段は睡眠を多く取ることです。このNOTE(ブログ)と日々のRECORD制作が終わったら、すぐ寝るようにしています。昔から制作漬けの毎日だったので、寝ても困難な制作に立ち往生している夢を見て、起きてしまうことがあります。滅多に見ない夢ですが、強迫観念があるのでしょうか。それともフロイトが言うような願望の表れなのでしょうか。