2017.09.18 Monday
今日は三連休の最終日でした。昨日と同じ理由で職場に出勤する用事があって、今日も全て制作に充てることは出来ませんでしたが、出勤の合間を縫って制作をやっていました。新作のテーブル彫刻の床に配置する6個の陶彫部品のうち5個目の成形を行いました。休日出勤があってもノルマとして自分に課した工程は、何とか今日一日で終えることが出来ました。今日は2人の若いスタッフが朝から工房に来ていて、それぞれの課題を夢中でやっていました。彼女たちがいることで自分の制作にも拍車がかかります。それぞれ各人が真剣になる時間がありました。私もフロー状態になり、周囲がわからなくなりました。作品の全体がよく見えているのに、それ以外の時間や空間が頭から飛んでしまうのです。極端な集中がやってくるのだろうと理解しています。自分は制作工程の中で、とりわけ成形の工程時間に集中することが多く、一日が数分のようにも感じるのです。今日は台風一過で、工房は真夏の再来のような暑さがありましたが、集中している時は暑さも忘れます。成形が一段落すると気持ちが解けて、暑さと疲労が襲ってきます。スタッフたちも暑さに耐えながら制作に打ち込んでいました。スタッフのうちの一人はグループ展の搬入が迫っていて、これから毎日工房に通ってきそうな勢いですが、私もウィークディは帰宅した夜に工房に通うつもりでいます。彼女とはすれ違いの作業時間になりそうですが、私は彫り込み加飾をやろうと思っています。先週も先々週も3日間ほど夜の工房に通いました。季節が朝晩涼しくなって制作には絶好の温度なのです。それには昼間の仕事の状況によりますが、想定外のことが起こらないように祈るだけです。
2017.09.17 Sunday
昨晩遅く福島県から帰ってきて、かなり疲労が残る中、今日の午前中は仕事があったため出勤しました。三連休の午前中は今日も明日も休日出勤になります。台風の影響のせいなのか朝から雨が降り、肌寒い気温でした。午後は工房に行って、5点目になる陶彫作品の準備を行いました。陶土の塊を掌で叩いてタタラを作る作業は、なかなか骨が折れました。時折涼しい風が窓から入ってきて、心地よく感じましたが、昨日の長時間運転の疲労が回復せず、作業中は休憩ばかり取っていました。酢を使ったレモン味の飲料が美味しく感じられました。土練りは40kgの土を土錬機にかけて、その後に手で菊練りをしました。夕方、自宅に戻ったらそのままソファに寝てしまいました。肌寒いことと昨日の疲れが相俟って、眠くて仕方がなかったのでした。このNOTE(ブログ)も眠気に襲われながら、やっとの思いで書いています。明日は頑張ろうと思います。
2017.09.16 Saturday
三連休初日は喜ばしい一日となりました。私の職場で結婚式を迎える男性職員がいて、私が祝辞を述べさせていただくことになったのでした。彼は福島県出身で、3年前に横浜市の公務員採用試験に合格し、私の職場にやってきました。初任から有能な力を発揮し、今では職場全体を支える人材に育っています。彼がいなくては成り立たないイベントが数多くあります。結婚式場は福島県郡山市なので、私は首都高速や東北自動車道を使って、式場になっているホテルに向かいました。片道4時間という道のりでしたが、行程が苦にならなかったのは結婚のお祝いを一言伝えたい思いからでした。披露宴は盛大なもので、結婚式を簡略化する最近の傾向には珍しく、きちんとした立派なものになっていました。結婚式は当人たちのものではなく、周囲の関係者に結婚をしたことを伝えるものだと、嘗て私も言われたことがあります。日本の結婚式はその通りかもしれません。元同僚も含めて私の職場から3人が出席しました。その他の出席者は福島県の人が多かったように思います。結婚式を挙げた奥様も福島県出身で、奥様は福島県で就職し、彼は横浜に職場があります。よく言われる遠距離恋愛ではなくて、1年以上は珍しい遠距離婚になるのですが、週末だけ福島と横浜を往来する生活もまた一興かなぁと思っています。明日から彼は横浜で仕事が待っているため、横浜に戻ってきます。三連休はすっかり休めない職場の事情があって彼らには気の毒ですが、申し訳ない気持ちになりながら、私も2人の職場関係の人を連れて、高速道路を飛ばして横浜に戻ってきました。今日は行き帰りで8時間以上も車を運転していました。
2017.09.15 Friday
私は創作活動を人生の中心に据えているためか、常識の範疇を超えたものに関心があります。一般的な非常識という意味ではなくて、人にとって不可視なもの、想像の世界に属するものに興味関心があるのです。そこをナンセンスと捉えるか、重要なポテンシャルと捉えるかで興味の対象は変わってきます。どうしてそうしたものに自分が惹かれるのか、考えてみると私は小さい頃から人智を超えたものに憧れてきた経緯があります。姿カタチの好き嫌いはあっても、不可思議な世界に親近感を覚えてきました。私が育った頃の自宅の周辺には、雑木林や田畑が広がっていて、夜ともなれば暗闇の支配する世界があちらこちらにありました。横浜と言えども、鎌倉時代に遡れば畠山重忠公の古戦場があって、茅が自生する野原に首塚が祀られていました。現在は万騎が原という地名になっていますが、幾万の騎馬が繰り広げたであろう戦さを伝える地名ではないかと思っています。50年以上前は、昼なお暗い木々の間に魑魅魍魎が潜んでいても不思議ではない雰囲気の中で、私たち子どもは小さな祠や神社で遊びに興じていました。現在、私が見つめる奇想の芸術作品は、どこか頭の中に刻印された記憶を呼び戻し、始源的な生命を燃え上がらせる効果があるように思えます。社会的な束縛からの解放もあるのかもしれません。私が作る彫刻作品も奇想の産物です。欧州からイメージを借りてきたにせよ、その根源は私の生育歴と密接に関わっているのではないか、黴臭い旧家の土間や米を保存しておく樽が記憶のどこかにあって、その印象を具現化したものではないかと思うのです。稲の刈り入れ時は、宮大工だった祖父も造園をやっていた父も仕事を休んで脱穀機を回していました。豊穣を祈るために稲荷に餅を捧げる風習が今も残っています。そこにはキツネの化身が棲んでいると祖母に教えられました。捨ててあった稲荷を先祖が拾って自宅の裏山に祀ったのだ、そのお陰で我が家は栄えたのだとも言っていました。妖怪が身辺にいるから自然な流れに逆らってはいけない、それは私に畏怖なるものを与えるに留まらず、芸術としての奇想にも影響を及ぼしたのではないかと述懐しています。
2017.09.14 Thursday
先日NOTE(ブログ)にマニエリスムのことについて書いた際、心に浮かんだ江戸時代の画家がいました。暫し忘却の彼方にあった画家曾我蕭白で、「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)に登場していました。極めて異端と言える世界は、その激しさ故に一目で忘れられない印象を残します。若い頃の私は曾我蕭白を受け入れることが出来ませんでした。品性に乏しく極彩色の執拗さにも嫌悪感があって、当時好きだった円山応挙の対極にいる画家だろうと思っていました。代表作「群仙図屏風」は見れば見るほど奇怪な人物たちの群像ですが、何を倣ったものなのでしょうか。「奇想の系譜」から引用させていただくと、蕭白の他の絵を評して「グロテスクという点では、日本の水墨人物画史上類を絶しており、狂態邪学派と呼ばれた十六世紀の明の浙派の人物も、これにくらべればはるかにまともといわざるを得ない。」とあります。中国でもこれほど奇怪な画風は見当たらないと言っているのです。本書では北斎との共通点が述べられた箇所があって興味が湧きました。「蕭白と北斎とは、似通ったタイプの画家といえる。扱う画題に保守的と同時代的の違いはあっても、鉱物質とでもいうべき乾いた非情な想像力、鬼面人を驚かす見世物精神、怪奇な表現への偏執、アクの強い卑俗さ、その背後にある民衆的支持、といった点が共通しているのである。」確かに葛飾北斎にもマニエリスム的な強調があると言えます。ところで蕭白を自分が受け入れた時期はいつごろだったのか、思い出すことにしました。初めて蕭白の絵を見た若い頃から数十年の時を経て、ボストン美術館が所蔵する巨大な「雲龍図」を東京で見た時ではなかったかと述懐しています。私は齢を重ね、絵画趣向の変遷を経て、今では蕭白を面白いと感じるようになっています。均整の取れた同時代の絵画がどれも退屈に思えて、日本のマニエリスムとも言うべき特異な世界に覇気溢れるものを見出しているからではないか、自分の妖怪好きも手伝ってその面白さに漸く気づいたのだろうと分析しています。