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  • ジャコメッティに思うこと
    先日、東京六本木の国立新美術館で開催されている「ジャコメッティ展」に行ってきて、その様子をNOTE(ブログ)に書きましたが、彫刻家・画家ジャコメッティの作品を観ると、私には語り尽くせないような思いが込み上げてきます。彫刻を学び始めた最初の頃は、ジャコメッティを理解できず、ヘンリー・ムアの豊かな量感に憧れていました。ジャコメッティを理解する契機になったのは、哲学者矢内原伊作の著書を読んだからでした。そこにはジャコメッティのモデルを務めた唯一の日本人だった矢内原伊作の詳細な報告があり、ジャコメッティの壮絶な創作活動が浮き彫りにされていて、私は多くの刺激を受けたのでした。図録にピカソと比較した一文が掲載されていて、これにも興味が湧きました。「ジャコメッティの生涯と風貌は20世紀の芸術界で時として反ピカソ的なものとして捉えられてきた。スペイン人のピカソは自己疑念に陥ることなどなかったし、作品の創造力は溢れ出ることベルトコンベアーの如くであった。スイス生まれのジャコメッティは反対に自己疑念に大いに苦しみ、前日に造ったものを破壊し、自分にとって永続性がないと見るや作品を打ち砕いた。ピカソの創造的なクレド(信条表明)が『私は探さない、私は見つける』であるのに対し、ジャコメッティの得意分野は創造的な破綻ということができるだろう。」またジャコメッティの創造行為に関する箇所にはこんな文もありました。「個々の作品は現実を顧慮した上で絶え間なく行われる認識行為の構成要素である。そしてその現実は、理解することはできずとも描写することはできる。~略~ジャコメッティの戦後の彫刻は特に『絵画的な視点』の表現として評価されるが、それはこのスイス人芸術家が彫刻を触覚的・彫塑的に把握せず、むしろより絵画的・視覚的に把握していたからである。その一方で彼は絵画作品においてはほとんど彫刻的と呼べるようなやり方で事物を層状に描写し、彫刻作品と同様、揺れ動いて定まらない状態を表現するに至っている。」(ピカソ美術館館長マルクス・ミュラー著)
    旅行の疲労があっても…
    台湾旅行から帰った翌日から職場に出勤し、溜め込んだ仕事に追われました。今日も一日中研究会が組まれていて、私の専門とする部会は鶴見公会堂で全体会を、午後は別の場所に移動して分科会を持ちました。私は専門部会の会長を仰せつかっていたため、全体会での挨拶や、それぞれのグループが研究を重ねてきた内容に耳を傾けていました。夜になって自宅に帰ると、胃腸がおかしくなり、また身体が重くなってしまいました。これは台湾旅行の疲労ではないかと思いました。加齢のせいか、疲労は翌日ではなく2日後に出てくるような気がしています。最近のNOTE(ブログ)に疲労のため度々休息を取っていることを載せていますが、今日はそうしたかったにも関わらず、若干無理をしてしまいました。夜になって家内と買い物にでました。職場で私が時々行っている大鍋コミニュケーションの食材を買いに出たのでした。今回の大鍋コミニュケーションは私の職場だけでなく、連携を図っている別の施設からも職員を招くので、倍以上作らなければならないのです。買い物途中の店内で私は足が重くて仕方なく、やっとの思いで自宅に辿り着きました。若い頃からの悪癖で、私はのんびり休んでいることと怠けていることを混同してしまう傾向があります。休むことに理由をつけたがる自分がいます。それは自己を納得させるためにやっていることで、他人にはどうでもよいことなのです。少しは自分を甘えさせたらどうかと家内に言われています。
    東京広尾の「川端龍子展」
    既に閉幕した展覧会の話題を取上げるのは恐縮ですが、台湾旅行があって展覧会の感想を取上げる機会を逸してしまいました。申し訳ありません。台湾旅行の前に東京広尾にある山種美術館に「川端龍子展」を見に行ってきました。天候が悪かったのにも関わらず、多くの鑑賞者で賑わっていました。川端龍子は人気のある日本画家です。会場芸術と異名を取るほど作品が大きく、また時事問題を画題に扱うことで、日本画には珍しいジャーナリズム絵画とも言われてきました。展覧会場には戦闘機に乗った自分を描いた巨大な「香炉峰」や「金閣炎上」がありました。川端龍子は20代で新聞や雑誌に挿絵を描いたことで、時事問題や社会の動向をいち早く画題に取り入れ、その独特な世界観を培ったようです。発表当時としては画壇の在野として地位を築いていたのでしょうか。画家集団の青龍社を立ち上げ、長年に亘って毎年のように作品を作ってきた経歴があり、エネルギッシュに大作に挑んでいた川端龍子の充実していた生涯が目に浮かびます。その中でも私は暗黒の中に身近な草花が浮かび上がる「草の実」に魅力を感じています。豪奢な雰囲気にも関わらず、どこにである草花が丹念に描かれた世界は、不思議なパワーを秘めていると思っています。私にとって何時間でも立ち尽くすことが出来る絵画が「草の実」なのです。図録の最初のページに愛犬を抱く川端龍子の近影がありました。クマと名づけられた小さな犬が可愛らしく、巨大な絵画を描く傍らでクマと遊ぶ川端龍子の姿を想像してみました。NOTE(ブログ)を書くためにパソコンに向かう私の足元に猫のトラ吉がじゃれついているように、何かホッとさせるものが作者近影にはありました。
    台湾から帰って…
    昨晩のうちに台湾の桃園国際空港を飛び立ち、機内で夜を過ごして、今朝漸く羽田空港に到着しました。自宅近くまで行くバスがまだ運行していなかったので、羽田空港のロビーで夜が明けるまで過ごすことになりました。行きも帰りも空港にいる時間が長く、安価な航空券を予約すればこうなるという行程を実感しました。20代の頃は普通だった行程が、60代の今となっては身体的に厳しいなぁと思いました。あの頃のようなエーゲ海沿岸や砂漠地帯の遺跡を巡る旅や、当時の東欧圏諸国をリュックサックを担いで周る旅は、今となっては若かりし頃の無謀な一幕としか言いようがありません。テロが勃発する現代にあっては、時代が違うと言えども、よくぞ無事に生きて帰ってこられたものだと思っています。昔のことは人生の勲章とは思いませんが、脳裏に刻まれた現地の人々の生活や街の空間認識が、自分は彫刻として結晶化させたのかもしれません。最近よく出かけている東南アジアの世界遺産も、彫刻制作の要素となっていると言っても差し支えありません。昔のように危険箇所には近づかない知恵が私にもついて、旅そのものが目的ではなく、旅で体験した何かが創作活動に有効に働くことが目的になっています。今回の台湾旅行も例年の遺跡ではなかったにせよ、國立故宮博物院では大いに刺激を受けました。形態感で言えば中国の歴代銅器が私を捉えて離さないのです。今月の鑑賞では第一級の作品群に触れたことになります。これを自分の中で咀嚼し、自己表現に取り込むのには相当な時間を要するでしょう。もう一度ここに来る予感がすると家内が言っていますが、うーん、それはどうかなぁ、世界にはまだまだ見たい遺跡や美術館や博物館が山ほどあるので、関心が次々に移ってしまいそうな気がしています。そんなことを考えながら夏季休暇の最終日を過ごしました。明日から仕事が始まります。二足の草鞋生活を軌道に乗せて、来年に向けて頑張っていこうと思っています。
    台湾旅行③
    台湾旅行3日目は、朝早くホテルに荷物を預けて、地下鉄に乗りました。台北の地下鉄は、色彩で分けられていて分かり易く便利で、しかも料金が安いのが魅力です。國立故宮博物院は士林駅で下車してからタクシーで向かいました。開館8時半を少し回ったところで入館しました。バッグは全てロッカーに預け、手ぶらで入館しますが、スマホやデジカメの持込は大丈夫でした。展示品によって撮影が許可されているようで、多くの鑑賞者が撮影をしていました。1階には「象牙透彫雲龍文套球」や東京上野の博物館にも来た「翠玉白菜」が展示されていました。清の時代の精緻な小品や家具にも眼を奪われました。「慈悲と知恵」と題された部屋には仏像が多数置かれていました。次に私は3階に上がりました。ここに展示されている殷の時代の青銅器に心が擽られて、その文様の面白さに時が経つのを忘れました。アイヌの文様にも似て、現代にも通用する斬新さを感じました。歴代の玉器も超絶技巧としか言いようのない優れた品々ばかりで、こうした技法に次第に眼が慣れてきました。例えば1点の作品に拘れば、あれこれ論じられるほど表現力に富んでいて、そんなレベルの作品が延々と置かれている状況を何と説明してよいのか、職人が命懸けで挑んだ結晶と言うべきか、これは全てが人類の共通遺産に違いないと私は深く頷いたのでした。2階は陶磁器と書画でしたが、これも高度なレベルにあって、明や唐の時代に描かれた作品が並んでいました。所蔵作品は60万点とも70万点とも言われていて、その一部を公開しているのに過ぎないのが國立故宮博物院の印象でした。所蔵作品は3ヶ月で一部衣替えをするそうで、全部を見るのに何年かかるのだろうと試算しました。鑑賞途中で出口に向かい、係員から腕に印を押されてレストランに行きました。レストランは庶民的で、どこの美術館や博物館でも変わらないメニューがありました。家内はサンドイッチ、私はチキンパスタを選び、タピオカミルクとモンブランケーキ2人分を注文しました。午後も頑張って見て回りましたが、足が疲れてきてベンチで休む回数が増えました。朝9時前から午後3時過ぎまで見たところで、眼や足が駄目になり、最後はギャラリーショップに行きました。店は書籍が充実していて、さすが漢字の国だなぁと思いました。空港までの時間や労力を計算して3時半くらいに國立故宮博物院を出ました。これで心は満足を覚えましたが、作品の分析や思考をしたくて仕方がありませんでした。購入した書籍は日本語があまりなく、謎が残る作品が多くて、後は感覚に頼るしかないのかと思っています。工房に出入りしている中国籍スタッフに聞くことも増えそうだと思いつつ、ホテルで預かってもらっていたキャリーバッグを転がしながら、新しく出来た鉄道で桃園国際空港に向かいました。