Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 母を連れて病院へ…
    今日は午前中年休をいただいて、職場ではなく母親の用事を済ませてきました。母は90歳を超える年齢ですが、まだ元気に過ごしています。自立型の介護施設に入居していますが、時折実家に帰ると言い出すので、実家はそのままにしてあります。母は軽い認知症ですが、私と家内のことはわかっていて、私たちが介護施設を訪れると喜びます。いつもなら家内が母を病院に連れていくのですが、胡弓の演奏でひざを痛めているため、車椅子を押すことできず、急遽私が仕事を休んで母を病院に連れていくことにしたのでした。介護施設と病院は徒歩で行ける距離にあります。病院までの道のりを私は知らないので、家内が付き添ってくれました。母に聞いても認知症のため埒があかないので、今日は2人がかりで母をサポートしたのでした。病院までは車椅子をゆっくり押しても15分程度でとてもいい散歩コースだなぁと思いました。車椅子を押していると舗装道路の段差が気になりました。道路沿いにある家々の花壇や公園の木々が心地よく感じられました。自分も身体が動かなくなったら、ちょっとした自然の美しさや移ろいに気づくのでしょうか。野辺の花を愛でることもあるのでしょうか。その時の自己表現はどうなっているのでしょうか。RECORDは継続しているのでしょうか。母の年齢までRECORDをやっていれば、作品数は1万点を超えています。母を見ているとこの年齢まで自分も生きたいと願いつつ、彫刻は出来るのだろうかという心配もあります。「世の中がどんどん変わって面白いねぇ」と母が病院の待合室でテレビを見ながらポツンと呟きました。テレビでは国連の安保理決議の放映をしていました。
    マニエリスムについて
    先日、国立西洋美術館で見た「アルチンボルド展」は、自分にとっては懐かしい過去と出会うひと時でした。アルチンボルドはオーストリアのハプスブルグ家で活躍した画家で、ウィーン美術史美術館にはアルチンボルドの絵画が多数収められています。30数年前、私はウィーンで5年間暮らしていました。美術史美術館でアルチンボルドを見る機会も多く、まだ当時はウィーン幻想派の画家たちが活躍していたので、彼らの幻想の源にボスやブリューゲル、そしてアルチンボルドがいたことが明白に伝っていました。イタリアでのルネサンス以降、ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロの三大巨匠に追従し、その様式を模倣する動きがありました。それはルネサンスの調和の取れた表現やバロックの躍動する表現とも異なる特異な表現で、マニエリスムと呼ばれています。マニエリスムは、ヴァザーリによって「自然を凌駕する行動の芸術的手法」と定義づけられていますが、極端な強調や歪曲による表現が横行し、その生気の欠けた作品群は芸術の衰退を意味していました。マニエリスムが再び美術史に登場してくるのは、20世紀に入ってからで、シュルレアリストによって再び見いだされたのでした。マニエリスムの特異な表現は、現代の超現実主義に共通する要素を持っています。日本でも過去活躍した奇想の芸術家が、現代になって脚光を浴びているケースがあります。昨年の若冲の人気も今年のアルチンボルドの人気も現在に通じる美的価値観を持っていると言えるのではないでしょうか。
    上野の「アルチンボルド展」
    先日、金曜日の夜間開館時間に東京上野の国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」を見に行ってきました。日本人はだまし絵のような視覚的遊戯が好きなのか、夜にも関わらず美術館は大変な混雑振りでした。確かに現代からすれば16世紀に描かれた幻想的な絵画は、現代にも通用するような新しい価値観を有していて、とても面白いと感じました。人の頭部を花や果実、魚類、獣類や人工的な産物などの集合体で描いているジュゼッペ・アルチンボルドの独特な世界は、入念にリアリティを追求している反面、寄せ絵の驚嘆に値する観察に思わず引き込まれてしまう魅力を持っています。鑑賞者は異形を楽しむと同時に、その絵が描かれた背景を知りたくなるのです。図録を捲っていると時代に触れた箇所がいくつかありましたが、画家本人の事情に添った部分が気に留まりました。少々長くなりますが、引用します。「『四代元素』のシリーズは、1564年、マクシミリアン2世が神聖ローマ皇帝の座についた後に描かれたものであり、ハプスブルグ家の統治への寓意は一層明白になっている。それでもこれらの怪物のような肖像画が、皇帝の公的イメージを貶める戯画であるというように受け止められはしないか、アルチンボルドはおそらく自信がなかったのであろう、彼は学識者の文章で援護してもらおうと考えた。~略~それは中心的テーマが遊戯、言い換えれば『スケルツォ(冗談)』だったからであろうか。いずれにせよ、アルチンボルドの真面目な冗談がもつ真の意図は、新案の形式に寓意的内容あるいは大プリニウスをはじめとする古代の学識への言及を盛り込むことでも、一見ふざけたような表現に道徳的な含みを持たせることでもなく、むしろ人体の外形から、科学的探究の成果が正確に描写された細部へと、鑑賞者の注意を喚起し視線を導くことにあったと思われる。」これはまさに20世紀以降の芸術の考え方に近く、アルチンボルドがシュルレアリスムの画家たちに支持された理由が分かります。
    週末 4個目の陶彫成形
    新作のテーブル彫刻の床には6個の陶彫部品を円形にして置く予定です。その6個はかなり大きくて、窯に入る最大の大きさで作っています。部品が大きくなればなるほど、罅割れが心配になります。もともと陶芸の器と違い、陶彫は無理な形態をしているので、失敗は陶芸の比ではありません。慎重にやっても思わぬ箇所が割れてしまうことがあります。今日は朝から工房に篭って、6個中4個目になる陶彫部品の成形に明け暮れました。昨日用意したタタラを、予め決めておいた寸法でカットして、木材で押さえながら立てていきます。タタラは適度に乾燥していなければ垂直には立てられません。内側を紐状にした陶土で補強しながら組立てていくのです。タタラはまだ柔らかいので曲面も作れます。もう数時間タタラをそのまま放置すると完全に硬くなって曲面が作れなくなります。この度合いが微妙です。タタラ同士の接着にはドベを使います。ドベは陶土を水で溶いたもので、櫛ベラで傷つけた面と面にドベを塗って接着していきます。接着した内側は紐状の陶土で補強します。組立てた立体の上にさらにタタラを積むときは、下の立体が重量に耐えるだけ乾燥しているかどうかを確かめていきます。タタラの厚さも上にいけばいくほど若干薄くなっていくのが理想です。彫刻的な面白みはこの立体構造にあります。単純な構造ではありますが、僅かに波打つ斜面やそれを支える面構造の力学関係をここで堪能できるのです。陶彫全体の中でこれが一番面白い工程と私は思っています。その後に続く彫り込み加飾は絵画的な要素が強いと思っていて、成形に比べれば退屈な作業だと感じています。今日は成形が終わってビニールで包み、彫り込み加飾はウィークディの夜間制作に回しました。月曜日以降は夜に工房へ来られるでしょうか。仕事後の疲労度によりますが、先週は3日間来ました。今週はどうでしょうか。
    週末 タタラと紐作りについて
    週末になり、陶彫制作のために朝から工房に篭りました。真夏に比べると朝夕涼しくなりましたが、それでも日中は汗が滴るほど暑くなりました。今日の作業は土練りと陶彫成形のための準備に充てました。私の陶彫はひとつずつがかなり大きいものですが、基本は陶芸の技法と同じです。陶芸では手びねりで器を作るために、手回しロクロの上で紐状にした陶土を積み重ねていく方法を取りますが、これは主に円形の器を作るときに用います。四角い器を作るときは、陶土を平たい板にして、それを立ち上げていく方法を取ります。平たい板をタタラと言いますが、タタラを作るときは、陶土の塊の左右に木製のタタラ板を置いて、タタラ板の上を針金の糸で滑らしてカットするのが一般的です。私の陶彫は大きさはあっても、紐作りとタタラの混合によって制作していきます。タタラはタタラ板を使えるようなものではないので、塊を掌で叩いて薄く延ばしていきます。麺棒も使いますので、蕎麦打ちのような按配です。厚さは1cm程度にしています。成形後に5mmの彫り込みをするので、この厚さにしているのです。ビニールに包んで一晩放置すれば、ちょうどいい硬さになっています。ひとつ陶彫成形を作るのに、どのくらいのタタラが必要なのか予め計算しておきます。土錬機にかけて、さらに菊練りした陶土を、全部タタラにするわけにはいかないのです。タタラは構造的に弱いところがあって、場所によっては陶土を紐状にして補強をしなければならないからです。そのための陶土を残しておきます。陶芸と違い、陶彫は乾燥によって陶土が左右に引っ張られ、皹が出来ることがあります。陶彫はバランスよく乾燥が進む形態ではないので、そこを確かめながら紐作りで補うのです。それでも失敗はあります。初歩的なミスには口惜しい思いをしますが、最近はそれにも慣れてきて、昔のように落ち込んだりしなくなりました。今日は明日の成形に向けての準備に追われました。明日は4個目の陶彫成形作業です。