2017.07.25 Tuesday
自宅の書棚に眠っていた書籍を取り出して、何を読もうか思案しました。「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)は今も継続して読んでいますが、何か西欧の芸術に纏わるものが読みたくて、書棚を見たところ2冊の書籍に目が留まりました。「スーラとシェレ」(セゴレーヌ・ルメン著 吉田紀子訳 三元社)と「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)です。書籍の薄さから言えば「スーラとシェレ」を鞄に携帯するのがよいと思って、まず「スーラとシェレ」を読み始めました。「マルセル・デュシャン全著作」も今日職場に持参してきて、休憩時間にでも折に触れて読んでいこうと思っています。因みに「マルセル・デュシャン全著作」はデュシャンの創作に関するメモや散文があって、目で活字を追うだけで難航しそうな気配ですが、「スーラとシェレ」は19世紀のフランスを席巻した多色刷りポスターや広告文化を、画家スーラとデザイナーであったシュレを中心に論じたもので、テーマになったサーカスや大道芸の特異な世界に視点を据えています。内容の理解では「スーラとシェレ」の方が通勤に向くのではないかと推察しました。最近は西洋と日本の二つの論評を交互に読んでいくのが、私の癖になっていて一冊集中主義ではなくなりました。この傾向はどれも中途半端になって、過去の学生時代の乱読癖に先祖返りしてしまうのを私は怖れています。ともかく「スーラとシェレ」を読んでいきます。19世紀印象派が登場したフランス気分に浸りながら…。
2017.07.24 Monday
「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)をずいぶん長いこと鞄に入れて持ち歩いていました。やっと読み終えました。「聖別」という西欧の観念をキーワードに現代美術を論じた本書は、自分にとって興味関心が尽きることがなく、度々読み返すことがありました。作家論ではNOTE(ブログ)に「土谷武論」を取り上げましたが、作家全員に感想を述べたい衝動に駆られました。とりわけ陶を扱っている作家には、自分の表現活動との接点を見出し、陶の面白みを再確認しました。「山田光論」の中にこんな一文がありました。「現代陶芸という戦後に樹立される初期の荒地を墾くために、陶にまつわる過去の情緒や知性や教養といったものを可能なかぎり切り捨てる方法に手こずりながら見つめ続けた甲高い寡黙と、しからばどうつくるか、つまり東洋的な造形の基調に迫った厳格のきわどさが染みでた歴々たる前人未倒の記録である」(柴辻政彦著)というもので、陶芸の脈々と続く情緒的な伝統を否定しつつ、新しい陶を模索した「走泥社」の一人である作家の、現代陶芸への誘導路が示されていて、興味が尽きませんでした。あとがきで述べられた一文にも気を留めました。「熟年の私たちともなると、芸術を含めて、あまりに目紛しい世情の動きに段々と野次馬的な好奇心を覚えなくなる。そしてむしろ、何かしら変わらないもの、重々しいものの方に関心が移ってくる。そういう荘重なものを人間はずっと『偉大』とか『聖』といった言葉で捉えて、次世へと伝承してきたのではなかったか、と思えてくる。」(米澤有恒著)というものです。現代美術が広範囲に及んでいる昨今、私も「聖別」に拘っていきたい一人なのです。
2017.07.23 Sunday
昨日まで東京銀座のギャラリーせいほうで個展を開催していました。昨晩展示作品が倉庫に戻ってきました。今日からは通常の制作活動に戻り、来年に向けての作品をやっていきたいと思っていましたが、今朝から身体が動かず、疲れが一気に出た感じがしています。毎年個展終了の翌日はこんな疲労が残っていたのか、自分でも思い出せず、これは12年間の歳月の重みもあるのではないかと考えてみました。しかし個展会期中は、もうひとつの仕事の方も3日間多忙で、疲労は個展ばかりが原因ではなさそうです。火曜日に管理職仲間と暑気払いを行い、水曜日は勤務終了後に新車を受け取りに行ってきて、木曜日は職場での暑気払いと朝から夜までスケジュールが詰まっていたことを思い出し、この疲労は二足の草鞋生活双方のものと思い返しました。私には珍しく朝から引き篭もりたい気分が支配していて、これには素直に従うことにしました。幸い今日は工房に若いスタッフが来ない日だったので、個展でファンから頂いた大きな胡蝶蘭を工房の倉庫から自宅に運んだだけで、残りの時間はずっと自宅にいました。こんな日があってもいいのかなぁとぼんやり考えていました。彫刻家と市管理職はどちらも精神的な休息が取れないので、私にとって全てをオフにすることは出来ませんが、引き篭もりたい気分というのは心が全てをオフにしたがっているのではないかと認識しました。
2017.07.22 Saturday
今日が個展最終日です。午前11時の開館に合わせて家内とギャラリーせいほうに行っていました。毎年変わる東京銀座の風景ですが、週末になると相変わらず外国人観光客の姿が目立ちます。ギャラリーのある銀座8丁目は、新橋駅に近く銀座大通りと首都高速が立体交差する場所があります。そこにバスが何台も横付けされて、集団で乗り降りする外国人観光客の集合場所になっているようです。歩行者天国も大きな袋を抱えた観光客が闊歩していました。さて、個展の方ですが、管理職だった元同僚や、今の職場からも職員が来てくれました。驚いたのはウィーン時代の留学生仲間だった人が突如現れたことでした。私は美大でしたが、彼は音大に通っていました。当時よく遊んでいた思い出が甦り、暫し感慨に耽ってしまいました。彼は熊本県出身で、郷里の音楽大学の学長に就任しています。私立の大学経営をやっている傍ら、まだ作曲も続けていると言っていました。熊本の震災で校舎が倒壊し、甚大な被害に遭われたことも聞きました。彼のお嬢さんが宝塚に出演していて、東京の宝塚劇場に奥様と観に来ていたそうです。ちょうど個展の会期が合ったので銀座に足を運んでいただいたのでした。熊本で多忙にしている彼が、まさか来てくれることはないだろうと思っていましたが、それでも毎年個展の案内を送っておいて良かったと思いました。何かのついでがあったにせよ、遠路遥々来ていただいた方々に感謝です。川崎に店を構えるパテシエの方も来廊されて、当時のヨーロッパの話になりました。今の仕事に追われて、若い頃海外で暮らしていたことを忘れかけていた自分でしたが、確かにあの頃あそこにいたんだという実感が友人との関わりで甦ってきました。そんな意味でも毎年個展を開催していることは、人と人との繋がりを確認する上で幸運としか言いようがありません。多くの人の手を煩わせる個展ですが、また来年も企画していただきました。作品が一向に売れないのに、懐の深い画廊主の田中さんにも感謝です。搬出は運送業者2人と若いスタッフ3人、家内と私で夕方6時過ぎから行いました。陶彫部品を木箱に詰めたり、柱や台座をエアキャップ付きのシートで包んだりして2時間程度でトラックに積み終わりました。横浜の工房に戻ってきて、小さな部品はロフトに運び、木箱は1階の倉庫に収めました。これで漸く今年の個展終了となりました。明日から来年の13回目の個展を目指して頑張ります。
2017.07.21 Friday
公務員の仕事が一段落したので、今日は年休をもらって東京銀座のギャラリーせいほうへ家内とやってきました。開館の午前11時にさっそく家内の友人たちが来てくれました。10人の来廊者の前で作品の解説をお願いされて、少々困りました。作品を見た人がそのまま何かを感じ取ってくれればいい、というのが抽象作品なので、作家が発したコトバが鑑賞の弊害になることもあります。そこを配慮しながら抽象にいたる動機を話させていただきました。「発掘」シリーズは自分が20代の頃、エーゲ海沿岸で遭遇した遺跡の数々が発想の発端になっています。西洋文化である彫刻概念を追いかけていた自分は、西洋文明の曙期の造形に接し、そこから自分の活路を見出したのでした。次に大手民間企業で長く働いていた方とも同じような話をする羽目になり、今日は現行の作品に至る思索を多少なりとも暴露することになったなぁと思いました。私の公務員の同業者も何人か来廊してくれました。病気を患い、夏以降の回復を願っている人や私と同じ再任用で頑張っている人がいて、私たちの業種はなかなか厳しい面があると改めて思いました。彫刻家の同業者も何人か来ていただきました。一日ギャラリーにいると、さまざまな人と会って刺激を受けたり、認識を改めたりして密度の濃い一日を過ごします。私が不在だった3日間にも多くの人が来ていて、その場を借りて失礼をお詫びするとともに、あぁこの人と話がしたかったと思うことがありました。毎年私の作品を見ていただいている文筆家の方々はそのうち何かしらのカタチで感想が届くのではないかと期待しているところです。その一人である紀行作家のみやこうせいさんは芳名帳に感想を書いていただきました。有難うございました。明日もギャラリーにおります。