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  • 6月は鑑賞が充実
    今日は6月の最終日です。今月を振り返ると4日に新作の写真撮影がありました。多くのスタッフが来てくれて、撮影は何とか無事に終えることが出来ました。その画像をもとに案内状を印刷し、先日図録の校正を済ませたところです。ギャラリーせいほうとの打ち合わせも行いました。週末はもっぱら新作の梱包作業に追われました。梱包は来月も続きます。今月は新作の完成まで封印した鑑賞を充実させた1ヶ月でもありました。今日も金曜日の延長開館時間を利用して東京上野の「バベルの塔」展に行ってきました。入館まで30分待ちという、以前の「若冲展」を髣髴とさせる混雑ぶりでした。内容に関する詳しい感想は後日に回します。その他にも京都の細見美術館の「杉浦非水展」や京都国立近代美術館の「戦後ドイツの映画ポスター展」とジュエリーを扱った展覧会、神奈川県立近代美術館葉山の「砂澤ビッキ展」、横須賀美術館の「デンマーク・デザイン展」、東京ステーション・ギャラリーの「アドルフ・ヴェルフリ展」、千葉のDIC川村美術館の「ヴォルス展」、今日行った東京都美術館の「バベルの塔」展と7つの展覧会を見て回りました。映画鑑賞ではアカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」、実存する人物を扱った「ローマ法王になる日まで」、民族楽器を通して国々の事情と伝統継承を扱った「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」の3本を、いずれも橫浜市中区のシネマジャック&ベティに観に行きました。1ヶ月で展覧会7つと映画3本は今までにない充実ぶりでした。新作が終わった安堵感と表現への渇望が、この展覧会や映画鑑賞に繋がっていると思っています。来月には個展開催と同時に来年に向けた最新作に取り組む予定で、制作と鑑賞の両輪をバランス良くやっていきたいと思っています。RECORDは下書きが山積みされているので、少しでも完成に到達するように取り組みたいと考えています。読書は2冊同時に読んでいますが、これは継続です。
    「伊藤若冲論」幻想の博物誌
    自分の鞄に携帯している書籍は「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)と「奇想の系譜」(辻 惟雄著 筑摩書房)で、その時の気分によって交互に読んでいます。今回は「奇想の系譜」に登場する江戸時代の絵師伊藤若冲を取り上げます。伊藤若冲は最近、東京都美術館で大きな展覧会があって、その混雑ぶりが話題になったほど私たちに定着している有名絵師ですが、私が学生だった40年前は今のような圧倒的な人気を誇ることはなく、ほとんど知られていなかったように記憶しています。伊藤若冲を広めたのは1970年に初版された本書でなかったかと想像しています。写生画としては円山応挙が有名ですが、若冲は写実の正確さより画面全体を構成する象徴的なフォルムに独特な感性があって、それが現代の鑑賞眼からすると斬新で面白い印象を与えるのではないかと推察しています。本書にこんな文章がありました。「『綵絵』の画面構成は、どれも共通した特色を持っている。それは一種の無重力的拡散の状態に置かれたといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまなフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。それらのなかには『蓮池遊鮎図』の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こすものや、あるいは『老松白凰図』の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のように、それこそサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。」(辻 惟雄著)あたかもシュルレアリスムを論じているような文章で、それが現在の若冲人気を裏付けている要素であろうと思っています。
    12冊目の図録作成
    今月4日に新作の写真撮影が終わり、17日に案内状や図録用の写真を選び、23日に案内状の印刷と図録のレイアウトが出来上がってきました。案内状1000枚はギャラリーせいほうに既に届けてあります。今日は図録の色校正を確認する打ち合わせがありました。先日のNOTE(ブログ)に東京銀座のギャラリーせいほうとの付き合いが12年になったと書きましたが、カメラマンとの付き合いも12年になったわけです。気心が知れた仲というのは、こういうことを言うのでしょうか。画像処理をカメラマン任せでやってもらっても、自分の好みに合う仕上がりになっています。私はずっと同じ大きさ、同じページ数で図録を作ってきました。当初図録のサイズを揃えることに拘るつもりはなかったのですが、同じシリーズの図録が12冊あれば、それなりに説得力をもつものになっていると感じます。よくぞこんな図録を12冊も作ってきたなぁと思っています。図録の最終ページにセルフポートレイトを掲載していますが、12年前に比べると自分の加齢を意識せざるを得ません。今後アップはやめておこうと思いました。私の気に入っているページは、野外工房にスタッフ総勢が出てきて、作品を組み立てている場面を撮影した見開きが好きです。それから室内工房で作品全体を撮影した見開きも気に入っています。図録は集合彫刻を作る者には重要なもので、解体して倉庫に仕舞いこんでしまうと作品を確認できるのは図録だけなのです。図録は自分とカメラマンが協働する作品のひとつです。図録の印刷は2週間を見積もっています。
    「土谷武論」 閑寂のかたち
    野外展示された彫刻家土谷武の颯爽と空間を切る作品を、折に触れて見てきました。鉄と石を組み合わせ、大きく空間を捉えた作品は、ハッと眼に焼きつく印象を私に与えました。生前の作家を40年も前に一度だけ自分が学んでいた大学でお見受けしました。その時は保田春彦先生に呼ばれてきた感じで、土谷先生は手持ち無沙汰に佇んでおられました。「シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田 遺作・遺稿」(世代工房刊)に保田先生の奥様への追悼文を土谷先生が書かれているのを発見して、保田先生とは公私にわたってお付き合いがあるんだなぁと思っていました。1998年の東京国立近代美術館であった「回顧展」で土谷先生の作品が大きく変貌を遂げていて驚きました。重い鉄を薄く伸ばし皺くちゃにして、まるで紙のようにフワッと置いているのを見て、これはどうやって作るんだろうと不思議に思っていました。その意図するところや制作状況を「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)に記されていたので、引用いたします。意図するところは「土谷は閑寂というような、たとえ誰かがよほどの感性を密かに自負していたとしても、聞こうとして聞けず、触れようとしても、見ようとしても、探そうとしても、空に空を切るように手応えとてない、だだっ広い宙空の、しかし現にある八百万の無のかたちを正視して、そのかたちを目に見える彫刻に響かせて我々の前に提出してくれる。」というもので、成程こういうことかと思いました。制作に関しては作者の言葉が掲載されていましたので、そのまま載せます。「私は鉄のトンネルの外側からバーナーで炙り、手伝ってくれる若い彫刻家たちがトンネルの内と外に分かれ、真赤になった鉄をハンマーで叩く側と当て金をもって支える側になる。もちろん耳栓をしてヘルメットをかぶり、作業用眼鏡、革手袋、作業服、安全靴で身を固め、内と外は適宜に交替し、休息も十分とりながらとはいえ、延々といつ終わるとも知れない仕事が続く。時には我慢の限界を超えることもあったかと思うが若い仲間たちはよくついてきてくれた。我々は力を尽くして得心のゆくまで、つまり、虫の領域の出現するまで真赤に炙って叩きに叩くのである。」凄まじい制作振りが伺える文章でした。
    DM持参でギャラリーへ
    個展のダイレクトメール(案内状)が先週金曜日に出来上がってきました。それを1000枚持参して東京銀座のギャラリーせいほうへ行ってきました。職場で半日年休をいただいて、久しぶりに銀座に出かけ、ギャラリーせいほうの田中さんに会ってきました。私は個展を毎年開催していて、今回で12回目の個展になります。田中さんとの付き合いも12年になりました。初めの頃は作品のストックもかなりあって、余裕のある中で個展を開催していましたが、毎年発表しているためストックがなくなり、今では自転車操業になって完成まで危ない綱渡りをしながら、何とか個展に間に合わせています。週末になると制作に鬼気迫るものがあり、精神的に自分を追い詰めていくのが当たり前になっています。「1年間かけて制作してきて、これが限界だ。」と個展中自分がつい言葉にしてしまう台詞ですが、これが本音であり、また雑念を取り除いてフロー状態に自分をもっていく快感でもあるのです。集中力にも緩急があることが12年もの長い間に極意がわかってきました。さほど緊張を伴わない労働の蓄積が暫く続いて、そこを生かすために最終的に緊迫した制作になっていくのです。図録撮影日の2ヶ月くらい前が緊張のピークです。実はその時は職場も年度末と年度当初の過渡期になって多忙を極めているのです。公務員と彫刻家の二束の草鞋生活が上手くいかないと感じるのは、この時だけです。それでも何とか乗り切れば、人間らしい生活を取り戻してきて、美術館や映画鑑賞を楽しむことができるのです。今日は搬入の打ち合わせもしてきました。今回が12回目となると搬入や搬出も慣れたもので、自分の作品のことをよく知ったスタッフたちが手伝ってくれるのが有り難いと感じます。いよいよ7月個展に向けて自覚が芽生えてきました。