Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 陶彫用木箱を作り始める
    工房は朝からスタッフが2人来ていて活気がありました。中国籍のスタッフは日本の浴衣が欲しくて、家内が知り合いの呉服屋に彼女を連れて行き、浴衣選びをしたようです。気に入った浴衣を購入して、工房に帰ってきた彼女は上機嫌でした。彼女は呉服屋で浴衣を選んでいる最中も、中国の母親に画像を送って、母親にも意見を求めていたらしく、家内と中国の母親の趣向が一致したので、これにしたんだと私にも画像を見せてくれました。ネットで世界は狭くなったなぁと思いつつ、美人で細身の彼女には浴衣がよく似合っていました。工房では新作の梱包が進み、シートで覆う木彫部品の梱包は終了しました。残るは陶彫部品の梱包で、このために毎年木箱を用意しています。最初の頃は陶彫部品のサイズによって木箱の大きさを変えていましたが、板材に無駄が出るので、ここ数年は同じ大きさの木箱を作っています。木箱には複数個の陶彫部品を入れるようにしていますが、あまりひとつの箱に重量がかからないように調整しています。昨日購入してきた板材を組み立て、とりあえず3箱作りましたが、今回はどのくらいの木箱が必要なのか、陶彫部品を箱に収めながら作っていきたいと思っています。同時に個展搬出後、倉庫に新作が収まるかどうか考えていかなければなりません。売れないことを前提にしている自分が情けないのですが、倉庫はかなり狭くなってしまっていて、工夫しなければ収まりません。また来週末に考えていきます。
    週末 梱包に明け暮れる
    週末になりました。集合彫刻を分解したカタチでそれぞれ梱包するのは、かなり手間がかかる作業ですが、個展に向けて安全な搬入・搬出と、作品を倉庫に保管をするためには仕方のないことだと割り切っています。梱包は創作活動のような面白みはありません。他の彫刻家はどうしているのかなぁと思いつつ、ひとつずつ柱陶をエアキャップで覆ってシートに包みます。台座や柱陶はシートに包みますが、陶彫部品は木箱を作って入れています。そろそろ木箱を準備しなければならず、夕方は板材を買いに専門店に行きました。梱包をしている時は、創作をしている時以上に店に出かけて、材料の追加購入があります。今日は運搬業者との打ち合わせもありました。あれこれやっているうちに時間が流れていきます。梱包作業は、創作活動のような精神の高揚がないため漫然と時間を過ごしているので、早く新しい作品に取り組みたいと思っています。新作を併行してやってしまうと、梱包は遅々として進まない状況に陥るので、梱包が3分の2以上終わったところで、新作に手を出そうと思っています。前まで同時に作っていた「発掘~宙景~」のもうひとつの作品が傍に置いてあって、気になって仕方がありません。今日来ていた若いスタッフは自らの作品のための実験を繰り返していて、私は遠くから羨ましいそうに見ていました。新作に早く取り組みたいという思いを堪えて、明日も梱包作業の続きです。
    映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」雑感
    仕事から帰った夜の時間帯にミニシアターに出かけ、「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」を観て来ました。これは家内が希望した映画で、家内は胡弓奏者としてこの映画が主張する伝統継承についての確認をしたかったようでした。家内は「私がやろうとしているのは間違っていない」と何度も感想を洩らしていました。世界的なチェロ奏者として知られるヨーヨー・マは幼い頃から才能を発揮し、クラシック界では神童と呼ばれるようになりました。彼が高いモチベーションを保つため、世界の民族楽器を集めてアンサンブルを行ったのが、シルクロード・プロジェクトでした。実験的だったプロジェクトは高次元で融合されるようになり、映画では終始その響きが流れていて、その豊かな楽想に魅了されました。社会情勢が微妙なアジアや中東の音楽家たちは、伝統楽器の巧者になっても後進を指導することは叶わず、幾多の試練を乗り越えて、プロジェクトに参加していました。準主役のケイハン・カルホールはイラン出身の伝統弦楽器奏者、同じく中国出身のウー・マンは女流の中国琵琶奏者、クラリネット奏者のキナン・アズメはシリア出身、女流バグパイプ奏者のクリスティーナ・パトはスペインのガリシア出身、その他にも多彩な音楽家たちが自国の文化とともに取り上げられていました。伝統はそのままでは廃れる一方で、常に新しいコラボレーションを探り、融和と対峙を繰り返しながら、現代の民衆に合った多彩な表現を手中におさめなければなりません。これがこの映画が求めている伝統継承の姿だろうと思います。音楽の意義を問う場面が随所にあり、それは私がやっている造形美術にも通じる要素で、自分は何のために創作活動を行っているのか、この映画を観てその根幹を問いただすことになりました。家内も私も有意義な時間を過ごせたと思っています。
    アンフォルメルとヴォルスの関係
    先日、DIC川村記念美術館で開催されていた「ヴォルス展」に行き、ヴォルスが生きた時代に興った美術の潮流に思いを馳せる機会を持ちました。それはアンフォルメルという一連の動きで、仏語で非定型な芸術という意味です。代表される芸術家はデュビュッフェやフォートリエ、マチュー等でフランスを起点に活動しましたが、アメリカでもポロックに代表されるアクション・ペインティングが始まりました。第二次大戦後の都市破壊が夥しい混沌とした社会情勢の中で、アンフォルメルは戦争による不条理を経験した人々が、自己の存在や実存を探る動きでもありました。そうであるならヴォルスが産み落とした痛々しい作品の数々は、まさにアンフォルメルそのものであったように思います。図録によると「ヴォルスの作品こそが『アンフォルメル絵画』の最深の地平にまで到達していると仮定するなら、『アンフォルメル絵画』とは、ひたすら『感覚』によってだけ人間の崩壊を追求しようとした、不可能に挑んだ偉大な、しかし必敗を運命づけられた試みのことではないだろうか。」(千葉成夫解説)とありました。私が40年前に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)にはこう記されています。「ヴォルスは戦後美術の出発点である。近代的自我の泥沼の中の格闘から彼は自我を解放した。彼はヨーロッパ二千年の文化の崩壊をその眼で確かに見たのである。『虚無』を媒介にして彼は自我の袋小路から超越の世界へ一歩踏み出して死んだ。彼は『零』の意識そのものである。そこから戦後の美術家たちは出発した。~略~ヴォルスが表現した空間は『虚無の深淵に漂っている意識の宇宙』とでもいうよりほかいいようのない怖ろしい悪魔の世界であったが、そこでは近代的自我は粉々に砕け散って暗黒の宇宙にさながらきれぎれに飛び散る星雲の細片のように見えるが、仔細に見ると粉々に砕け散った自我の微小な細片を一つの中心に収斂する重力が存在しているのであって、これを超自我と名付けてよいかもしれない。」(飯田善国著)些か難しい言い回しもありますが、ヴォルスの現代絵画史での立ち位置がわかる論評ではないかと思います。
    千葉佐倉の「ヴォルス展」
    DIC川村記念美術館は、千葉県佐倉市の森の中にあって中世の城を彷彿とさせる美しい景観を持つ美術館です。ここでは私の感覚を擽る企画展が時々あって、橫浜から遠い美術館でもよく出かけます。箱の造形作家コーネルや、黒い家具のような彫刻を作ったニーヴェルスンの展覧会は、この美術館で見ることが出来ました。今回の「ヴォルス展」も同様で、自分にとっては長い間、謎に包まれた画家の全貌を知ることが出来た展覧会でした。先日のNOTE(ブログ)で書いた通り、20代初めに私はまず評論でヴォルスを知りました。絵画を見ることがその後になってしまったので、先入観を払拭することが出来なかった画家でしたが、今回まとまった作品を見て、漸く自分なりのヴォルス・ワールドを捉え直すことが出来ました。ドイツの裕福な家庭に育ったヴォルスは、音楽や学問に長けていたようですが、父亡き後は家を離れ、フランスに渡り、どこまでも彷徨を続けていました。第二次大戦が勃発して、収容所生活を送る羽目になったヴォルスでしたが、15歳年上のフランス国籍を持つ女性と結婚したことで釈放され、写真で稼ぎながら内面を吐露した絵画も始めていました。睡眠を取らず、酒に溺れ、自暴自棄とも思える生活の果てに腐りかけた馬肉で食中毒を起こして38歳で他界、これがヴォルスの人生でした。図録によると「本当は、たぶん、自身の内面に向かってしか彷徨できなくなった彼が絵画に捉われてしまった、ということなのだ。~略~そう考えなければ、そこから死までわずか12年あまりの、作品数からいってもそのなかみからいっても濃密な、濃密というよりあまりにも集中的で、没我的で、見方によっては自己滅却的ないし自己放棄的な制作のありようをうまく理解することができない。」(千葉成夫解説)とあります。まさに作品は危険な要素を孕んだ切迫感のあるものばかりで、このNOTE(ブログ)では語り尽くせないため、また機会を改めてヴォルスの世界観を探りたいと思います。