2017.06.20 Tuesday
私が常連になっている橫浜のミニシアターには夜の時間帯に上映するレイトショーがあって、仕事から帰ってから映画を楽しむことが出来るのです。今回観た映画は「ローマ法王になる日まで」という実在の人物を扱った映画でした。これは単なる立身出世のドキュメンタリーではなく、制作スタッフが法王の若かりし頃の行動を現地で丹念に調べ上げた探求の成果であろうと思いました。監督のインタビューに「多くの素材をもとにした解釈」「現実と架空のあり得る要素のミックス」という言葉があります。また人々の中には法王を「仮面を被った保守主義者」や「見た目ほど革新的な人物ではない」という評もあって、法王の人物像に迫るのに大変な苦労を伴ったことが垣間見れます。第266代ローマ法王フランシスコは、アルゼンチン出身の異色の人で、彼ベルゴリオが軍事政権の中で司祭として不当な仕打ちを受けたり、貧困と寄り添う状況が、映画では危機感をもって迫ってきます。時に政府に苦言を呈し、立ち退き住民と市との交渉役をしたり、現実と架空が入り交じる映画ではあるけれども、ベルゴリオの憤りはリアルに伝わってきました。映画のパンフレットから言葉を引用いたします。「本作は、いかにも英雄として彼を描き出すことはしない。自分の無力さに打ちのめされ、時に信条に反して仲間を説得し、怒りに震えて嗚咽を漏らすベルゴリオの姿や息遣いを、等身大の人間としてリアルに映し出す。それによって我々は、遠い国の過去の出来事としてではなく、非常にエモーショナルに彼が生きた時代を追体験させられることになる。」
2017.06.19 Monday
横須賀美術館は海に面した美しい景観をもつ美術館です。今まで何回か訪れた中で、今回の展覧会は美術館の美しい雰囲気をそのまま投影したような洒落た内容で、若い女性スタッフを連れた私は、ちょっといい気分で「デンマーク・デザイン展」を見ることが出来ました。デンマークのデザインは個性を強烈に出すものはなく、全てが洗練され、使い勝手が良さそうなモノが並んでいました。室内全体を統一したトータル・デザインがスタンダードな形で生活の中に馴染んでいるような印象を受けました。枠に囚われない現代アートの展覧会を見てきた者の眼には物足りなく感じられがちですが、じっくり鑑賞するとデンマーク人のデザイン性の高さが分かります。図録によると「大きなものから小さなものまで、デンマークには優れたデザインが数世紀にわたって浸透しています。それはデンマーク・デザインの特質であり、そしてそれこそが社会を支える力を育んできたのです。こうした視点に立てば、デンマーク・デザインは福祉国家の物理的な等価物といえます。」(アネ=ルイーセ・ソマ解説)とありました。また「古くから無駄を省いたプロテスタントの農耕文化であったデンマークでは、単純さの追求と素材の最適な活用は自然なことでした。デンマークが巨万の富によって特徴づけられることは決してありません。そして単純さと合理的な素材の適用は、インターナショナル・スタイルの特徴であるミニマリズムにうまく合致しました。」(クレスチャン・ホルムステズ・オーレスン解説)とある通り、デンマークは合理的でシンプルな魅力に溢れたモノを昔から作り出してきたと言えそうです。
2017.06.18 Sunday
今日は梅雨らしい鬱々とした天気でした。午前中は昨日から続いている作品の梱包作業をやっていました。今日は若いスタッフが2人朝から来ていて、それぞれ制作に励んでいましたが、10時半頃スタッフ2人と家内を連れて、千葉県佐倉市にある美術館に行くことにしました。車で走ること1時間半、首都高速と東関東自動車道、京葉道路を使って、目指すDIC川村記念美術館に到着しました。まず美術館内の洒落たレストランで昼食をしました。私以外は女性ばかりなので、今回は充分なランチタイムを取ってから企画展を見ることにしました。私がどうしても見たかったのは「ヴォルス展」で、彼女たちにとっては初めて耳にした芸術家でした。私もヴォルスのまとまった作品を見たのは初めてで、学生時代から現在に至るまで少ない機会を捉えて見てきた謎の作家の全貌に触れて、心より感銘を受けました。ヴォルスは私が彫刻を学んでいた20代初めに知り得たドイツの芸術家で、当時バイトで貯めた金銭でやっと購入できた書籍「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)によりヴォルスという名前を記憶したのでした。初めに飯田善国氏の評論による先入観から出発した私のヴォルス観でしたが、その後滞在したヨーロッパで小さな作品に触れる機会があり、その独特な世界を味わうことが出来ました。帰国後も企画展でヴォルスの作品に偶然出会うことがありました。その震えるような心象と痛々しく感じられる非対象の絵画は、どうして生まれたのか今まで考えたこともなく、ヴォルスは私の心に細々と生き続けてきました。その生い立ちや背景が今回の展覧会で漸く分かりました。詳しい感想や雑感は後日に回します。夕方は雨になってDIC川村記念美術館の美しい庭園を散策することが出来なかったのが残念でしたが、スタッフたちは美術館コレクションにあったアメリカの現代アートにも満足したらしく、楽しいお喋りをしながら美術館を後にしました。因みに東京方面に向かう高速道路が渋滞し、帰途は3時間以上もかかってしまいました。
2017.06.17 Saturday
週末になりました。今日は朝から工房に篭って作品の梱包作業に精を出しました。シートの内側にエアキャップを貼り、柱陶の作品を包み込む作業でした。途中でシートや養生テープが足りなくなって、店に追加購入に出かけました。梱包は創作活動とは違い、とても退屈な作業ですが、搬入や搬出だけではなく倉庫で保管するためには必要な作業なのです。創作が佳境を迎えた時のような高揚感はありません。職人の如く坦々と仕事をしています。明日も継続です。今日は夜8時に自宅にカメラマン2人がやってきました。先日撮影した作品の写真が出来たので、多数の写真の中から図録用に選定するためにやってきたのでした。私は勘に頼っているので、写真の選定は昔から早い方です。迷っていると判らなくなるので直感を信じるようにしています。今年もいい図録が出来そうで嬉しく思いました。集合彫刻を作っている私は、図録を作品紹介の大切なアイテムにしています。理由は彫刻を組立てることが容易でないため、図録でしか作品を見せられないからです。昨年から野外で撮影することが増えていて、全体写真も部分写真も全て野外の陽光が影響しています。今年の撮影日は素晴らしい天気だったので、作品が美しい陰影を作っていました。写真を見ていると撮影した日のあれこれを思い出し、手伝ってくれたスタッフの皆さんに、心でもう一度手を合わせて感謝してしまいます。何しろ「発掘~宙景~」の陶彫部品の重量や「発掘~座景~」のテーブルの支えが心配だったので、無事に作品が組立てられた時は、ホッと胸を撫で下ろした次第でした。案内状が刷り上がったら東京銀座のギャラリーせいほうに1000枚持参する予定です。
2017.06.16 Friday
東京駅内にあるステーションギャラリーは面白い企画展が多く、今まで私は幾度となく足を運びました。とりわけ2階の煉瓦壁に掛けられた作品の数々は、独特な雰囲気を纏って鑑賞する者に心地よさを与えてくれます。金曜日は遅くまで開館しているので仕事帰りに立ち寄ることが出来て、勤め人にとって有り難い配慮です。今日見に行った「アドルフ・ヴェルフリ展」は精神疾患を患ったスイス人画家の日本初の個展でした。画面全体に埋め尽くされた不思議な記号や文様、ほとんどパターン化されていると言ってよいほど執拗に繰り返される絵画は、どう見ても狂気を感じさせるものがありました。作者は31歳の時に精神科病院に収容されて、そこから66歳で没するまで延々と病院で絵画を描いていたようです。展覧会の副題は「二萬五千頁の王国」。その膨大な量はアール・ブリュットの絵画では括りきれない存在感がありました。ヴェルフリは1864年に7人兄弟の末っ子として生まれ、貧困家庭であったため里子に出されますが、なかなかの問題児であったようです。少女に対する性的暴行未遂で投獄され、その後に統合失調症という診断によって精神科病院に送られますが、そこでも暴力行為があって独房に入ったりしています。その頃漸く絵を描き始めていて、もしもヴェルフリに絵画表現がなかったら悲惨な人生が待っていたことでしょう。彼にとって創作活動は魂の救済だったのでしょうか。彼は連作を試み、「揺りかごから墓場まで」「地理と代数の書」「聖アドルフ巨大創造物」というテーマで、それぞれ多量な絵画や文章、作曲による作品が残されています。25.000ページの王国という、架空の世界を思い描いたヴェルフリは、確かに常軌を逸した芸術家であったと思いました。自分の辛い過去を自分の物語で作り変えて、創造の世界で遊ぶことは私も大好きです。それは常人にとっては現実逃避なのかもしれませんが、私も架空都市を彫刻しているので、ヴェルフリに通じる世界観を持っているのかもしれないと勝手に思い込んでいます。