2016.09.09 Friday
私はこの手の映画が大好きです。政治とスポーツの分離を考えされられる一面があり、スポーツを芸術に置き換えれば、まさに私のツボに嵌まってしまうからです。ナチス政権に興味があると書くと語弊がありますが、当時の日本も含めて戦争犯罪を振り返る機会として、自分の興味関心の対象になっているのです。ヒトラーによる1936年のベルリン・オリンピックがどのようなものだったのか、時代考証による映像に私はまず惹かれました。アーリア人の優位性を証明するため巨大建造物を作ったヒトラーは、世界に向けての宣伝効果を狙い、ナチス一色に染まった夥しい観衆を登場させました。まさにオリンピックの政治利用だったわけですが、そこに颯爽と登場する黒人の米陸上選手ジェシー・オーエンスが、ヒトラーの意に反し4つの金メダルをさらっていく痛快な実話が、この映画の醍醐味になっているのです。「ヒトラーの鼻を明かすんだ。」という同じ黒人ライバル選手の台詞、ナチスの人種差別政策ゆえに出場を辞退しろと言う全米黒人地位向上協会の申し出、苦悩するオーエンスに出場を決断させたのは何だったのでしょうか。「走っている10秒間、自分は自由だ。」というオーエンスの台詞があります。実在のオーエンス自身がその言葉を発したかどうかわかりませんが、私はこの台詞が印象に残りました。スポーツや芸術は、まさに人種や国籍や政治を超えた人間本来の姿を浮き彫りにするのです。こんな功績を打ち立てたオーエンスは歴史に埋もれていて、私もこの映画によって初めて存在を知った次第です。「栄光のランナー」は私にとって大変面白い映画でした。
2016.09.08 Thursday
職業とは社会のメカニズムの中でその役割を演じているに過ぎないのではないか、私は常日頃から己の存在を問うことを試みていて、その存在そのものと職業人としての私の間に隔たりがあるような気がしてなりません。職業は私に鎧を着させて、メカニズムの中で有用に動くことを強いています。それは現状の私の立ち位置からすれば、決して苦しいものではなく、枠の中で既存の概念から外れないように注意すれば、動き方のマニュアルが見えてきて、とても楽なものになっていきます。有り難いことに現在の職場では私に親密で協力的な組織があって、それをもって私が圧迫を感じない要因だろうと思います。マニュアルもある程度確立されているので、責任ある立場であっても、こんな私が職業人としてやっていけるのだと思っています。ここでいう私の存在は組織の存在であって、対外的な鎧を纏う感覚が隅々にまで浸透しています。それに比べて個を主張する自己存在への問いかけは孤軍奮闘であって、明らかに職業人としての私とのズレが生じています。我に返ることは決して楽なことではないという認識を私は持っています。創作活動が趣味の域を超えているせいかもしれません。表現者としての自分がそのまま職業人として社会的認知がされている幸福な場合なら、こんなズレを考える必要はないでしょう。残念ながらいくつになっても私は自己表現では食べていけず、アマチュア的活動に甘んじながら、それでも精神性をもってプロフェッショナルを凌駕する存在でありたいと願っているのです。職業人と表現者との隔たりは一生私に付き纏うものでしょう。
2016.09.07 Wednesday
職場から出張先に向かう途中で時間に余裕が出来ると、私はフードコートのような気楽なところで、お茶を飲みながらRECORDを作成したり、読書をするのが大好きです。出張先の会議に使う資料には目もくれず、たとえ30分でも自分自身になっていたいと思っています。会議になれば、自分の事情より議題が優先されて意見交換をしなければなりません。それは仕事人間としての自分であり、自分の心情などどうでもよい世界なのです。私は社会的な仕事と個人的な表現行為を分けて考えようとしています。どんな場面でもちょこっと休憩する時間があれば、私は自分自身に戻りたいと考えていて、創作できる素材を携帯しています。RECORD用紙と鉛筆やペン、手帳などが常時カバンにあってアイデアを書きとめておくのです。コトバを捻り出していることもあります。今朝は通勤するバスの中で、RECORDのテーマに添えるコトバを考えていました。今回のコトバはすべてひらがなでいこうとか、ひらがな表記ならこのコトバよりあのコトバの方がいいなぁとか、いろいろ頭を巡らせていました。実が熟すようにコトバも頭の中で醸成するものかもしれないと自分は思っています。紙にコトバを記すまでに段階があるようにも思えます。それは造形作品のイメージ作りと似ていて、幾度となく取捨選択を繰り返すものです。ちょこっと休憩は、完全なる頭の休止状態ではありません。寧ろ自分自身を取り戻し、創作活動を展開する充実した時間とも言えます。社会的な仕事と仕事の合間に自分を取り戻す時間を持つこと、これはストレスの解消にもなり、自分が社会人としてやっていくために心の隙間を有効活用する手段なのです。
2016.09.06 Tuesday
今年はひらがな4文字による年間テーマを設定して、日々RECORDを作っています。RECORDとは一日1点ポストカード大の平面作品を作る総称で、ホームページにも過去の作品をアップしています。今月のRECORDのテーマを「とぎれる」にしました。いつか途切れるかもしれないRECORDを、体力知力が続く限り頑張って継続していくつもりでいる自分に敢えてこんなテーマを与えてみたのは、反語的な意味合いによるものです。人と人との繋がりも途切れてしまえば、そこで終わりになりますが、ひょんなことからまた復活することもあります。ご無沙汰している人と会わずに悶々としているよりも、会ってしまった方が、関係修復はスムーズに出来ることを、私は幾度となく経験しました。個人的なことですが、途切れた関係を元に戻すのに個展が有効な作用を及ぼしていることも知りました。また繋がっていける契機がどこかで持てればと思っている人は数多くいて、自分には年間1回の個展という機会が与えられていることに幸せを感じます。そんなことを考えながら「とぎれる」というテーマで今月のRECORDをやっていきます。
2016.09.05 Monday
先日、話題になっている「シン・ゴジラ」を観に行きました。私は隠れゴジラファンで、過去のゴジラ映画は日米を含めて全部観ています。初期の第一作と第二作は、自分がまだ生まれていなかったため、再上映で観ていて、とりわけ第一作には衝撃を受けた思い出があります。子どもの頃はゴジラ映画の続編として敵対出現したキングコングやモスラ、キングギドラに興奮していました。その後は怪獣総出演のシリーズ化が始まりましたが、子ども心を擽られる楽しさに酔っていました。自分が成長して漸く第一作のビキニ環礁の核実験の警鐘として誕生したゴジラに再度関心を寄せました。今回の「シン・ゴジラ」も社会問題の反映を多く含んでいます。これは子ども心を擽られる映画ではなく、現代の日本に巨大生物が現れたら、どう対処していくのかを課題視する作品に仕上がっていました。政界では首相官邸を初めとする各部署での情報交換、危機管理における連絡系統確認、生物に関する学術的見解など、一般人の知らない政府内の動きにまず目を見張りました。次に自衛隊要請に関することや実際の駆除作戦の方法が理にかなっているのか、自衛隊が所有している航空機等装備の配置についても、映画関係者による調査や依頼、交渉に「シン・ゴジラ」は大変な労力をかけたことが分かりました。国民に発表するタイミングはいつか、避難指示をどう出すのか、政治家がいつ防災服に着替えたのか、細かいところに拘ればキリがありませんが、自分は橫浜市の管理職の一人として、「シン・ゴジラ」には娯楽だけではない要素を感じていました。人間側の主人公はいましたが、映画では寧ろ組織的対応が全面に出ていました。男女間の恋愛もありませんでした。これは東日本大震災の資料が有効に使われているのではないかと思う節も散見され、ひとつの部署を預かる自分は、自然災害の危機管理にどう組織的対応をしたらいいのか自問の対象になりました。ゴジラに破壊された街は震災後の状況を彷彿とさせるものがあって、今の私たちには現実味があったことを最後につけ加えておきます。