Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 個展のお礼状印刷
    今夏11回目の個展を開催しました。東京銀座のギャラリーせいほうは、横浜から行くのは時間がかかるなぁと毎年思っています。私の知り合いは横浜在住が多く、それでも銀座に来ていただけることに心より感謝申し上げる次第です。本当に有難うございました。私はカメラマンに頼んで、毎年個展会場の画像をお礼状にしています。個展が終わって1ヶ月以上過ぎたところで、お礼状を出すようにしているのです。お礼状の投函期間を長くしているのは、個展の雰囲気を忘れた頃に、もう一度思い出して欲しいという私の我儘によるものです。お礼状は芳名帳の記録をもとに宛名印刷をしています。もともと住所がわかっている知り合いは、芳名帳に住所がなくても投函できます。芳名帳に氏名しかない場合や来廊されても記録していただけなかった人には大変申し訳ありませんが、お礼状を出すことができません。達筆すぎて文字が判明できなかった人にも無礼をお詫びいたします。今回の画像は「発掘~環景~」を使いました。円形になった集合彫刻を上から撮影したもので、私が大変気に入っている画像です。工房で撮影した図録の画像とは、雰囲気の異なる画像になっていて、ギャラリーの照明の優しさや柔らかさがよく表現されています。作品が美しく化粧しているように思えてなりません。そんな画像を見ながら今晩は宛名の印刷をしました。
    いい加減になった夏読書
    若い頃から自分は夏になると集中して読書をすると決めていました。夏が近づくと書籍を選び、この夏はこんな傾向の本を読もうとテーマさえ設けていたのに、いつの間にか夏の読書は衰退の一途を辿っています。これはまずいなぁと思いつつ、今年の夏も一冊の読破もできずに過ぎてしまうようです。自分にとって夏の読書は義務教育と高校教育の賜で、読書感想文なるものが常に私の頭にありました。小学生の時は仕方なく始めた読書が、中学校では楽しくなり、本の虫になっていました。ただし、当時は友人の影響で推理小説一辺倒だったので、感想文には困っていました。ちょうどその頃、カフカの「変身」を読んで、教員から読書の真意を疑われたこともありました。高校は文学や随想に走り、多少の気取りがあって詩に憧れてみたりしました。もうその頃は学校の宿題はなく、自分でノートを作って適当な感想や恥ずかしい詩を書き溜めていました。工房に出入りしている大学院生が、あの頃の自分と同じようにノートにコトバを綴っているのを知って、妙に彼女と共感してしまいました。ちらっと見せてもらった彼女のノートは、バリエーションに富んでいて、紡ぎだすコトバの巧みさに驚きました。彼女は若くして詩の能力に溢れていました。私の稚拙な書き溜めは、今ではホームページのNOTE(ブログ)が代わりをしてくれています。しかしながら夏読書はコンセプトが揺るぎました。多忙の犠牲になるのが読書ではいけないと思っています。そろそろ難解な大著に挑みたいと思っているこの頃ですが、まず読書習慣をもう一度見直してから始めなければならないと思っています。
    8月最後の週末
    今日も昨日に続いて涼しい日でした。今まで悩まされた酷暑はどこにいったのか、台風が過ぎれば暑さは戻ってくるのか、ともかく今日は作業が進みました。新作の制作ペースは少しずつ掴めてきました。新作の陶彫部品の彫り込み加飾は、例年より細かく手間がかかります。新作の特徴はそれだけではありません。テーブル彫刻の柱にも陶彫部品を貼り付けて、木材による構造体全てを陶彫で覆う予定です。結局旧作より密度のある作品を作ろうとしているのです。毎年レベルアップを図っていて、ゴールを少しずつ高くすることは、休まず弛まず上を向いて作っていく姿勢の現れです。創作活動の基本的な姿勢は、常に上昇志向にあって然るべきですが、たまにシンドいなぁとも思うこともあります。二束の草鞋生活において余裕がないのもシンドいと思える原因ですが、ずっとそうして生きてきたので、日常的には何ら問題はなく、今まで通り足元を見据えて継続していくのみです。「先生は休まなくても大丈夫なのですか?」と若いスタッフに聞かれますが、本当に大丈夫なのです。工房があって、職場があって、その双方が動いていく、また動かしていくことが幸せと感じているからです。こんな感じ方ができるのは体調が回復した証拠です。8月最後の週末に思った通りに作業できたことは良かったと思いました。次の週末は9月です。新作の制作工程は始まったばかりで、今後の展開が楽しみです。
    週末 いつも通りの制作
    週末になりました。8月最後の週末です。ここにきてやっといつも通りの週末の雰囲気になりました。というのも今月は閉庁期間を利用して制作を進めたり、体調を崩したりしていたので、レギュラーな週末の制作が出来なかったのでした。今日は台風の影響のためかとても涼しい一日で、雨が降ったり止んだりしていました。朝から夕方までじっくり作業が継続できて、今までの酷暑が嘘のようでした。私の体調も回復し、制作に集中できたことは本当に良かったと思いました。創作活動は基本的には健康であった方がいいと思っています。美術史を紐解くと、病の中で命の炎を灯しながら創作に打ち込んだ多くの芸術家がいました。その落陽に見せる一瞬の輝きが素晴らしい芸術世界を生んだことは否めません。でも、彫刻は病床に伏せていては制作不可能です。健康的で強靭な肉体と精神を持っていないと立体を造形するのは難しいのではないかと思うのです。彫刻は実素材を介在する表現方法であるため、ともかく元気でなくては作品が出来上がっていきません。いつも通りの制作三昧の週末が過ごせることは、幸せなことだと感じます。いつも通りの日常も幸せと感じています。これを長く続けられたら最高です。明日も制作続行です。
    先祖に憑かれたような家内
    私の実家はその昔、分家であるにも関わらず本家を凌ぐ盛況ぶりで、母屋の周囲に大きな庭があり、さらに田畑が広がっている環境がありました。現在では祖父母や父母がほとんどの土地を手放してしまいましたが、まだ母屋と納屋、庭はそのまま残してあります。母がたまに介護施設から帰ってくるので、実家でも生活ができるように配慮してあるのです。私の記憶では祖母も母もこの時期になると落ちた柿の実を掃除していました。庭には樹齢何百年かの大きな柿の木が2本あって、毎年落ち葉と柿の実を落とします。とくに公道に面したところにある柿の木は、歩道に多くの柿の実を落とし、歩行者の迷惑になっているのです。これから秋になるとますます熟れた柿の実が歩道に落ち、臭いを発することがあります。祖母も母もそれを気にして毎日清掃をしていたのでした。今年になって家内がそれを気に止めるようになりました。早朝、寝起きに実家にいく家内は、先祖に憑かれたような行動に出ています。家内は柿の実の掃除や草むしりをやっていて、実家を良い状態で保とうとしているように思えます。先日業者を呼んで実施した実家の整理で、家内は野良着の女性を一瞬見たと言っていました。私はその日いなかったので、何のことかわかりませんが、家内は気になって仕方ないようです。土地や家が人を引き寄せることがひょっとしてあるかもしれません。家内は相原の家に嫁に来て数十年経ったことで、先祖に迎え入れられたのではないかと私は勝手に想像しています。