2016.08.05 Friday
先日、東京葛西にある関口美術館に「堀内正和彫刻展」を見に行きましたが、当美術館は本館と東館があって「堀内正和彫刻展」は東館で開催していました。本館では「柳原義達常設展」をやっていたので、これも見てきました。彫刻家柳原義達は、戦後の具象彫刻を先導した一人で、鳩や鴉をモチーフに骨太の塑造美を追究した人でした。作品がまとまったカタチで展示されていたことに私は満足を覚えました。図録を拝見して、ちょっと驚きました。そこに石彫家中島修さんの文章が掲載されていたからです。以前、中島さんは柳原先生を師と仰ぎ、柳原先生宅に下宿していた旨を中島さん本人から聞いたことがあります。おまけに私は中島さんの文章を初めて見たので、そこに生前の中島さんの痕跡を感じて、ご本人のざっくりした言い方や緻密な彫刻を思い出し、何とも言えない気持になりました。その文章は「ドナウで足を洗いたい!」という題がつけられていました。一部を抜粋いたします。「先生をリンツの駅に迎えに行ったおり、先生は開口一番に『中島君、僕はドナウで足を洗いたい。』とおっしゃいました。~略~さっそく足を洗いにドナウに出かけました。先生は靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンをひざの上までまくしあげ(ついでに腕時計を河岸にはずされて)満足そうに両足をドナウに入れ…」という描写があり、どうやら柳原先生は腕時計を河岸に忘れてしまったそうで、そんなエピソードが綴られていました。柳原先生が他界された時に「私は急いで先生の骨粉を両手でかき集めて封筒に入れ、オーストリアに持ち帰りました。先生が生前、”ドナウで足を洗いたい”と言われたドナウにしずかに骨粉を流し入れました。」とあります。ドナウに散骨された日本人の巨匠は、天国でこの行為を見てくれていたのでしょうか。散骨した当人の中島さんも既にこの世におりません。さしづめ彫刻家柳原義達は、私が師と仰いだ人のさらに先の師と言えるのではないかと思ったのでした。
2016.08.04 Thursday
日本の抽象彫刻の先駆者堀内正和に生前一度お会いしたことがあります。大学で彫刻を学んでいた頃、かれこれ30数年前になりますが、「彫刻の森美術館」と「池田20世紀美術館」を設計した井上武吉先生を講師にして2つの美術館を回るバス旅行に私は参加しました。その時、篠田守男先生とその師匠である堀内先生が同行されたのでした。町工場の社長さんのような佇まいの堀内先生でしたが、途中はお疲れのようで、美術館のソファに横になったりしていました。当時の写真が残っていて、井上先生も堀内先生も他界されたので貴重な記録と言っていいと思います。彫刻家堀内正和は、また文章の達人で軽妙洒脱で分かり易い説明に胸がすく思いがしました。展覧会評や現代彫刻のあり方について、ある時は自らの造形の変遷について、何の飾りのない素直な文章で述べられていて、私自身の頭と心の整理にも役立ちました。堀内彫刻も分かり易く簡潔すぎる形態を飽きることなく眺めていられる不思議な魅力があります。先日、東京葛西にある関口美術館東館で「堀内正和彫刻展」が開催されているので見てきました。部屋に数点置かれた幾何抽象の鉄の彫刻は、凛とした緊張感をもちつつ、親しみやすさもあり、胸襟を開いた立体という印象をもちました。作品にも文章同様胸がすく思いがするので、時折見たくなるのです。これは自分自身の雑念を洗い流すためでもあります。カタチの基本を成す丸・三角・四角という幾何形体、それが立ち上がって3次元空間になり、折られたり、曲げられたり、翻ったりして成り立つ彫刻。簡潔と言ってこれほど簡潔な世界はありません。また一方で、堀内彫刻にはカラクリのようなユーモアたっぷりの世界もあって、その遊び心が楽しいのです。久しぶりに触れた芯の通った堀内彫刻の基本的な世界観に、夏の暑さを暫し忘れさせてくれる清涼感がありました。
2016.08.03 Wednesday
東京六本木にある国立新美術館で開催中の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展には、ティツィアーノの祭壇画「受胎告知」が初来日しています。私が見に行った時も多くの鑑賞者が「受胎告知」の部屋で足を止めて、熱心に見ていました。ヴェネツィアのサン・サンヴァドール聖堂は、昔自分がヴェネツィアに行った際に訪れているかどうか定かではありません。ということはサン・サンヴァドール聖堂にある祭壇画「受胎告知」は自分は初めて見たのではないかと思っています。まず画面の大きさに圧倒されましたが、左側にいる大天使ガブリエルの存在感、右側のマリアの耳元のヴェールをつまんでお告げを聞く姿勢が、ちょうど劇でも観ているようなドラマ性を感じさせました。そこには「色彩の錬金術」と賞賛されたティツィアーノの面目躍如たる豊かな色彩世界が広がっていました。図録によると貴族や裕福な市民は寄進によって祭壇の保有権が獲得できたようで、「受胎告知」は大商人によって依頼されたものでした。さらに図録に面白い記事がありました。「芸術家列伝」(初版1550年)を著したヴァザーリが書いた一文で、初期のティツィアーノは細部も入念に描いていて賞賛に値するものだったが、晩年になるにつれ、筆致が粗くなり、ヴァザーリが戸惑う面が見られるのです。たとえば「老いによって不完全さに陥ることのなかった最盛期にあれほどの名声を得たのだから、いまさら出来栄えの劣る作品を描いて自らの名誉を損なわないために…」とあります。当時はティツィアーノの画風の変化をこのように捉えられていたようですが、現在からすれば「対象の自然主義的な再現を超えた、神秘的で霊的な絵画空間が経験されるのであり、80歳を過ぎた大画家が最終的に到達した深遠な精神的境地として畏怖の念をかきたてるのである。」(越川倫明著)というような評価がされています。私も実際に鑑賞して「受胎告知」に精神性を感じとることができました。
2016.08.02 Tuesday
先日、東京六本木にある国立新美術館に「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展を見に行ってきました。私は20代の頃、ウィーンにいました。隣国のイタリアの街ヴェネツィアには鉄道で行けることもあって、複数回ヴェネツィアを訪ねています。今になって思えば、もっと長く滞在しておけばよかったと後悔していますが、あの頃は懐も心許なく、ヴェネツィア中央駅の広場で野宿をしたこともありました。当時アカデミア美術館や謂れのある教会も訪ねたはずですが、観た作品をほとんど忘れていました。唯一ティツィアーノの女性裸体画が輝くばかりに美しかったと記憶しています。ヴェネツィアは美術館よりも街全体が楽しくて、入り組んだ運河や迷路のような小路が、胎内潜りのような感覚を自分に植えつけたのでした。輝く裸体画という私の印象は満更適当なものではなく、図録にこんな文章が掲載されていました。「イタリアの他都市のような小さな宮廷をもつ君主国と違って、政治・経済を支配する当事者の数がより多い寡頭政の国家であった。~略~ヴェネツィアは、とりわけ対抗宗教改革の時代においても、ヨーロッパの他の国に比べて性に関して自由な都市であった。~略~16世紀以来、売春を目的とする旅行がフランス人やイギリス人によって行われていたことがわかっている。いずれにしてもヴェネツィアでは、比較的検閲がゆるやかであったため、抑圧や弾圧に悩まされることはなく、生の悦楽に満ちた絵画表現が可能であった。~略~ヴェネツィアは国際都市であった。それゆえ画家の国籍や文化の違いにも非常に寛容だった。ヴェネツィアでは、ユダヤ人、トルコ人、ドイツ人、アルバニア人など多くの外国人コミュニティが、共和国政府と軋轢なく平穏に共存していた。」今回来日していたアカデミア美術館所蔵の傑作には、こんな社会背景があったのだなぁと思いつつ、サン・サンヴァドール聖堂に収まっていたティツィアーノの巨大宗教画「受胎告知」の前で足を止めていました。同絵画に関しては別稿を起こします。
2016.08.01 Monday
8月になりました。暑い日が続いています。今月の前半は出張があったり、宿泊研修があったりして、現在のところ職場では休み気分に浸れませんが、今年度は今月5日間の閉庁日を設けることにしました。8日(月)から15日(月)までで、新しく制定された「山の日」の前後でまとまった休みを計画しました。加えて私は夏季休暇5日間を続けて取得しようと思っているので、横浜市公務員になって週末を含めると最大14日間の休みを取ることになります。これは社会人になって初めてのことです。再任用になって漸く企画できた大型連休、しかも自ら決定を下した閉庁期間、これで大丈夫かという思いも頭の片隅にあります。そこで閉庁期間は職場の有事に備えて、私は横浜から出ず、工房で制作三昧をしようと決めました。後半の夏季休暇はアジアの世界遺産を巡る旅に出ようと思います。今年はインドネシアの仏教遺跡ボロブドゥールとその周辺の遺跡群を見てくる予定でいます。仏教遺跡は必ずや新作へのイメージに役立つと信じています。そのため今月は時間を有効に使いたいと考えていて、職場の危機管理を頭に入れながら、創作活動に本腰を入れたい意向があります。今月は新作2点の完成イメージを掴み取らなければならないと思っているのです。鑑賞も遺跡だけでなく美術館等に行きたいと思っています。RECORDも継続です。毎年8月のRECORDにはアジアの世界遺産が登場しているので、今月もボロブドゥール遺跡を全身で体感し、情景描写を試みたいと思います。読書は相変わらずカフカに拘っています。出来るなら幅広い分野の書籍に挑戦したいと思っていますが、こればかりは節操がなくなるので、まず眼の前のカフカをしっかり読むことだと自分に言い聞かせています。今月も身体を気遣いながら頑張りたいと思います。