Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • アジアの遺跡に思いを馳せて…
    毎年私は夏季休暇の5日間を使ってアジア諸国を巡っています。今年で3年目になりますが、今年はインドネシアのボロブドゥール遺跡とその周辺を訪ねようと思っています。一昨年はカンボジアのアンコール遺跡群、昨年はタイのアユタヤ遺跡を見てきました。アジアの世界遺産を巡る旅行も3度目ですが、テロ等の世界情勢の急変があって、気楽な旅行というより無事に観光できたら幸いという思いが優先しています。私の作品のイメージの源泉は、20代の頃旅したトルコ・ギリシャのエーゲ海沿岸に広がる円形劇場や列柱が並んだ遺跡に由来しています。最近ではアジアの遺跡も脳裏を掠めていくので、イメージの上書きをしている傾向があります。古代の人々が構築したものを、そこの場で味わう喜びは格別です。自分のイメージに空気を呼び込み、その空間を歩いて捉えながら、摩滅した石壁に触れる楽しさは、創作意欲を刺激して止みません。そこは遥か遠い昔に人々の生活する場であったり、祈りの場であったりしたのでしょう。広場は大勢の人々が往来していたはずです。諍いに男たちが駆り出され、また農耕に勤しみ、子どもたちが戯れる場面もあったでしょう。現在では森林に閉ざされた遺跡群ですが、古代に思いを馳せて、心の中で時空を超えてみるのも一興かなぁと思っています。そんなイメージの膨らみや上書きを求めて、再び古代遺跡を味わってみたいと思っている今夏です。
    ビーフシチュー&鳥鍋のサービス
    このNOTE(ブログ)では職場について触れる機会が少ないのですが、職場で人間関係がうまくいくように私自身が仕掛けていることについて今日は書きたいと思います。職員はそれぞれ5日間の夏季休暇を来月末までに取ります。今年度からこの時期に私の職場では休庁期間を設定しました。ちょうど8月11日の「山の日」前後を休庁にしていますが、その前に暑気払いを行います。私も職場のコミュニケーションを大切にしたいので、夜の懇親会にも参加しますが、私自身が職員のために大鍋を使った汁物サービスを提供しています。これは管理職だからというわけではなく、私の得意分野だからやっているようなものです。料理は創作活動です。昨日は若手職員のためのノウハウ研修会を持ちました。10人程度の若手職員のためにコクのあるビーフシチューを作りました。窯出しパンも買ってきました。パンは手作りできないのが残念なところですが、工房には陶芸用の窯があるので、パン作りに挑戦しようと思えば出来るかもしれません。今日は全職員に鳥肉ベースのすまし汁を作りました。若手職員はよく食べてくれます。私が出来ることと言えばこんなことかなぁと思っています。私たちは専門家集団ですが、専門を超えて連携協力をする場面が多くコミュニケーションは必須です。職員全員が仕事のやり残しがなく、笑顔で夏季休暇を迎えることが出来ればそれに越したことはないと思っています。
    「幻想耽美Ⅰ・Ⅱ」について
    「幻想耽美」(パイ・インターナショナル刊)ⅠとⅡは、アンダーグランドやサブカルチャーで括れない現代日本の耽美的で多面的な作風をもつ造形作家たちを集めた書籍です。その心を抉るような表現は読者に衝撃を与えると言っても過言ではありません。そもそも耽美とは何か、「幻想耽美Ⅱ」に書かれた文章から引用します。「極論かもしれないが、他者から見て醜悪であろうがなかろうが関係なく、作家本人が〈美〉だと認めたことに作家本人だけが耽溺できればいい、というのが〈耽美〉なのだ。」(沙月樹京氏執筆)また、こうした傾向が西欧を発端としながらも、日本独自に深まったことについて「幻想耽美Ⅰ」の序文から引用します。そこには客体性情憬というコトバが登場しています。客体性情憬とは何か、文中のコトバを拾うと「『自身が客体であること』への、主体による情憬として成立する、本来は不可能な想像であり幻想である。多くの場合、少年・少女をその憧れの対象とするが、それは西欧的な意味での鑑賞対象ではなく、主体客体相互浸透的な自己愛の象徴である。~略~多くの客体性情憬的なアートが欧・米で決められた性の歴史的規範に激しい抵抗を示すのは、遠い過去にアンチ・ヘテロセクシャルな理想の記憶を持つからだ。ただし、表現として結実するそれらは、現実の同性愛の記録ではなく、飽くまでも自己愛の形象化としてのプラトニックな『少年性礼賛』、そしてその変形としての『少女性礼賛』であり、そこで情憬される少年・少女はいわば架空の、精霊的なイデアである。従ってそれへ近づくことは死への接近である。」(高原英理氏執筆)白状すれば自分が若い頃は、耽美な表現が体質的に合わず、それは現代美術の衰退であると決めつけていた時期がありました。いつからか耽美主義に死の匂いを嗅ぎつけて、そこから発想される生命への渇望が見えたときに、私は一筋縄ではいかない表現の深淵に惹かれてしまっていました。このゾクっとする感覚は何なのか、これも現代アートの一面を担っていると考えるようになりました。
    16’個展オープニング
    11回目の個展の初日を迎えました。今年も個展が出来たことで内心ホッとしています。こればかりは自分の健康状態や新作の完成ばかりではなく、ギャラリー側の事情もあるので、今年も企画を入れていただけたことに感謝です。運搬や搬入搬出に関わる人たちの力も大きいと自分は感じていて、そうした協力がなければ彫刻の展覧会は成り立たないのです。10年一区切りとは言うけれど、11年目に突入できたことへの意義は充分あったと思っています。懐かしい方々も銀座に足を運んでくれて、楽しいひとときを過ごすことができました。個展初日には毎年評論家の瀧悌三氏がお見えになり、批評を書いていただいています。瀧さんから数年前に縄文遺跡の直弧紋について研究するように示唆をいただきました。直弧紋の左右対称を崩した斬新さを知り、自作に生かしていると申し上げました。美術年鑑社の油井一人社長もお見えになりました。油井さんも毎年来ていただいています。最近は綺麗にまとまった彫刻が多く、私のような大きく厳つい作品は珍しいと仰っていました。ギャラリーの田中さんもそんなことを言っていました。置く場所を考えず、購入する側のことも考えていない作品は、現代彫刻界では相原だけと言われて、それは褒められているのか、批判されているのかわからないのですが、ギャラリーせいほうで企画していただいていることは、即ち認められているのだろうと勝手に解釈することにしました。23日(土)まで開催していますので、ご高覧いただければ幸いです。
    16’個展搬入の日
    いよいよ個展搬入の日を迎えました。11回目の個展とはいえ毎回作品が異なるので、作品がイメージ通りになっているかどうか緊張と不安が頭を過ぎります。朝9時過ぎに運搬業者2人がトラックで工房にやってきました。こちらは後輩の彫刻家と同じ職場の職員、大学院生、家内と私の5人で搬入や展示を行うことになりました。陶彫部品の入った木箱30個、シートで梱包した土台2体や折り畳み式の台座20体をトラックに積み込んで、10時前に横浜の工房を出て、首都高を走ること1時間、11時には東京銀座のギャラリーせいほうに到着しました。木箱やシートの梱包を解き、運搬業者には空っぽの木箱等を持ち帰ってもらいました。5人で銀座ライオンで昼食をとり、展示を始めました。毎年同じ流れで搬入や展示をやっています。昼食もいつも銀座ライオンを使っています。昼食を頬張っていると、また個展の季節がやってきたなぁという実感が込み上げてきました。展示作業は、毎年やっているのですっかり慣れていてスムースにいきました。展示してみると工房で見ていた作品と、ギャラリーで見る作品の雰囲気が変わっています。ギャラリーせいほうの白い壁と照明が作品を際立たせてくれるのです。照明計画はいつも後輩の彫刻家が受け持ってくれます。彼のセンスにお任せなのです。これはカメラマンと同じで、他者の感覚を入れた方が一層作品が引き立つと私が思っているからです。職場の経営も同じで、他者の能力を全面的に信頼した方が良い結果を生み出せるのです。今年の作品には本当に手を焼きました。よくぞここまで漕ぎつけたものです。展示が終わった時は感慨一入でした。明日は個展のオープニングです。懐かしい人たちに会えることが楽しみです。