2016.05.27 Friday
東京上野の国立西洋美術館で開催中の「カラヴァッジョ展」で初公開された「法悦のマグダラのマリア」には大勢の鑑賞者が集まっていました。展覧会の目玉になる注目作には後光が差すような特別な雰囲気が漂っているのを感じるのは私だけでしょうか。「法悦のマグダラのマリア」はローマの個人蔵で、カラヴァッジョの真筆と認められた作品です。陰影のバリエーションはまさにカラヴァッジョの世界そのもので、その淫らとも感じられる姿態さえ、陰影に沈んだ頭部や手の表現によって、崇高な女性であるのを印象づけます。別の画家が同じポーズで描いたなら、きっと艶めかしくなってしまうところを、カラヴァッジョ流の深遠な闇が覆い、上向いた女性の風貌に光が灯ったように、私には感じられるのが何とも不思議です。「法悦のマグダラのマリア」は1606年の作とされています。これはカラヴァッジョが殺傷事件を起こした年と合致します。図録によると殺傷事件の後、逃亡先で本作を描いたものであろうと記されています。であるならば、本作を描いている時のカラヴァッジョはどんな心境だったのでしょうか。さまざまな宗教画を枢機卿に贈り、絶望の中で恩赦を求めていた画家の悲痛な叫びがあったとする一文が図録にあります。喧嘩が絶えなかった特異な画家ではあったけれども、カラヴァッジョは天から希有な才能を授かった画家でもありました。今日私たちが鑑賞することができる溜息が出るほど素晴らしい珠玉の絵画の数々は、決して長くはなかった画家人生の中で、不安と懺悔に駆られながら才能を開花させた命の燦めきなのかもしれません。
2016.05.26 Thursday
カラヴァッジョの肖像を描いた1枚の絵があります。見るからにアクの強そうな風貌ですが、没後に描かれたものらしいので、真実を伝えているものかどうか定かではありません。画家カラヴァッジョは、殺人の罪を犯したエピソードがあり、波乱の生涯を送った希有な画家と言えるかもしれません。東京上野の国立西洋美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」には、教会に収まっていて移動不可能な絵画以外の、多くのカラヴァッジョの作品が集められていて、見応えとしては素晴らしいものがありました。カラヴァッジョには素晴らしい芸術活動の他にどうしても暴力沙汰に関するエピソードが付き纏います。「その画家は図体の大きな20歳か25歳くらいの不良青年で、黒いあごひげをほんの少しはやし、小太りで、まゆ毛は濃く目は黒かったです。黒い服を着ていて身だしなみはあまりきちんとしておらず、黒い靴下は少し擦り切れていました。前髪はとても伸びていました。」これは1597年の床屋の供述です。図録には「2週間ほど仕事をしたと思えば、剣を携え、従者を伴って、勇んで1、2ヶ月気晴らしに出掛けるのである。そして、球戯場を渡り歩き、議論をふっかけては、大喧嘩を引き起こすのを常とした。だから、彼と付き合うことのできる者は極めて稀だった。」とあります。また「1606年5月28日日曜日のこと、~略~数日前、トマッソ-ニ家がこの地区の顔役として大手を振っていることが原因で喧嘩をしたカラヴァッジョとラヌッチョは、この日の晩、決闘に及んだのである。ラヌッチョが倒れ込むと、カラヴァッジョは足(太腿)に致命傷を与えた。自身も傷を負った画家は逃亡し、ローマから消えた。~略~その後彼は逃亡と待ち伏せ、大胆な脱出に彩られた4年の亡命生活を送り、1610年7月18日にポルト・エルコレの病院で最期の時を迎えるのである。」という記述がある通り、カラヴァッジョの生涯は殺傷事件にまみれた波乱に満ちたものだったようです。しかし、芸術作品になると、逃亡生活をしていたと思えない静謐で荘厳な雰囲気が漂い、深い闇の中から立ち現れてくる物語に、暫し足を止めて見入ってしまうような表現力があります。絵画についてはまた別の機会に感想を述べたいと思いますが、たかだか画家として活躍した10年間に残した数々の作品は、今も鑑賞者の心を捉えて離さない圧倒的な魅力に溢れているのです。
2016.05.25 Wednesday
「宗教論ー幻想の未来」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)を読み終え、昨日のNOTE(ブログ)で前編のまとめをしました。今日は後編のまとめをします。フロイトの科学者として視点からすれば、宗教は幻想に過ぎないという理論が導き出されたとしても不思議ではなく、次の引用はその論理を如実に物語っています。「宗教の教理は幻想であると知ったあと、ただちに生じるつぎの疑問は、われわれが尊重し、それにわれわれの生活を支配させているほかの文化財もまた、似たような性質をもっているのではないか、ということである。われわれの国家機構を規制している諸前提もまたおなじように幻想と名づけるべきではないだろうか。」文化そのものも宗教と同じく幻想ではないかという疑いの目を向けるフロイトの思索はどこへ向かうのか、ここで敢えて反対論者を登場させて、フロイトはその回答を先鋭化していく手法をとっています。反対論者は、文中ではですます調で語られています。「われわれの文化は、宗教の教理の上に築かれており、人間社会を維持するためには、人間の大多数がそれを真理だと信じることが前提になっています。全能で公正な神、神による世界秩序、あの世での生活などは存在しないと教えられると、人間たちは、文化の規制に服従する義務が一切なくなったと感じるでしょう。どの人も、だれはばかれず、心配なしに反社会的で利己的な衝動のままに動き、自分の力をふりまわしてみようとするでしょうから、われわれが数千年もの文化活動によって追放した混沌がまた始まるでありましょう。」このもっともな意見に対し、フロイトは信仰の自由を認めながらも、宗教とは何かを探っています。「宗教は、人類一般の強迫神経症であって、幼児の強迫神経症と同じように、エーディプス・コンプレックス、つまり、父との関係から生じたといってよい。この考え方から予測できるのは、宗教からの離反は、成長過程のもつ運命的な過酷さによって行わざるをえないし、われわれはいままさにその発達段階のまっただなかにあるということである。~略~何ものも長きにわたって、理性と経験に抵抗できないし、宗教がこの両者に矛盾していることはあまりにも明白なのだ。あの洗練された宗教的理念でさえも、人類の慰めとしての宗教内容をすこしでも残しておこうとするかぎり、この運命をまぬがれることはできない。」敬虔な信者からすれば、身も蓋もないことを言っていますが、これは宗教の何たるかを究明しようとする科学者の論理だろうと察します。これをもって「幻想の未来」のまとめにしたいと思います。
2016.05.24 Tuesday
「宗教論ー幻想の未来」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)を読み終えました。中編くらいの論文なので、まとめを2回に分けたいと思います。フロイトが「幻想の未来」を書き始めようした動機が、最初の文章に綴られていました。「特定の文化のなかに相当の期間にわたって生活してきて、その文化の起源をさぐり、過去における発展の経路を跡づけようとつとめたことのある者なら、だれしも一度は、別の方向に目を転じて、この文化の未来に待ちうけている運命や、それがこうむらざるをえない変化を問題としてみたくなるものである。」これは精神分析学者フロイトによる総括的文化論です。ここでいう文化とは何か、その定義を捉えてみる必要があります。文化の側面をフロイトは次のように語っています。「文化は一方で、人間が自然の諸力を支配して、その財物を自分の欲求の充足に供するために獲得したあらゆる知識と能力を包括しており、他方では、人間相互の関係、とくに入手可能な財物の分配を調整するために不可欠な制度すべてを含んでいる。」人間は共同生活を可能にするために、文化によって要求される犠牲を、重圧のように感じるものだともフロイトは述べています。次に文化は社会的な機構や制度であって、この諸形式は不完全なもので、それを補う何かが必要になってくるという導入論理が登場してきます。それが宗教というわけです。ここから総括的文化論のなかで宗教に特化した理論が展開していきます。「道徳的なものが、ますます神々の本来の領域になるのである。いまや神々の任務は、文化の欠陥や損害をとりのぞくことであり、共同生活において人間が相互に加えあっている苦痛に気をつけることであり、また、人間があまりよく守らぬ文化の制約の実践を監視することである。文化の制約そのものは、神々に由来されるものとされ、人間社会をこえて適用されて、自然および宇宙現象にまで範囲をひろげるのである。」まとめ①は、ここまでにします。宗教と人間との関わりがまとめ②では刺激的な展開を見せますが、後日に回したいと思います。
2016.05.23 Monday
私は高校生の頃に、建築家になりたいと思っていました。当時は一握りのスター建築家を夢見ていましたが、理系が得意ではなかったせいか、それを即座に更新し、工業デザイナーを目指すようになりました。美術系の大学に入るため受験用デッサンを始めた折に再度方向転換し、結局入学したのは彫刻学科でした。大学を出て、ヨーロッパに渡り、ウィーン国立美術アカデミーに籍を置きました。ヨーロッパで自分を虜にしたのは街の景観で、最初は石を積み上げた構築性に憧れ、次に近代のシンプルな構造に美意識が移りました。ヨーロッパでは学校にいるよりも街の中を散策している方が楽しく感じられ、毎日旧市街を歩いていました。街の中のオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの建築に注目しました。そんな折にル・コルビュジエの機能的な建築のことを知りました。ル・コルビュジエがどんな功績を残した建築家だったのかは帰国してから知った次第です。滞欧中に理解があれば、ル・コルビュジエの建造物を訪ね歩いたはずでした。ル・コルビュジエ設計による東京国立西洋美術館が世界文化遺産に登録されたのを契機に、ル・コルビュジエの業績を確認したいと思っています。ル・コルビュジエはペンネームで、本名はシャルル=エドゥアール・ジェンヌレ=グリと言います。日本で有名なフランク・ロイド・ライトとともに近代建築の巨匠の一人です。写真で見たことのあるサヴォア邸やロンシャン礼拝堂がありますが、ロンシャン礼拝堂は貝殻構造によるうねった屋根や厚い壁に穿った小さな窓が特徴で、重厚に見える屋根は軽く、重い壁を軽く見せる技法で知られていて、私も一度見に行きたい衝動に駆られます。ル・コルビュジエが言う新しい建築の5つの要点、それはピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面ですが、まさに近代以降の建築はここから出発したと言っても過言ではありません。画家として出発し、やがて建築家として成功したル・コルビュジエはずっと絵を描いていたようです。機能的であり、豊かな空間を獲得した建築は、画家の発想があってこそなのかもしれません。