Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 習慣化した夜間制作
    習慣とは不思議なもので、仕事から帰宅した後に工房へ出かけることが、習慣となれば苦でなくなります。疲れているはずなのに、夜になると工房へ行かなくてはならないと思うようになるのです。窯入れしたばかりの晩は電気の関係で工房は使えません。翌日の晩から足繁く工房に通うようになりました。夜の制作といえばRECORDやNOTE(ブログ)もあるというのに、集合彫刻の完成が全てに優先してしまう癖が抜けません。それだけ彫刻は自分にとって魅力的なのかもしれませんが、土練りもタタラも成形も彫り込み加飾も化粧掛けやら仕上げも、全部夜間制作でやってしまう勢いが今の自分にはあります。梱包用木箱作りも夜間の時間帯でできると思っています。ただし、ウィークディの仕事を考えると、夜間制作はせいぜい2時間程度と決めています。若ければ一晩中かけて作る気力がありましたが、今はそういうわけにはいかず、足腰や肩が痛んでくるので夜10時には引き上げようと思っています。現在は気候がいいので制作には快適という要因もあります。真夏や真冬は無理だろうなぁと思っています。週末に若いスタッフたちが来て、それぞれの制作に立ち向かっていますが、若い連中に気力で負けないぞと思っていることがあって、それも自分を鼓舞させる刺激剤になっていると思っています。オジサンはまだまだやれると普段から彼らに言っているのです。彫刻は実在を扱う苦しい表現媒体で体力を使います。体力があるから彫刻家になったのか、彫刻をやりたいために体力が身についたのかわかりませんが、自分の師匠たちにも力強い人が多くて、作品も本人も生命力に溢れています。70代や80代になっても、お前には絶対に負けんと言われているようで逞しい限りです。夜間制作も習慣になれば、どうと言うこともないと嘯いて、師匠と肩を並べたがる自分がいますが、そのうち若いスタッフが育って私を追い抜くことがあるのでしょうか。
    16’個展図録の打ち合わせ
    先日、作品の撮影が全て終わり、図録制作のために画像を確認したり、選んだりする打ち合わせを今晩持ちました。懇意にしている2人のカメラマンが夜9時に自宅にやってきて、画像を見ながら話し合いました。以前のNOTE(ブログ)に書いたことがありますが、私の作品は集合彫刻のため、組み立てと設置に時間がかかります。展覧会の時でないと作品の全貌を見せることが出来ません。普段は工房の奥にある倉庫に仕舞い込んであって、それぞれ部品を解体して手製の木箱に入れて保管しています。そんな手間のかかる彫刻作品を簡単に見せられるとすれば、図録やホームページの画像しかありません。図録は自分にとって大切な広報用アイテムで、画像処理にも神経を使うところです。ずっと私の作品を取り続けているカメラマンとは10年以上の付き合いになりますので、自分のことをよく理解してくれています。自分がやっているアナログな制作と、カメラマンがやってくれているデジタルな画像が、両輪のようになって「発掘シリーズ」の世界を表現していると思っています。今年の図録も力の入ったものになりそうです。
    2つのまえがき
    今日のNOTE(ブログ)は内容的には昨日の続きになります。世間に発表しようとする論文が激しい不興を招くことが予想される場合に、学者は発表の時期に躊躇している場合があるようです。そこでいざ発表を決断したら、社会情勢が激変していることもあります。ここで紹介する2つのまえがきはフロイト著による「人間モーセと一神教」(吉田正己訳 日本教文社)の中にあります。まず最初のまえがきの一部を取り上げます。「われわれの研究が、宗教を人類の神経症に還元して、宗教の巨大な力をわれわれの患者の各個人にある神経症的強迫に対するのとおなじ方法で解明するという結果にわれわれをみちびくととすれば、われわれが、わが国の支配的権力のきわめてはげしい不興を招くことはまちがいない。」かつて発表したモーセに関する論文に終結部をつけ加えるために、これは1938年の3月より前に書かれたもののようです。さらに同年の6月にフロイトはもうひとつのまえがきを書いています。この時は故郷オーストリアからイギリスに亡命して、同地で書かれたものであるのが次の一文で分かります。「もはや外からの妨害は全くない。すくなくとも恐怖にしりごみするのもむりからぬような妨害は見あたらない。この国に滞在して何週間もたたないうちに、私は歓迎の手紙を無数にうけとった。~略~こうした手紙を寄せて下さった親切な人たちは私についてあまり知るところがなかったのであろう。だがしかし、このモーセについての論文が翻訳をとおして、私の新たな同国人たちに知られるようになれば、それ以外の多数の人たちのあいだで、目下私に寄せられている同情は失われることになるだろうと思う。」フロイトは人生の終焉にあっても、さらに社会情勢を鑑みて安全安心を得たいと思う一般人とも異なり、学者としての姿勢を崩すことがなかったと思えます。                                                                           
    何のための研究か?
    学者の発表した論文に、その論文を起稿した動機を、国際情勢あるいは個人的な事情を鑑みて考察を試みることは、私に刺激を与えてくれます。自分の専門分野を駆使して社会問題を論じたものは、とりわけ興味が湧き、こんな視点があったのかと気づかせてくれるからです。現在読んでいる「人間モーセと一神教」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)が刺激的なのは、そんな理由によるものだろうと思います。フロイトの専門は精神分析学で、歴史学や考古学ではありません。他分野の分析を頼ることがあっても、フロイトが最終的には自らの専門分野を離れることはありませんでした。彼の研究の目的とするところは歴史学や考古学と同じで、人間の精神分析から真実に迫ろうとするものです。読んでいくとちょっとやり過ぎかなぁと思うところもありますが、批判を恐れない学者の一徹さが伝わってきて、対岸で見ている日本人の気楽さ故か、興味と面白さを感じてしまいます。こんな一文があります。「エジプトのモーセは民族の一部に、高度に精神化した別の神概念を与えたのであった。それは全世界を包含する唯一の神という概念であり、その神は全能であるのに劣らず、万物を愛するものでもあって、一切の儀式や魔術を嫌って、人間に対して真理と正義の生活を最高目標だと定めたのある。」これは現在のユダヤ教から導き出された教典の言わんとするものだろうと思いますが、実際にモーセから発せられたものなのかどうか、フロイトの憶測が多少入っているかもしれないと思いつつ、次の引用に続きます。「伝説の本来の性質がどういう点に存在するか、その独特な力は何にもとづいているものか、ひとりひとりの偉人が世界史におよぼす個人的影響を否定することはいかに不可能であるか、物質的要求に発する動機だけを認めようとすると、人間生活の大規模な多様性に対して何たる冒涜をおかすことになるか、多くの、とくに宗教的な理念が個人や民族を隷属させる力をもつのはどういう根拠にもとづくのかーこうしたことをすべてユダヤ史の特殊事例について研究することはきっと魅力的な問題であろう。」うーん。フロイトも迷いつつ眼前に広がる魅力的課題に真実を求めようとしていたんだなぁと改めて思う次第です。
    週末 補充部品制作と梱包
    昨日、図録用の撮影が終わり、今後は「発掘~環景~」を完全にするため補充する陶彫部品を追加制作しなければなりません。さらに陶彫部品をそれぞれ梱包するために木箱を準備しなければならず、まだけじめがつかない状態です。昨日の撮影で自分はかなり疲労したようで、身体よりも精神的な負担を感じています。気が張り詰めていたのでしょうか。でも、追加制作を休むわけにもいかず、今日は一日成形やら彫り込み加飾やら化粧仕上げやらに追われていました。集合彫刻の全体が昨日の撮影で把握できたので、ある意味では気が楽になっていますが、身体を動かすのがシンドい一日でした。無理して夕食をとった矢先にトイレに駆け込んで吐いてしまったのが気がかりです。疲労のピークということなのか、今までにそんなことはなかったのでした。自分は無意識に彫刻に全てを捧げているのかもしれません。創作に対する思いは年齢とともに先鋭化しているように思えて仕方ないのです。気持ちの充実は確かにあります。新しい作品を作りたくてどうしようもない気分に駆られます。「発掘~環景~」も「発掘~表層~」も自分の中では既に終わっていて、新たなステージに進みたいのです。次から次へやってくるイメージは、自分を虜にして放してくれません。もし、彫刻一本でやっていたなら、どんどん自分を追い込んでしまうようにも思えます。自分にはもう一つ別の仕事があって、その仕事が冷静さを取り戻してくれます。その仕事は職場全体の組織で動くため、いくら自分がトップであっても自分の自由にはなりません。つまり、職場でさまざまな意見を聞いてから判断を下すため、自分が単独創作活動のような暴君になることもないのです。そこがこの仕事の素晴らしいところだと思っています。明日から創作に対して暫し頭を冷やします。来週末は関西方面に出張があって工房制作を休みます。創作にはちょうどいい休息になると思います。