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  • 出張に携帯する文庫本
    日頃読んでいる書籍は重いので、私は宿泊を伴う出張には文庫本を持っていくことにしています。昨年もこの時期の関西出張には、カフカ著による「変身」を携帯していきました。今年もカフカにしようと決めていました。新橫浜と京都間の往復4時間の新幹線の中で読むには、日常とは異なる世界に遊べるのが良いと考えているので、絶望の生涯を送ったカフカの創作が最適と思っていました。「城」(カフカ著 前田敬作訳 新潮社)は、カフカの著作の中でも大作で、いかなる世界にも所属できない異邦人を扱った物語であることは以前から知っていました。きちんと読んだことがなかったので、現在読書中の書籍を中断して読もうと決めましたが、如何せん新幹線の中だけで読み終えるはずはなく、結局これも中断を余儀なくされてしまいました。こうして私の読書癖は、中途半端な書籍ばかりになってしまう傾向があるのです。読み散らかした書籍ばかりが山積みされている状態を何とかしたいと思っているうちに歳月が流れてしまうのです。だから出張に携帯する文庫本は選び放題でいっぱいあります。私にはあれもこれも読みたい移り気があって、そのうち何冊かは気持が離れてしまい、書棚にそのままの状態で放置する羽目になってしまいます。どこまで読んだか忘れている書籍もいっぱいあります。創作活動は完成を待たずに、新作をスタートさせることが意図して私が行っている常套手段ですが、読書に関しては意図せずに行っているだらしない面かなぁと思っているところです。
    関西出張③ 久しぶりに比叡山へ
    職場の年間プログラム上、毎年この時期に関西に主張していますが、滋賀と京都を跨ぐ比叡山に来たのは本当に久しぶりでした。大雨が九州から関西に迫っていましたが、今日は晴れました。それでも朝は霧がかかり、比叡山は神秘的な雰囲気を漂わせていました。私たちは比叡山延暦寺で坐禅修行をすることになっていて、股関節が加齢とともに硬くなっている自分は内心憂鬱でした。実際に途中から組んでいる脚が痛くなって、精神集中とは程遠い状況になってしまいました。テレビでやっていたキラーストレスの解消に坐禅はちょうどよいと思っていたのですが、結果は気も漫ろで坐禅どころではなくなっていました。キラーストレスはどうやら私にはないのかもしれません。二束の草鞋である創作活動は、肉体的には厳しいものの、常に心が解放されています。嘗て修験道を極めようとした者たちは、この比叡山で心身を清める修行を積んだことは広く知られています。こんな山奥でどんな時間を過ごしたのか思いを馳せると、今も語られている修行の厳しさに想像が及びません。やがて行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、修行が終わった頃に信者達の合掌で迎えられるそうですが、短時間の坐禅に音を上げてしまう自分には到底考えられるものではありません。ただ、坐禅中に木々から聞こえてくる野鳥のさえずりに心が洗われました。野鳥の鳴き声が遠く、また近くなって心に映す情景の中に豊かな空間を感じさせてくれました。普段は雑音に囲まれている自分にとって、暫し自然の響きに身を任せられたのは収穫かもしれません。夕方になって横浜に戻ってきました。これで2泊3日の関西出張が終わりました。
    関西出張② 独自な美術館へ
    京都に来る前、庭園を見たいという願望を持っていましたが、今回は庭園を見ることが出来ませんでした。計画では作庭家重森三玲による本坊庭園を見に東福寺に行こうと思っていました。仕事で京都に来ているので、やはり仕事の合間しか自由に動けず、なかなか思うようになりませんでした。その代わり、京都国立近代美術館で開催していた「ポール・スミス展 HELLO、MYNAME IS PAUL SMITH」と、細見美術館で開催していた「杉本博司 趣味と芸術ー味占郷」展を見てきました。「ポール・スミス展」はイギリスのデザイナーによる斬新な展覧会でしたが、感想は後日改めます。今日のNOTE(ブログ)で取り上げるのは細見美術館です。公益財団法人細見美術館は、実業家細見古香庵に始まる細見家の蒐集品を展示するため1998年に開館した美術館で、日本の伝統文化を網羅する美術品の数々が収納されているようです。今回は、古美術商をやっていたアーティスト杉本博司氏が所蔵する平安時代から江戸時代に至る名品・珍品を床飾りとして展示したユニークな企画展でした。西欧から渡来した小品が和の掛軸とともに展示されているのを見て、不思議な感覚を持ちました。各界の著名人をもてなすために床の間に飾る一品を考えるのは、古来からの茶の湯にも通じる遊びのセンスで、これは現代アートだろうと思いました。宗教や風習を超えたコラボレーションが、生き生きとした空気を生みだしているのが印象的でした。自分もつい仮面やら民族性の強いグッズを集めたがる性格なので、こんな表現もあったのかと改めて感じた企画展でした。
    関西出張① 木造建築雑感
    関西出張の第一日目は奈良県でした。久しぶりに法隆寺に行きました。飛鳥時代の仏像や世界最古の木造建築で知られる法隆寺。「釈迦三尊像」や「百済観音像」にも無沙汰を詫び、嘗て何度か拝観したきりりと引き締まった御姿を改めて鑑賞しました。今日は梅雨の中休みで晴天になり、気温34度という茹だるような暑さになりましたが、仏像の周囲は緊張感が漂い、静謐な魂が宿っているように感じました。法隆寺の見所は木造建築で、木材を知り尽くした巧たちによって幾星霜も存在を保たれている素晴らしさに目を見張りました。現代の鉄筋コンクリートはこれに敵いません。今回も久しぶりに木組みをしっかりと見てきました。法隆寺伽藍の建築は百済から伝来した形式であることは知られていますが、百済の仏教建築は大陸(中国)から来たものであるなら、法隆寺伽藍建築のルーツを探るべく、それを中国やインドに求めることであり、また円柱が真ん中に膨らみを持つエンタシスは、遠くギリシャのパルテノン神殿にも見られる特徴であることから、シルクロードを経由した可能性も否定できません。ただし、西欧から渡来した形式ならば、途中経由した国々にも同じような痕跡があっても不思議ではありません。法隆寺だけに見られる特徴として捉えれば、日本独自に考えられたものではないかとする説もあります。ルーツはどうあれ現存する世界最古の木造建築は、何という美しさを私たちに見せてくれているのか筆舌に尽くせません。昼食に柿の葉寿司を頬張ってから法隆寺を後にしました。この日は奈良公園にも立ち寄りました。私は奈良国立博物館で開催されている「和紙展」を見ましたが、古い時代からの技法や道具の展示が多く美術的にはあまり興味が湧きませんでした。ただし、炎天下を歩いた後だったので空調の効いた展示室で息を吹き返すことができました。地下にあるギャラリーショップで「アジア都市建築史」を買い求め、法隆寺で頭を過ぎった建築的疑問を解明しようと思っています。明日は京都を見て歩きます。
    庭園空間を学ぶ機会
    週末は関西方面に宿泊を伴う出張があります。京都に滞在するので、仕事の合間に寺社仏閣の庭園を味わってこようと思っています。造園業を営んでいた亡父は、多くの庭園を造成していました。父は庭園に対し何か特別な理念や主張を持っていたわけではなく、依頼された小空間に石や植木を配置して、それを生業にしていたのでした。学生だった自分は父の仕事を手伝っていた時期があって、石の配置に特別な思いを感じてはいましたが、自分が大学で出会った彫刻表現とは、かけ離れた仕事として捉えていて、庭園と彫刻が結びつくまでには時間が必要でした。父はあまりにも職人気質で、庭園に思索を持ち込むことはなく、庭園は空間で成り立つという概念や理論はそこに存在しませんでした。ただし、感覚として石や植木の配置を考えながら全体構成していた事実はあって、自分は父に言われるまま石や植木を少しずつ動かして、父の言う「据わりの良い場所に石や植木を落ち着かせること」に従事していました。自分は言うなれば、父のおかげで感覚として空間解釈を身につけたと言っても過言ではありません。庭園が空間を扱った芸術表現だと自分で認識したのは、作庭家重森三玲や彫刻家イサム・ノグチの作品に出会ったのが契機になっています。彼らの著作を読み耽っていた時に、父は他界してしまい、身近だった造園は自分から離れていきました。改めて庭園の空間解釈を学びたい意欲に駆られて、京都に出張したり、遊びに出かけたりする時には時間を見つけて庭園を見て回ることにしています。今年はどうするか、まだ仕事の関係で定かではありませんが、風景を象徴的に表した庭園に触れて見たいと思っているところです。