2015.06.11 Thursday
「風景の無意識 C・Dフリードリッヒ論」(小林敏明著 作品社)を読み始めて随分時間が経っていますが、ようやく終盤に差し掛かりました。本書はドイツのロマンティク絵画を代表するC・Dフリードリッヒに関する評論ですが、ドイツ思想史からその背景を探ろうとするもので、ドイツが生んだ稀有の哲学者ハイデガーの「存在と時間」から抽出された分析から、本書は始まっています。そこに突如フロイトが登場してきます。フロイトは精神医学の権威で、思想史に名を残す人物です。この20世紀を代表する2人の思想家にあっては、互いに言及しあうような文献は存在しません。政治的に見れば、ハイデガーはナチスの党員で、フロイトはユダヤ人としてナチスの迫害を受けて亡命を余儀なくされました。その2人の溝は埋め難く、ましてや思想的な類似性を論じることなどあり得ないと思っていました。本書は序章と終章でハイデガーとフロイトの共通項を探っています。本書を書店で見つけた時に、頁を捲るとハイデガーとフロイトの並列された目次が出てきて、些か驚きました。これは読んでみたいと思って購入したわけです。私は昨年の夏からハイデガーの「存在と時間」読破に挑みました。その都度NOTE(ブログ)に内容をアップしているので、アーカイブを見ると読書の痕跡がわかります。フロイトは大学生の頃に心理学で「夢判断」の概要に触れただけで、今までまともな論文を読んでいません。本書が契機になって、今年の夏からフロイトに挑もうと思っているところです。本書を心底楽しむには2人の思想家の代表著作を読まないことには、著者が意図するところが伝わりにくいと思っています。ともかく本書を読み終えてから、改めてフロイトに触れ、本書で分析された内容を再考したいと考えています。
2015.06.10 Wednesday
先日、久しぶりに家内と橫浜のミニシアターに出かけました。今年のアカデミー賞4部門に輝いた「バ-ドマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観てきました。特撮映画で一躍有名になった俳優が、起死回生を願って演劇に賭ける物語で、実際にバッドマンで名を成したマイケル・キートンが主役を演じていました。途轍もなく長いロング・ショットで劇場の内外を通じて隅々まで役者を追いかける撮影は、臨場感があって人の目線で事物を捉える手法になっていました。これはフィクションでありながら不思議なリアル感と即物感があって、この類い希なる説得力がアカデミー賞受賞に結びついたのかなぁと思いました。映画の中で2つの劇中作品が登場します。ひとつは架空の特撮映画バードマンで、主人公の心の声として、あるいは栄光を貪っていた頃の主人公の幻視として現れるのです。もう一つは主人公が復活を賭けた「愛について語るときに我々の語ること」(レイモンド・カーヴァー著)の芝居の一部です。これはプレビュー公演から波瀾万丈になり、有名批評家からは毒舌を浴びせられ、一時はどうなるものかと思いきや、芝居を超えた主人公の鬼気迫る演技が奇跡を生むことになるのです。薬物依存症の娘も主人公の付き人として働いていて、その壊れた親子関係も徐々に回復していく状況も描かれています。音響はドラムだけで雄弁に語り、楽屋の狭い通路をカメラが追いかけるシーンで効果的に使われていました。現在アメリカの病んだ部分や再起に賭けていくプラス思考の人生を、この映画は余すところなく語っていると思いました。
2015.06.09 Tuesday
「楔(くさび)」は鋭角三角形をした道具で、ものを割ったり、隙間に打ち込んだりする用途があります。また物事と物事をかたく繋ぎ合わせるものという意味もあって、人間関係にも使われる場合もあります。6月のRECORDはこの「楔」をテーマにしてやっています。自分が彫刻をやっているせいか、テーマを選ぶ際にどうしても即物的なモノが頭に浮かびます。イメージし易いモノとして考えてしまうからです。今年のテーマを見ていくと今までのテーマに季節感はありません。風情や興趣を愛でる心の余裕がないのかもしれません。本来芸術作品は多忙感の中で生まれるモノではなく、ゆとりの遊び心から生まれるモノです。二足の草鞋生活で多忙であっても、心だけは多忙感を持たないようにしたいと願っています。一日1点制作のRECORDですが、焦らず休まずやっていこうと思います。
2015.06.08 Monday
まさか燃え尽き症候群ではないと思いますが、「発掘~群塔~」は自分にとって心底険しい制作工程だったようで、完成した作品を前にして、少しずつ力が抜けていくのを感じました。昨日の図録用の撮影の時に、工房に設置した「発掘~群塔~」をみて、安堵感が広がりました。カメラマンが三脚を組んで工房の天井まで昇って撮影している時、自分は椅子に座ったまま動けなくなって、全身が筋肉疲労に襲われ、何も考えることが出来ず、ただ成り行きをじっと見守っていました。撮影が終わり、スタッフに片付けの指示を出したところで我に返りました。工房の戸締まりを家内に任せ、スタッフを駅まで車で送りました。自宅に戻ってソファに横になったら、また筋肉疲労に襲われて身動きが出来なくなりました。創作活動は気分がどうであれ、意思の力に導かれ、作品の完成に向かって、我を忘れてひたすら邁進していきます。疲労を感じない溌剌とした時間がそこにあります。作品の完成とともにその呪縛から解き放たれ、振り子が戻っていくように疲労と緩慢が襲ってくるのかもしれません。気分の揺り戻しは翌日まで影響します。幸い今日は出張がなく書類の滞りもないので、職場で比較的ゆっくりとした時間が過ごせていました。明日は元気が戻ってくるでしょう。
2015.06.07 Sunday
今日は今夏個展で発表する「発掘~群塔~」の撮影日でした。この撮影日が作品の完成日となります。陶彫部品を組み合わせて集合彫刻としてまとめ上げる私の作品は、スタッフの協力がなければ組み立てられない作品なのです。初めて作品が組み立てられるのが撮影日と言うわけで、私自身も自分の作品の完成した姿を今日初めて見ることが出来たのです。作品は当初のイメージ通りになっているか、表現としての主張がきちんと伝わるようになっているか、全体のまとまりはどうか、表層的ではない完成度はどうか、さまざまな感情や思索が頭を過ぎっていきます。今日は朝9時に若い女性スタッフ2人、後輩の男性彫刻家、家内と私の5人で、工房内の作業机の移動を行いました。午前10時にカメラマン2人が登場し、手始めに木彫だけの野外撮影になりました。好天気に恵まれ、太陽光線がくっきり影を落とすなかで、順調に撮影が進みました。室内撮影に移行して、漸く「発掘~群塔~」の木彫屏風に陶彫部品が取り付けられました。この時、初めて自作の完成を胸中で祝いました。イメージ通りになっていたので、気持ちが弾み、少しずつ心の緊張が解けてきました。先日撮影した「発掘~丘陵~」も室内に設置しました。これが昨年夏から今年夏までの1年間の創作活動の全てだと思うと感無量でした。手伝ってくれたスタッフに感謝です。夕方3時には撮影が終わっていましたが、自分は日頃の疲れが出てヘトヘトでした。これから搬入日に向けた梱包作業に入ります。昨年より1ヶ月遅い梱包期間です。ギャラリーせいほうでの個展はまだ始まっていません。梱包も大変な作業です。次にやってくる搬入日を目指して頑張りたいと思います。