Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 意欲と疲労
    昨日は疲労のためか遅々として進まなかった制作は、今日は思うように進みました。朝8時から夕方4時まで、昼の休憩を除くと7時間以上も作業をしていたことになります。若いスタッフが来て、お互い促進出来たためばかりとは言えず、やはり疲労が多少でも解消していたおかげかもしれません。今月最後の週末に集中した時間を持てたことは幸運なことでした。制作に意欲的になれたのは、疲労から開放されたことが大きいと感じました。彫刻は苦しい作業が続きますが、身体を動かすことが多く、それが意欲的であれば精神衛生に良いのではないかと思っています。絵画や版画はじっとしていることが多く胸中のモヤモヤが抜けないことがあるからです。今日は擂り鉢状になる新作の陶彫部品を3点作りました。若いスタッフとは作業中の会話はありません。休憩の時に会話を交わしますが、やはり一人で制作している時と違い、こんな他愛もない会話がいいと思っています。彼女は中国へ帰った時に、日本の歌番組をダウンロードしてきたらしく、パソコンから流れる和製ニューミュージックに中国語のテロップがついていました。テロップを見せられながら、中国語表記に思わず頷いてしまいました。韓国のスターがどうのこうのとアジアのミュージックシーンの話になると、私はまるでついていけず、彼女の独壇場になります。夕方4時に彼女を最寄の駅に車で送りました。また来週末頑張ろうと思います。来週末は早くも12月になります。
    週末 小さめの球体陶彫
    2点目の新作に配置する小さめの球体陶彫を作り始めました。同じ大きさの球体陶彫を10個作ります。昨年は「発掘~丘陵~」に同じ大きさの円筒陶彫を40個作りましたが、今回はスケールが小さいので10個を予定しています。先週で画面(地表面)の彫り込みを終えています。(地表面)としたのは、これは絵画ではなく彫刻作品を裏付けるものだからです。つまり、ギャラリーの床に氷山の一角のように一面が出ている状況を作品化しようとするものです。球体陶彫は以前に「球体都市」シリーズ40点を作っているので、方法と手順はわかっています。ただ「球体都市」よりも小さいので、技巧としては細かくなります。毎年個展に出品している「陶紋」も、この球体陶彫の変形として作ろうと決めています。可能なら昨年のように毎晩工房に通って、10個の球体陶彫の彫り込み加飾をやりたいところです。体調と相談しながら進めていこうと思います。何しろ週末の土曜日は思うように身体が動きません。ウィークディの精神的疲労が出ているためと考えられますが、自分はそんなヤワな体質ではないと思っていました。古びた手帳に予定や日記を書き込んでいますが、それを見ても土曜日はまともな制作が出来ていないのです。今日も午前中2時間、午後2時間という余りにも情けない作業時間に自己嫌悪に陥っています。朝制作を始めたら集中していつの間にか夜になっていたことが過去に度々ありましたが、そんな瞬間が再びやってくるのでしょうか。明日は若いスタッフもやってくるので、若いパワーに負けまいと頑張っていこうと思っています。
    陶彫への意欲と可能性
    先日見に行った東京上野の国立博物館で開催されている「始皇帝と大兵馬俑展」は、自分に多くの刺激を与えてくれました。陶製の兵馬俑は等身大の人物像や騎馬像で、まさに写実そのものでした。自分は一体ずつ惚れ惚れと見とれてしまいました。自分の学生時代はモデルを立たせて人体塑造をやっていました。当時は骨格や量感の理解と表現、どれをとっても納得がいかず、元々立体把握力の乏しい自分には彫刻分野は厳しい世界と言わざるを得ませんでした。池田宗弘先生との出会いがなければ、とっくに彫刻は止めていたかもしれません。とは言っても色彩感覚でも劣っていた自分は、美術そのものを追求するには資質に疑問があるとさえ思っていたのでした。曲がりなりにも彫刻制作を続けてきて良かったと思える瞬間が、兵馬俑を見てやってきました。何しろ陶彫で作られた兵馬俑は、自分が現在制作している作品に技巧的に通じるものがあるのです。兵馬俑は焼き物であるならば、内部は刳り貫いてあるはずで、部分を作って合体して窯入れしていると図録にも記載がありました。割れたり歪んだりする箇所も多いと見取りましたが、やはり優秀な職人が集められていたらしく、細部に至る状態は素晴らしい完成度になっていました。自分の陶彫は写実表現ではありませんが、今回「始皇帝と大兵馬俑展」を見て、陶彫への意欲が湧き上がり、技巧に対する可能性も見えてきました。
    発見された陶彫・兵馬俑
    秦の始皇帝の巨大な陵墓から発見された8000体もの兵馬俑は、全て陶製で出来ています。所謂自分がよく称している陶彫です。兵馬俑の人物が持っていた器具は別の素材が使われていたようで、青銅製だったり木製だったりしています。木製は当然ながら土中で朽ち果ててしまい、現存していないのです。東京上野の国立博物館で開催されている「始皇帝と大兵馬俑展」を見ると、兵馬俑の人物が写実的な等身大であることに驚きを隠せません。制作に関する論考を求めて図録を見ると、こんな文章が掲載されていました。「中国においては、陶器の多くは叩いて成形されたということである。~略~つまり、粘土を木製の板状の工具(叩き板)で叩いて成形する技法である。一般的な方法は、粘土紐を丸く積み上げて円筒形のものを作り、粘土の内側を~略~道具(当て具)で支え、外側から叩き板で叩く。叩くことによって、形を整えつつ、粘土同士をなじませ、継ぎ目を消していく。粘土の中に気泡が取り残されると、焼いたとき空気が膨らんで製品が割れたり、大きくゆがんだりする。~略~(前221年の統一以前)までの陶製水道管や、平瓦や丸瓦を観察すると、叩き板と小型の当て具で成形されたものと考えざるをえない。製作過程で何度か大きさのチェックはあったと思うが、基本的には名人芸で規格品を量産していたのである。~略~あれだけ大量の兵馬俑を作ることができた背景として、始皇帝の即位のはるか昔から、陶製水道管、瓦、磚などの陶製建築資材の大量生産を可能とする組織があったことを、あらためて強調したい。」(谷豊信著)「俑が大型であればあるほど、ひとりが一体ずつ作っていくよりも、各部位の単位で規格を設け、分業体制下で専従して作るほうがはるかに効率よく正確である。兵馬俑の破片資料を観察すると、脚、胴体、腕、頭部などが別作りとなって、それらを合わせて焼成していることがわかる。」(市元塁著)陶彫作品を手がけている自分にとって兵馬俑製作の興味は尽きません。
    上野の「始皇帝と大兵馬俑展」
    中国の兵馬俑の展覧会を以前にも私は見ています。兵馬俑は過去数回来日しているのではないでしょうか。ただし、現在、東京上野で開催されている「始皇帝と大兵馬俑展」のような大規模な展示は初めてで、特に今回の展覧会のために模刻された兵馬俑の多さに驚きました。東京国立博物館平成館の広い展示スペースにはオリジナルの後ろに模刻された兵馬俑が整然と並び、壮観な演出になっていました。実物の兵馬俑は見応えがありました。これを作らせたのは秦の始皇帝で、図録によると「歴代の王さえも凌ぐ偉業を成し遂げた政は、それまでの王を超越する皇帝という地位を創設し、みずから中国で初代の皇帝『始皇帝』となった。始皇帝は統一をより実体化させるために、それまで国によって異なっていた度量衡(長さ・体積・重さの基準)、漢字の形などさまざまなものを統一し、全国に浸透させようとした。また、有力な貴族や功臣に王が一定の領地を与えて統治を委ねる従来の統治方法を改め、地方には中央から官僚を派遣して、皇帝の意思を法令によって隅々にまで実現させるようにした。」とありました。始皇帝が大陸の統一を実現した組織力には驚くばかりです。兵馬俑の制作動機として「写実表現は、兵馬俑1体ずつの造形から軍隊全体の陣容、さらに宮殿周辺にあった厩舎などの諸施設にいたるまで徹頭徹尾求められた。そこには皇帝中心の秩序を保った完全なる世界の写しに、始皇帝が死後も永遠に君臨し続けようとした願望をかいま見ることができる。」と図録にあります。死後の世界も始皇帝が君臨するために地下に埋めた夥しい造形物に、中国の歴史のスケールを感じ取り、目を見張るものがありました。兵馬俑の陶彫としての感想も抱きましたが、これは後日改めます。