2015.11.19 Thursday
彫刻は主題を塊として表現する媒体で、その骨組みによって構築性のある作品が生まれます。空間の中に置かれた塊としての彫刻作品に対し、人は周囲を回ってその触覚的な凹凸を鑑賞するのです。美術館や画廊といった特殊な空間に置かれた特殊な物体が、即ち彫刻というわけです。私たちが日常見ている風景には、そんな特殊性はありません。全ての形態は一角しか見えておらず、たとえば都市に建つ高層ビルの背後はきっと同じような面の連続に違いないと想像をしています。森や草原に立つ木々も地中に張った根は見えていません。初対面の人には秘めたる内面は見えないので、風貌で判断してしまうことがあります。人間関係が生まれて、やっとその人の本来の姿が見えてくるものです。私たちは表層の中で生きているといっても過言ではありません。ならば彫刻も塊としてではなく、その一角が現れているだけの作品があっても不思議ではありません。自分が注目したのは古代都市の発掘現場です。大地に埋もれている都市構造は、想像を呼び、私たちを刺激します。私が「発掘」シリーズを始めた契機は、一部しか現れていない古代都市に彫刻的面白さを感じたからに他なりません。全体が見えない彫刻、埋没した部分に謎を秘めた造形、そこに想像も含めた無限の広がりを求めているのです。
2015.11.18 Wednesday
相原工房は亡父が残してくれた植木畑に建っています。農業用倉庫として建てたので、内壁も天井もありません。見上げると屋根材を置いた板だけなので、野鳥が屋根を歩いているとコンコンと音が聞こえます。雨や風の音もします。気が利いているのは水洗トイレと水場と大き目の窯があることです。作業机はいくつかあって、若いアーティストたちがやってきてそれぞれの課題を広げています。植木畑のおかげで周囲は豊かな自然に溢れ、大都市横浜にいることを忘れさせてくれます。私はこの歳になって自分の工房を持てたことに幸運を感じていて、この空間で若いアーティストたちを支えていこうと考えています。そんな工房ですが、床面積の半分は作品の収納庫にしていて、所狭しと作品を梱包した木箱が積んであります。既に保管作品が収納庫の許容範囲を超えてしまいました。作品は作業場の方にも置いてありますが、作業場が狭くなるのを憂慮して、収納部分の上の空間を利用できないものか思案していました。そこでロフトを作る計画を思い立ち、近隣に住む鉄工業者に相談しました。業者に見積もりを出してもらったところ、今まで貯蓄してあった費用で何とかなりそうなので、思い切ってロフト増築をお願いしました。先日やっと完成して、実際にロフトに上がってみました。鉄骨で補強され、かなり頑丈に作ってあり、これなら木彫作品をロフトに上げられるかなぁと思いました。作品の移動はまだ先になりそうですが、ともかく収納のための懐が深くなったことを喜びたいと思います。
2015.11.17 Tuesday
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)第六章「夢の仕事」の(a)「圧縮の仕事」と(b)「ずらしの仕事」のまとめを行います。「圧縮の仕事」の発端は「夢内容と夢の想念とを比較するとき、探求者にとってまず明らかになるのは、そこで大規模な圧縮の仕事がなされたことだ。」と書かれており、その内容としては「見いだされた夢の想念のうちのほんのわずかな部分だけが、その想念に属する一表層要素を通じて代理的に夢に現れることを考慮するなら、圧縮は脱落を通じて起きると推定すべきだろう。つまり、夢は夢の想念を忠実に翻訳するとか、逐一投影するのではなく、夢の想念をきわめて不完全に、隙間だらけに再生すると推定できる。」とあります。その具体例として「植物学の研究書の夢」や「素敵な夢」「コフキコガネの夢」が次々に紹介されています。ここでひとつずつ取り上げることは出来ませんが、フロイト自身やフロイトの患者が見た夢を使って圧縮された部分を解き明かそうとしています。次に「ずらしの仕事」として「夢の想念における明らかに本質的な内容となっている事柄は、夢においてその代理を必要としないのである。夢ではいわば中心が別のところに移される。夢の想念におけるのとは異なる諸要素が中心点になり、そのまわりに内容が配置されるのである。」とあるのが、ずらしの導入説明です。「夢の仕事において発現するある種の心的な力によって、一方では心的に高い価値を帯びた要素からその強度が取り去られる一方で、低い価値しか帯びていない要素から、多重規定を手段として、新たな価値を帯びた要素が創出され、そうした要素が夢内容に到達すると考えられるのである。~略~夢のずらしと夢の圧縮が二人の職工長であり、私たちは、この両人が夢を造形する際の主たる働きをなすと考えることができる。」という一文をもって(a)「圧縮の仕事」と(b)「ずらしの仕事」のまとめにしたいと思います。引用ばかりになってしまいました。
2015.11.16 Monday
RECORDは2007年の2月から始めました。厚手ケント紙をポストカード大に断ち、裏に日付けを入れて、一日1点制作をしていくという課題を自分に課しました。日付けは表面にも入れています。毎年小さな印を彫って、日付けのスタンピングと同時に押印もしています。毎月テーマを決めていて、同じ構成が5日間で展開するようにしています。システマティックにやっているのは、ウィークディの昼間は公務員としての仕事があって、創作活動との二足の草鞋生活を送っているためで、制作時間は仕事から帰った夜に限られ、その条件でやれるとしたら、一貫した流れがあった方が時間短縮になるからです。その時の気分がどうであれ、小さな紙を前に置いて手を動かす行為から始めますが、日によってはかなり厳しい時もあります。それでも8年間継続していて、作品数も3200点を超えているので、これは意地でも続けなければ、と思っているところです。今月のRECORDのテーマを「獣」にしました。来年の干支を盛り込んで年賀状として使えるようにしようとも考えているのです。でもイメージとして浮かんだのは狛犬や架空の獣たちでした。今月はもう既にテーマによる制作が始まっていて、スムーズに制作が進んでくれるといいなぁと思っています。毎月RECORDを楽しみたいと思っているのですが、それは初めのうちだけで、次第に苦しくなってきます。今月の後半はどうでしょうか。まずは継続することを念頭に頑張っていきたいと思っています。
2015.11.15 Sunday
先週より2点目の新作に取り組んでいます。2点目の新作は絵画的なイメージからスタートしましたが、作業を進めていくうちに、これは絵画ではなく彫刻的な意識が働いていることに気づきました。若林奮先生が葉山の県立近代美術館に設置した「地表面の耐久性について」という野外彫刻と一脈通じるものがあると考えたのです。一面性しか表面に現れていない彫刻が、まさに自分が作ろうとしている新作なのです。自分のイメージには絵画ほどの自由性がなく、これは立体を真正面から見た状況ではないかと思い至りました。意識の中ではカタチ全体を把握することが出来ず、その奥に隠れた部分があり、それを掘り起こすことはイメージの上では不可能と判断しています。表面に現れた一面だけを造形することが自分に課せられたことで、自分にも測り知れない謎を表層から察していく彫刻作品なのです。そんなことを思い巡らせたら、制作に合点がいって、漸く快く作業を進めることが出来ました。今日は朝から夕方まで、ひたすら厚板に彫り込みを入れることに終始しました。彫り込みはまだ半分しか出来ていません。来週末に持越しです。作者にも全体が掴めない彫刻作品があってもいいのではないかと思っています。その意識が鑑賞者に伝わるかどうかはわかりません。作者の思索は思索のままで据え置かれても仕方がないところがあるし、別の解釈も成り立つのであれば、それでよしとしています。夕方工房を離れるときに窯入れをしました。焼成には3日かかり、その間は工房は使えません。ロフトを施工している業者は来週から来ないので、漸く焼成が出来るようになったのです。