2015.10.25 Sunday
昨日は職場の親睦旅行から帰ってきたので、たいした制作が出来ず、制作工程は停滞しています。今日も若いアーティストの支援に時間が取られ、やっと成形が1点出来ただけの成果に終わりました。こんな週末もあっていいのかもしれません。まだ焦っていない自分がいるのも事実です。今日久しぶりに中国籍の若いアーティストが工房にやって来ました。彼女は留学生を集めたグループ展が先月終わったばかりですが、来年3月に同じ中国籍の画学生と2人展を計画していて、そのため長細い不定形のパネルを作りたいと言ってきました。午前中、私の行きつけの材木店に彼女を連れて行き、板材を購入してきました。彼女は都内の美術大学で副手をやっています。もうすぐ学園祭(美大ではゲーサイと呼んでいます)があって、副手はその間仕事を休めるというので、中国に一時帰国するようです。帰国する前に2人展の準備だけはしておきたい意向があって、今日は工房にパネルを作りに来たというわけでした。中国の両親から買い物リストが送られてきているようで、先日スポーツ用品の爆買いをやったようです。帰国前はイライラすると小言を言っていました。私は成形を1点やったところで疲労感が残り、今日は止めにしました。どうもこのところ制作が緩慢になっています。今月中にもう1回週末が来るので、成形の目標点数は達成しそうですが、今ひとつピリっとしません。毎年この時期はそんなものかなぁと思いつつNOTE(ブログ)のアーカイブを眺めています。
2015.10.24 Saturday
一昨日と昨日は、職場を上げて大きなイベントを行いました。職場のイベントには儀礼的なものと祝祭的なものがありますが、今回のイベントは職場の文化を継承するもので祝祭的なイベントでした。普段、全職員は自分の専門を生かした仕事に従事していますが、年間に数回企画されるイベントでは、横断的な臨時組織を作り、専門を超えて協力し合う体制が生まれます。それをまた通常の専門分野にフィールドバックすることで、今回のようなイベントをやる意義は充分あると言えます。イベントで得たことは反省材料として直ちに話し合い、次なる目標を設定するのです。その格好な場面がイベント終了後の親睦旅行にあります。私も仕事に就いた頃に、先輩職員から親睦旅行は慰安にあらず研修そのものだと言われ、遊びではないと釘を刺されました。勤務時間終了後、私の職場では、バスを仕立てて箱根のホテルに向かいました。ホテルでは宴会もありますが、この場で職員同士が腹を割って話し合い、新人の人材育成にも充てる研修会のような按配になります。今の職場に限ったことではなく、私が今まで経験した職場はどれも同じような雰囲気を持っていました。確かに自分が若い頃は、こんな宴会の場でもプロとしてのヴィビョンを先輩から教わり、また気構えを鍛えられたこともありました。現在、自分は全てをまとめる役を市から仰せつかっていますが、職場全体を見回して、今回のイベントもうちの職員に最高の効果を齎せたという評価を下しました。今朝、私はホテルから湯本駅まで出て、電車で帰ってきました。工房に行って、明日のためにタタラを準備しましたが、疲労もあって身体がなかなか思うように動きませんでした。明日は制作を頑張りたいと思います。
2015.10.23 Friday
先日、東京渋谷にあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「風景画の誕生」展に行ってきました。所蔵がウィーン美術史美術館で、20代の頃ウィーンに暮らしていた自分には馴染みのあった美術館ですが、今回来日していた絵画作品はまるで覚えがなく、莫大な所蔵品を誇る美術館とは言え、自分の記憶の危うさに対し自己嫌悪に陥りました。絵画作品は地味ながら胸を打つものが多く、神話や聖書をテーマにした中世の絵画からオランダ風景画に至るまでの緻密な表現に、新鮮な驚きを与えてくれました。風景画の発祥はいつだったのか、歴史の変遷を含めた内容を知りたくなり、図録を購入しました。「近代の発祥としてイタリア・ルネサンス美術においては、特にフィレンツェにおける、人間中心の人文主義思想と科学的遠近法との興隆がむしろ、風景画の展開を妨げたと捉えることもできるかも知れない。風景画誕生の基本的条件として提起した、人物像と自然像との等価的表現は、近代に先立って、メソポタミアにおいても、エジプトにおいても、エーゲ海においても、ローマにおいても、中世においても、多くを認めることができる。~略~あらゆる現実的存在物が光の照射を受けて視覚化されるという認識は、近代に始まったものではないが、光はひとつの光源に発して存在物を照らすという認識は、ルネサンスの透視画法と密接に結びついた科学的な認識であった。」(木島俊介著)という一文が示すように、風景画としての表現は遙か古代から見られた表現であったわけですが、人間中心の文芸復興を経て、現在のような風景画の確立となったのはルネサンス期あたりなのかもしれません。今回の展示作品の中で個人的に印象に残ったのは、牧歌を主題にした風景画で、楽園のような緑地に廃墟となった古城がある作品群で、特別何ということはないけれど、見ていると心が癒やされ、和やかな気分になりました。主題がはっきりしている人物中心の絵画がもつ従属的な風景とは異なり、全体的な光の移ろいに風景画としての醍醐味を感じた作品群でした。
2015.10.22 Thursday
私のホームページに2013年のRECORD10月分~12月分をアップしました。この1年間は漢字一文字を毎月のテーマに掲げて制作をしていました。10月は「塔」、11月は「脚」、12月は「環」でした。10月のテーマでは当時制作していた「発掘~層塔~」に絡み、自分が若かりし頃、住んでいた西欧の街にあった塔を懐かしんでRECORDを作った記憶があります。11月は大地に何かが立脚する風景を作りたくて、テーマを選んだ気がします。12月は物質の連鎖があって、円を描いて起点に戻る輪廻転生のようなイメージを思いつき、2013年のまとめにした記憶があります。RECORDを見ていると制作時間が厳しい中で必死に作っていた思いが甦ってきます。日々制作をしているというのは、記憶にしっかり刻まれるもので、思い出すことが意外に容易なのに我ながら驚きますが、同時に苦し紛れの気分も思い出してしまいます。当然満足のいかない作品もあります。振り返って手を入れたいところですが、RECORDは一日1点制作と決めているので、このままでホームページにアップするしかありませんでした。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした10月分~12月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。
2015.10.21 Wednesday
過激で人権蹂躙な言葉が師匠から発せられ、それに砕かれることもなく自分を追い込んでいく、何があってもそこに立って演奏していたいという執念が彼を一流の演奏者に育て上げていく、ライバルが現れてもそれを打ち負かす技量をつけて、己の限界を超える練習に没頭する、容赦ない言葉がさらに彼を追い詰めていく、彼には余裕がない、彼女とのデートでも頭の中は演奏のことで一杯だ、演奏をしくじっても、その座をライバルに奪われようとも彼は諦めない、興奮のあまり師匠を殴りつけても、死に物狂いで目標を達成しようとする…、そんな感想を映画「セッション」を観て持ちました。ミニシアターで上演される映画は大変刺激的で、究極を表現するあまり娯楽性は少ないと思えます。でも、自分も表現者として生きようとしているので、強固な意思だけを繋いでいく「セッション」は自分にとって本当に面白い映画でした。胡弓の演奏をやっている家内も、これは面白かったらしく、映画を見終わった後、饒舌に感想を語っていました。もちろん映画の演出なので嘘臭い場面もありました。それでも表現上これは了解と思える場面でリアルとフィクションのギリギリの鬩ぎ合いが緊張を生むこともあります。映画の面白さに巻き込まれていく過程で、何を訴えたいのか、何を主張しているのか、無駄のない展開の中で浮き彫りにされる動機に、自分を投影しつつ、共感したり反発したりする瞬間があります。そこに小粒でもピリっとした作品に出会えた喜びがあるのです。今後もこうした作品に出会えることを期待して、シネマジャック&ベティを後にしました。