2015.10.10 Saturday
今日から三連休になります。このところ連休の初日は工房で制作をした後、美術館に出かけていくことが多いように思います。今日も例外ではありませんでした。ただし、活動した密度から言うと今日は今までより、さらに濃い一日を過ごしました。まず朝6時半に工房に出かけました。昨晩仕事帰りに工房に寄ってタタラを準備していたので、今朝は成形を1点終わらせました。明日のためにタタラを準備して午前10時半に自宅に戻りました。遅い朝食をとった後、東京神田のギャラリーで今日まで開催している「加藤正版画展」にお邪魔しました。大学の先輩にあたる加藤さんは銅版画家です。今回は様々な仏像をエッチングで表現していました。技巧的にも優れていて、旧作の干支を描いたエッチングと今回の仏像が相俟って、深みのある小宇宙を表していました。ご本人は思慮深い誠実な人で、創作に対する真摯な情熱が伝わる作品群でした。次に渋谷に移動し、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催している「風景画の誕生」展に行きました。所蔵がウィーン美術史美術館と謳ってあったので行ってみたのでした。自分は20代の頃、ウィーンで5年間暮らし、その間にウィーン美術史美術館には数知れず訪れましたが、今回の絵画はまるで覚えていないものばかりでした。当時はP・ブリューゲルばかり注目していたのが裏目に出たのかもしれません。きっと当美術館が所蔵する作品は膨大な数に上るので、かなり見飛ばしていたこともあり、これは寧ろ日本の方がじっくり味わえるのかもしれません。風景画に対する詳しい感想は後日に改めます。そこで東京から一旦自宅に戻って、夕方は家内と一緒に車で映画館に出かけました。いつも利用している横浜中区にあるシネマ・ジャック&ベティに行ったのですが、こうした夜の過ごし方はとても楽しいと感じます。そこで上映している「セッション」というジャズバンドを描いた映画は刺激的でした。学生ドラマーが名門校のスタジオバンドを指揮している伝説の教師に指導を受ける物語ですが、強烈な指導法と個性のぶつかり合いが畳み込むようにドラマを押し進め、瞬く間に時間が過ぎていきました。映画を観た後、喉が渇いたのは初めてと家内が言っていました。詳しい感想は別の機会にしたいと思います。今日という日は工房、ギャラリー、美術館、映画館と渡り歩いた一日でした。早朝から夜まで創作あり、鑑賞ありの充実した時間を過ごしました。明日は制作三昧の予定です。
2015.10.09 Friday
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第五章「夢の素材と夢の源泉」の(c)「身体面の夢の源泉」のまとめをします。昨日に続いてまとめをアップしている理由は、本論を細かい箇所でまとめをしていこうと思っていたところを忘れてしまっていたので、慌てて既読部分を振り返り、改めて留意点を洗い出したところなのです。身体面の夢の源泉としての導入部分を文中から選びました。「身体的な刺激源が夢の形成に対して果たす役割について、科学的文献がどういったことを述べているか~略~『神経刺激』と『肉体的刺激』がすなわち夢の身体面での源泉であるようだ。」という導入部分がありますが、著者はこれだけでは不備があると説いています。例示を挙げて論拠とするところを述べた後、夢内容のための表象素材に話題が及びます。「(表象素材は)二つの夢の源泉、すなわち身体的源泉と心的源泉とを代理するのである。心的な夢の源泉に身体的な素材が付け加わっても、夢の本質は変わらない。現下に活動する素材によってその表現が規定されることがあっても、そのこととはかかわりなく、夢は欲望充足であり続ける。」その後にフロイト自身の夢体験が語られ、次のような文章を導き出しています。「肉体内部からの刺激が夢を生じさせるのに指揮的な役割を果たすことがある。そして、身体面での全体的気分もこの種の刺激となりうることに疑いの余地はない。~略~それは夢の想念に強制を加え、夢内容における描出のために用いられるべき素材の選択に影響を及ぼす。」
2015.10.08 Thursday
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)の第五章「夢の素材と夢の源泉」の(b)「夢の源泉としての幼児的なもの」のまとめをします。実は本論を枝葉部分ごとに細かくまとめた方がよいと以前のNOTE(ブログ)に書いておきながら、すっかり忘れていて、かなり先へ読み進んだところで思い出し、前に戻って(b)を読み返しました。主旨となる箇所にラインでも引いておけば、まとめが楽だったと思います。再読した際に留意した部分を書き出します。「夢には覚醒時の記憶が及ばないような、人生のもっとも早い時期の印象が現れることがあるという特異性であった。」「顕在的な夢内容からは幼児期の体験が一枚噛んでいるという推測はまったく喚び起こされない夢でも、内容に注目するのはやめ、分析によってはじめて明らかにされる夢の想念に注目を向けると、そこには幼年期の体験がかかわっていることが確認できて驚いてしまうことがある。」「夢を惹起するのが現在の欲望であっても、しかし、その欲望は奥深い幼年期の想い出から強力な加勢を得ているということである。」「夢の分析に深く入り込んでいけばいくほど、幼年期体験の痕跡へと導かれていくことが頻繁になる。潜在的な夢内容において夢の源泉としての役割を果たしているのはそうした幼年期体験なのである。」「夢の源泉や欲望の惹起要因はたやすく立証できるのだから、それらの夢の解釈は完璧だと当初は思えることもある。~ところが、そうした夢からもまた重大な想念の糸が紡ぎ出され、それが幼年期のもっとも早い時期まで延びているのである。」「夢はしばしば多義的なものとして現れるのである。いくつかの事例が示すように、夢では、複数の欲望充足が合体されうるだけではない。ある一つの意味、ある一つの欲望充足が他の意味や欲望充足を覆い隠していることもありうる。そして、人は、その奥底で、幼年期の最初の時期の欲望が充足されているのに行き当たるのである。」これをもってまとめにしたいと思います。
2015.10.07 Wednesday
私のホームページにGalleryと称する頁があります。陶彫作品を撮影したものですが、デジタルにするときにアレンジを施したもので、作品を全体で捉えるだけではなく、部分に拘った宇宙を写し出してしています。つまり陶や木のもつ素材感を浮き彫りにしたり、光陰を場面によって強くしたりして、作品のもつ世界を広げているのです。普段アナログな制作をしている自分にとって、カメラマンが画像加工をするデジタルな世界は、飛び切り楽しいと感じます。自分はカメラマンに注文はつけません。勝手にやってもらうことで、別の才能が陶彫作品に加わるのです。陶彫作品は動機に過ぎません。それをどう解釈するかが問題で、そこにデジタルとしての表現を見ることが出来るのです。つまり私のホームページは、複数の作家によって構成されたグループワークと言えます。「発掘~層塔~」は昨年の夏に東京銀座のギャラリーせいほうで発表した陶彫作品です。90個以上の陶彫部品によって組まれた集合彫刻ですが、発表後は分解して梱包し、現在は工房の倉庫に納まっています。これを組み立てるのは容易ではありません。私一人では到底無理です。そんな事情もあってデジタル化された世界は、自分にとって大切な世界です。鑑賞者に完成作品を見せるのはこれしかありません。アレンジのない作品はホームページのExhibitionにあります。動画の中にコトバが出てきますが、作品との直接の関係はありません。コトバは造形の解説でもイメージの補充でもなく、同じタイトルをつけた別の世界です。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからGalleryを選んでクリックすれば、今回アップした「発掘~層塔~」の画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。
2015.10.06 Tuesday
昨日のRECORD3200点達成の話題に続いて、今日もRECORDのことを書きます。私のホームページに2013年4月分~6月分のRECORDをアップしました。2013年の年間テーマは漢字一文字で表していました。4月は「跳」、5月は「響」、6月は「結」でした。この年は漢字の持つイメージを毎月考えて作っていた記憶が甦りますが、「跳」は蛙を描きたくて、淀んだ水の中に蛙を配置したり、葉から跳躍する蛙を描いてみました。バッタも描きました。手漉きの和紙が手に入ったのでコラージュしたことを思い出します。「響」はカンディンスキーの非対象絵画を参考にしました。カンディンスキーの世界に接した時、交響楽を視角化したならこんな表現が相応しいと賛同したことが、RECORDに取り掛かる発想源でした。「結」は紐や枝を絡めるイメージがありました。これは自分が得意とする世界で、下書きの時点で楽しかった思いが今も残っています。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした4月分~6月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。