2015.11.09 Monday
既に終わってしまった展覧会の作品を取り上げるのは恐縮ですが、橫浜にある県立歴史博物館で開催していた「五姓田義松展」の中で、気に留めた作品の数々の感想を述べます。私が美術の専門家を志した時は、既に確立された受験体制があり、美術系の学校は門戸を広げていました。最初は木炭による石膏デッサンをやっていて、そのうち描画材は鉛筆に代わり、陰影を利用してカタチが浮き彫りになるように、タッチを工夫する技巧を教え込まれました。いわゆるハッチングというもので、カタチを立体として捉える方法に夢中になりました。そこには描写職人のような浪人生もいました。そんな当時愉快だった描写の習得技術を思い返してくれたのが、画家五姓田義松のデッサンでした。明治初期の西洋画習得もままならない時期に、よくぞこんなデッサンができたものだと感心しましたが、当時の僅かばかりの情報に対する欲求の故なのか、描くことに新鮮さを留めていて、見る対象全てに感動しながら作者は描写をしていた有様が伝わってきます。とりわけ「六面相」と題された自画像を描いたデッサンが楽しくて、その抑揚のある筆致に浮かび上がる変顔が、何ともいいのです。作者の母を描いた油絵にも驚きました。母の最期を看取って描いた「老母図」は、恰も表現主義のような深い精神性に溢れ、作者の母に対する愛情が尋常ではないことが分かりました。当時理解の薄かった西洋画を進める際の精神的な支えを母がしてくれたのでしょうか。五姓田義松は家族愛に溢れた画家でもあったようです。
2015.11.08 Sunday
今日を日記風に綴るなら、朝7時に工房に行き、昨日から始めた2点目の新作の全体構成を厚板に下書きしました。まず第一歩として絵画的なアプローチをすることにしました。2時間やったところで自宅に戻りました。朝食をテレビの前の居間で済ませました。自分は食事中にテレビを見ることはありません。ダイニングにテレビを置いていないのです。今日は特別でした。NHK番組の「日曜美術館」で若林奮先生の彫刻作品を取上げたので、何としても見たかったのでした。懐かしい若林先生がインタビューに答えるシーンが映し出されていました。気難しく眉間に皺のよった神経質そうな顔で、彫刻とは何かをもどかしそうに話しておられました。自分は若林先生に教えを受けたことはありません。同じ大学の構内に居ながら、近づくことが出来なかったのが返すがえすも残念です。奥様も登場していました。自分は大学受験の時に石膏デッサンを奥様に習ったことがあるのです。奥様は具象彫刻の第一人者淀井敏夫氏のお嬢さんだったことは当時から存じ上げていました。若林ワールドがテレビでどう解説されるのか興味津々でした。内容は別の機会に書こうと思います。番組が終了したので工房に戻りました。中国籍の若いスタッフが来ていました。先週から山東省に里帰りをしていた彼女は、今週の木曜日に日本に戻ってきていました。工房のロフト工事を見て驚いていました。良い香りのするジャスミン茶をお土産に頂きました。夕方4時までそれぞれ制作に没頭しました。2人でやっていると社会的促進という心理効果があって制作に弾みがつきます。彼女もその効果を期待しているらしく日曜日が楽しみで仕方ないと言っていました。夕方には制作でクタクタになり、彼女を駅まで車で送りました。自宅に戻ると、演奏に出かけていた家内から連絡が入り、家内を迎えに行きました。いつものような週末の過ごし方でしたが、テレビ放映された若林ワールドのことが印象に残っていました。番組の中にあった「彫刻とは何か」という問いかけは、自分も常に思っていることで、絵画的新作の第一歩を記した今日も、これは表層的には絵画のように見えるけれど、実のところ彫刻としての意識が働いていると感じています。どうしてそう思ったのかは、稿を改めて考えてみたいと思います。若林先生の言葉に、彫刻なるものの捉えの広さや深さを感じ取り、自分も同意することが暫しあります。今日はなかなか充実した週末を過ごしたように思えました。
2015.11.07 Saturday
夏に東京銀座で発表する陶彫作品は、大きめの新作を2点、小作品「陶紋」を数点出品しようと考えています。毎年の定番になっていますが、ギャラリーせいほうの空間を考えると、今回もこのくらいの作品量を必死になって制作しなければなりません。既に一番大きな陶彫作品には取り掛かっていますが、次なる陶彫作品をどうしようかと思案していました。今まで降って湧いた数多いイメージの中からひとつ選びましたが、そのイメージはあまりにも絵画的で色彩に溢れた画面構成が思い浮かんできます。これをどのようにして床置きの彫刻作品にしていこうか、思案のしどころかなぁと思っています。これを絵画作品にして壁に掛けてもつまらないと感じているからです。浮かんだイメージは、イメージ通りになるように素材や技法を選んでいくのが一般的で、通常は具現化するための一番効果的な方法は何かを考えていきます。制作では抵抗や摩擦の出来るだけ少ない方法で進めていくのが、作品を作る上での得策です。ただし、それが作品のクオリティーを上げられるかどうかは別問題です。慣れが生む緩慢な傾向は、どの作家にも共通していて、それならばいっそ抵抗や摩擦があった方が、緊張感のある優れた作品になるかもしれないのです。作品は精神の産物であるため、そこが創作活動のやっかいなところでもあり、面白いところでもあります。今日は新作の2点目になる作品に取り掛かりました。2センチの厚板を購入してきて、まずイメージ通りの画面を描くところから始めました。画面の中から立体性のあるものを抽出し、それを立体物として配置したらどうなるのか、絵画的イメージを分解し、構成要素のひとつひとつに凹凸があったらどうなるのか、色彩が織り成す印象の部分と即物的な素材の部分をどう関わらせるか、導入としては厚板への描写もままならず、今日の作業を中断してしまいました。明日も継続です。ちょっと苦しいところに突入してしまったかなぁと思い返しながら、明日へ希望を繋ぎます。
2015.11.06 Friday
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)下巻を読み始めました。下巻には大きな章が2つあります。第六章「夢の仕事」と第七章「夢行程の心理学」です。それぞれ章ごとに小さな括りがあるので、その括り毎に上巻の例に従ってまとめていこうと思っています。読み始めると忽ちフロイト流の論考に取り巻かれてしまいます。夢を解釈するという壮大で深遠なテーマは、精神分析学の第一人者であったフロイトだからこそ扱うことが出来たと思っていましたが、本書では夢を考察した学者が提唱した事例が多く出てくるので、夢という領域は心理学や病理学を専門とする学者では魅力的なテーマのひとつであったと思うばかりです。さて、細かな単元に移る前に第六章「夢の仕事」に関する前置きがありましたので、引用します。「私たちは、顕在的な夢内容ではなく、潜在的な夢内容としての夢の想念から夢を解き明かそうとする。それゆえ、私たちには以前になかった課題が新たに課せられる。つまり、顕在的な夢内容と潜在的な夢の想念との関係を探求し、どのような行程を通じて後者から前者が生じるのかを跡づけるという課題である。」これがこれから夢を論じる上での導入部にあたると考えます。本書を通勤の友として、今後じっくり読んでいこうと思います。些か気難しい友であるのは百も承知です。
2015.11.05 Thursday
私のホームページに2014年のRECORD1月分~3月分をアップしました。この1年間の毎月のテーマは文章によるもので、自分としては初めての試みでした。その文章をタイトルにしたコトバを捻り出し、アップの際に画像に添えましたが、画像共々なかなか厳しいテーマ選択をしたものだと今になって思い起こしています。1月のテーマは「芽生え萌えたつ天使たち」、2月のテーマは「匂い立つ土俗の構え」、3月のテーマは「散歩する気まぐれ美神たち」でした。自分としては、自分の中に今までなかった物語性を秘めた寓話的な表現を狙ったつもりでしたが、なかなか納得がいかず、イメージを捻り出すのに時間ばかりが経つばかりで、焦りながら下書きをまとめた記憶が残っています。表現域を広げるためには、学生時代のような有り余る時間が必要なのかもしれません。現在の二束の草鞋生活の中で辛うじて制作しているRECORDは、まさに時間との駆け引きで毎晩睡魔と闘いながら制作をしています。その日その時の気分を優先していたら作品は出来上がりません。そんな苦しい中で仕上げたRECORDでした。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした1月分~3月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。