Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 14‘RECORD 7月・8月・9月分アップ
    私のホームページに2014年のRECORD7月分~9月分をアップしました。この1年間の毎月のテーマは文章でした。7月は「溝と溝を繋ぐもの」で、幾重にも連なる塹壕のようなイメージが浮かびました。自分が幼い頃、家の近くの山林の中に防空壕が残っていました。近所の子どもたちと秘密基地にして遊んだ記憶があります。暗く湿った空間に戦争の名残があった時代でした。それとは別に人間関係の繋がりも表現したくなっていました。震災後の人が生きていく絆のようなイメージがあって、それらの視覚化は難しい課題でした。毎晩どんな展開にしようか迷ったことを思い出します。8月は「悠久なる祈りの鎮座」にしました。カンボジアのアンコール遺跡を訪ね、強烈な印象に残ったことをテーマにしてみたかったのです。なかなかその場でスケッチは出来ず、帰国してから写真を見てRECORDをまとめました。石像や浮き彫りの壁が面白かったのですが、絵にすると薄っぺらな空間しか表せないことに苛立っていました。記号化された人や魚、樹木や動物を自分の世界に引き込むには、相当な時間が必要と思っています。9月は「宙吊りの魂が棲まうところ」というテーマでしたが、魂の存在を考えながらRECORDをまとめました。この頃読んでいたハイデガーの「存在と時間」がイメージの発端になっていました。魂が宙吊りになっているというのは「存在と時間」の中にあった一文から取ったものです。私のホームページを見ていただけるなら、このNOTEの左上にある本サイトをクリックすると入れます。それからRECORDを選んでクリックすれば、今回アップした7月分~9月分のRECORD画像が出てきます。ご高覧いただけると幸いです。
    三連休 内省を止めて作業遂行
    どうもこの三連休は、創作活動を通して自分の殻に閉じこもる傾向が強く、ウィークディの仕事の精神安定剤として、日常役に立っている創作活動とは、裏腹な雰囲気が漂っていました。現在作っている彫刻作品は、自分にとってどんな意味があるのか、昨日から自問自答している内省が頭を擡げてきていました。これなら決まった時間の中で勤めている公務員としての仕事があった方が、いくらか気が休まると言わざるを得ません。実際に定年退職を迎え、毎日工房に篭って制作をやっていたなら、自分は結構苦しい目に遭うかもしれず、今のうちから何か手を打とうと考えています。自分を追い詰めていくことで作品のクオリティを上げてきた自分は、自虐的傾向もあることは充分自覚しています。その時になれば、ここまでが限界と自ら線引きをするだろうこともわかっていますが、苦し紛れに何をしてしまうのか、わからないのも事実です。ともかく今日は内省を止めて手先の作業を進めていくように自分をコントロールしました。今日は昨日用意したタタラと紐作りによって陶彫の成形を行いました。いつもならテキパキ作る陶彫も今日はペースが落ちました。夕方は家内と横浜駅のデパートに出かけ、来年のカレンダーを買ってきました。何気ないことをやって気晴らしをしようと思ったのでした。公務員を続けながら週末になるのを指折り待っていた20数年前とは、明らかに自分の事情は異なってきていて、創作活動が当たり前に出来ることや、定年退職がそろそろ迫ってきていることが、自分に何らかの影響を齎せているのかもしれません。
    三連休 制作の合間に…
    三連休の中日です。朝から工房に行って昨日から続いている厚板材の彫り込み作業をやりました。三連休の制作目標にしていた彫り込み作業は、今日の夕方には完成し、絵画的なイメージの作品は後に回すことにしました。以前から取り組んでいる擂り鉢状の作品を再開するためタタラを準備しました。木材用の電動工具を使ったり、陶土を練ったりしたために今日は些か疲れました。途中から素材を変えるのは厳しいものがあります。朝から夕方まで作業をし続けているため、休憩を適度に取るようにしています。疲労のせいか制作の合間に色々なことが頭を過ぎります。創作活動に邁進することの意味とは何か、実際には来年夏の東京銀座での個展に追われているのですが、もっと根源的な意味合いを考えてしまうことがあります。創作活動はどんな媒体であれ気楽に出来るものではありません。自分の都合で言えば、彫刻は何と苦しい表現手段だろうといつも思っていて、それなら表現手段を変えればいいのに、やはり彫刻に拘るのは何故だろうと思っているのです。夢でも彫刻を作っている自分を見て、これは何だろうと自問自答する時もあります。最近になって五十肩で身体を動かすのが苦しいから、尚更そんなことを考えてしまうのではないかと思っているのです。敢えて苦しいことをしていて、その見返りとして得られるものが何かあるのだろうか、自分がやっているちっぽけなことは、きっと徒労で終わるのではないだろうかという漠然とした不安もあります。一般の感覚からすれば、創作のための工房があって、毎年発表する企画画廊があって、この年齢からすれば申し分がないと言えるのですが、満足が得られない自分が自ら不安を背負い込むようなもので、自己満足がどこまで奥深いのか、どこまでいったら生きていて良かったと思える生涯になるのか、未だに見当がつきません。作業中に手を休めると妙な不安に襲われる、今日はそんな一日を過ごしました。
    三連休 新作の制作目標
    今日から三連休です。現在取り組んでいる陶彫の新作は2点あります。大きい作品は擂り鉢状の円形をした作品です。もうひとつは絵画的な構成から発展した作品で、擂り鉢状の作品に比べて、小さいスケールで作っています。題名がまだ決まっていないので作品を示すものがないのですが、この三連休は絵画的な作品の彫り込みを中心にやっていきます。彫り込みに使っている素材は木です。木を削るための電動工具を朝から使っていて、工房は木屑まみれになっています。木材の部分を三連休に作り上げるのを制作目標にしていて、これは何とか三連休中に達成できるのではないかと思っています。三連休で美術館や博物館に行くことも考えていましたが、休日はかなり混雑が予想されているので、実はつい先日に前倒しで行ってしまいました。東京上野の国立博物館で開催している「始皇帝と大兵馬俑展」です。休日に比べれば比較的余裕を持って見られたのではないかと思っています。詳しい感想は後日改めます。もうひとつは東京都美術館で開催している「太陽美術展」です。自分と同じ公務員をやりながら油絵を描いている人がいて、毎回招待状を頂いているのです。今回の彼の出品作は、一連の具象絵画で西欧の風景をセピア調にして丹念に描きこんでいました。楽器を弾く人物の表情もよく捉えられていて、彼の生真面目さが伝わってきました。手前の人物と背景との間に空間的厚みが加われば、さらに面白い風景画になったことでしょう。激務の中で精進している彼にエールを送りたいと思います。さて、明日も制作続行で、私も頑張らなければなりません。
    映画「裁かれるのは善人のみ」雑感
    表題はロシア映画で、原題を「LEVIATHAN」(レヴィアタン)と言います。これは旧約聖書に登場する海中の怪物や悪魔のことです。映画のポスターに使われている浜辺に打ち上げられた白骨化した鯨が、それを象徴しているのでしょうか。日本語になった題名は物語を端的に語っています。ロシア北部の鄙びた海沿いに住む自動車修理工の朴訥な主人公と実の息子、美しい後妻の3人家族が慎ましく生活している様子がまず映画に登場します。この土地の買収を巡って悪事を極める市長と立ち退くことを拒否し続ける家族の対決が物語の発端になっています。主人公は友人の弁護士を都会から呼び寄せ、市長の悪事三昧を暴き、それによって裁判を有利にもっていこうとしましたが、市長から手段を選ばない圧力がかかり、それによって家族が崩壊していく過程が描き出されていきます。それは地方行政に留まらず、宗教や政治体制の在り方までも映画の主題として扱われているように思います。権力と教会が結託した政治腐敗を描いたこの映画が、よくぞ禁止されることなく、またカンヌを初め国際的な映画界で礼賛されていることに私は驚き、また社会背景とは別に芸術作品として評価された素晴らしさを同時に感じました。ラストの教会での説教は、観ている私の感情を上滑り、市井の善人の抗う事の出来ない権力に対し、宗教をどう捉えたらいいのかという疑問も投げかけました。やるせない映画、これが「裁かれるのは善人のみ」の雑感です。ただし、ロシアの自然はどこまでも美しく、荒涼とした入り江に放置された廃船や、主人公の住む家が心地よいので、映画自体は気品のある作品に仕上がっていると思いました。横浜のミニシアターで観る映画は、表現力に溢れた芸術性の高いものが多く、往年の映画ファンらしい観客に支えられていると、この晩も思いました。娯楽性が乏しくても、また観に来たいと思わせる作品が多いのです。