2015.06.09 Tuesday
「楔(くさび)」は鋭角三角形をした道具で、ものを割ったり、隙間に打ち込んだりする用途があります。また物事と物事をかたく繋ぎ合わせるものという意味もあって、人間関係にも使われる場合もあります。6月のRECORDはこの「楔」をテーマにしてやっています。自分が彫刻をやっているせいか、テーマを選ぶ際にどうしても即物的なモノが頭に浮かびます。イメージし易いモノとして考えてしまうからです。今年のテーマを見ていくと今までのテーマに季節感はありません。風情や興趣を愛でる心の余裕がないのかもしれません。本来芸術作品は多忙感の中で生まれるモノではなく、ゆとりの遊び心から生まれるモノです。二足の草鞋生活で多忙であっても、心だけは多忙感を持たないようにしたいと願っています。一日1点制作のRECORDですが、焦らず休まずやっていこうと思います。
2015.06.08 Monday
まさか燃え尽き症候群ではないと思いますが、「発掘~群塔~」は自分にとって心底険しい制作工程だったようで、完成した作品を前にして、少しずつ力が抜けていくのを感じました。昨日の図録用の撮影の時に、工房に設置した「発掘~群塔~」をみて、安堵感が広がりました。カメラマンが三脚を組んで工房の天井まで昇って撮影している時、自分は椅子に座ったまま動けなくなって、全身が筋肉疲労に襲われ、何も考えることが出来ず、ただ成り行きをじっと見守っていました。撮影が終わり、スタッフに片付けの指示を出したところで我に返りました。工房の戸締まりを家内に任せ、スタッフを駅まで車で送りました。自宅に戻ってソファに横になったら、また筋肉疲労に襲われて身動きが出来なくなりました。創作活動は気分がどうであれ、意思の力に導かれ、作品の完成に向かって、我を忘れてひたすら邁進していきます。疲労を感じない溌剌とした時間がそこにあります。作品の完成とともにその呪縛から解き放たれ、振り子が戻っていくように疲労と緩慢が襲ってくるのかもしれません。気分の揺り戻しは翌日まで影響します。幸い今日は出張がなく書類の滞りもないので、職場で比較的ゆっくりとした時間が過ごせていました。明日は元気が戻ってくるでしょう。
2015.06.07 Sunday
今日は今夏個展で発表する「発掘~群塔~」の撮影日でした。この撮影日が作品の完成日となります。陶彫部品を組み合わせて集合彫刻としてまとめ上げる私の作品は、スタッフの協力がなければ組み立てられない作品なのです。初めて作品が組み立てられるのが撮影日と言うわけで、私自身も自分の作品の完成した姿を今日初めて見ることが出来たのです。作品は当初のイメージ通りになっているか、表現としての主張がきちんと伝わるようになっているか、全体のまとまりはどうか、表層的ではない完成度はどうか、さまざまな感情や思索が頭を過ぎっていきます。今日は朝9時に若い女性スタッフ2人、後輩の男性彫刻家、家内と私の5人で、工房内の作業机の移動を行いました。午前10時にカメラマン2人が登場し、手始めに木彫だけの野外撮影になりました。好天気に恵まれ、太陽光線がくっきり影を落とすなかで、順調に撮影が進みました。室内撮影に移行して、漸く「発掘~群塔~」の木彫屏風に陶彫部品が取り付けられました。この時、初めて自作の完成を胸中で祝いました。イメージ通りになっていたので、気持ちが弾み、少しずつ心の緊張が解けてきました。先日撮影した「発掘~丘陵~」も室内に設置しました。これが昨年夏から今年夏までの1年間の創作活動の全てだと思うと感無量でした。手伝ってくれたスタッフに感謝です。夕方3時には撮影が終わっていましたが、自分は日頃の疲れが出てヘトヘトでした。これから搬入日に向けた梱包作業に入ります。昨年より1ヶ月遅い梱包期間です。ギャラリーせいほうでの個展はまだ始まっていません。梱包も大変な作業です。次にやってくる搬入日を目指して頑張りたいと思います。
2015.06.06 Saturday
いよいよ明日が「発掘~群塔~」の撮影日となりました。今日は撮影のための準備に追われる一日でした。陶彫部品の修整が出来ているか、接合に使うボルトナットの塗装はどうか、木彫付き厚板の油絵の具は隅々まで効果的に塗られているか、床置きの大きな陶彫部品に不具合がないか等々、朝から夕方まで気を回しながら細々と動いていました。これは結構疲れる仕事でした。屏風の蝶番だけは自分ひとりではどうにもならないので、明日スタッフが来てから対応しようと思います。図録のレイアウトも大胆なアイデアが思いつかず、完成した立体作品を前に途方にくれています。毎年のことながら新作の状況が異なるせいか、撮影前日に余裕を感じることは今だかつて一度もありません。これは個展の搬入にも言えます。撮影や個展の展示が「一番おいしい仕事」と家内は言いますが、この仕上げに至っても不安を拭えない自分がいます。微細なことが自信喪失に繋がりそうで、また冷静になれば心配は不要と思ったりしますが、この揺れ動く心は一体何でしょうか。造形作品は自分の全てです。命懸けと言っても過言ではありません。この作品の実質のゴールは図録の撮影日なのです。明日がどうなることやら、半分は楽しみで半分は不安に駆られています。この歳で何年経ってもそんな初心な経験をさせてもらえるのは、創作行為ならではのことではないかと思っています。
2015.06.05 Friday
中学校の歴史の教科書に登場するフランシスコ・ザビエルは、一度は図版で容貌を見たことがある日本では有名な宣教師の一人です。初めて渡来した九州や伝導をした山口県には所縁のものが残されています。自分がザビエルに関する文庫本を手に取ったのは、随分前に行った長崎県の日本26聖人記念館でのことでした。彫刻の師匠である池田宗弘先生がキリスト教彫刻を作っていることがあって、自分の興味関心も遠い欧州から遙々やってきた宣教師に向けられていました。日本でキリスト教を根付かせるために、どんな困難な道のりがあったのか、当時の日本人の宗教観はどんなものだったのか、キリスト教伝来の史実を知りたくて「ザビエル」(結城了悟著 聖母の騎士社)を読みました。現在読んでいるドイツロマン派に関する書籍は重いので、時として軽量な文庫本を携えることがあります。「ザビエル」はそんな一冊でした。著者の結城氏はスペイン人で日本に帰化した司祭だったようです。本書にはザビエルがスペインのハビエル城で生を受け、パリ大学で学び、やがて信仰生活に入り、イエズス会の創立に尽力し、東洋各地へ布教を行い、日本を経て中国に至るところで絶命する、言わばキリストに捧げた真摯な人生が描かれています。ザビエルが清貧で人徳のあった人物であったことは疑う余地もなく、彼をここまで崇高にした宗教とは何かを考えさせる一冊になっていると思いました。文中で自分が興味をもった一節があります。日本人の謙虚で生真面目な姿勢が読み取れる箇所です。「すぐに信者にならないで、まず第一に教えを聞き、正しいと思うと説教者の私生活を見る。教えと生活が一致するなら、そのとき教えを受けるであろう。」と書かれた日本人の総体的な特徴は、現在忘れられつつある日本人の特性をもう一度考え直す契機になるのではないかと思うのです。