Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • ア・プリオリな空間存在
    ア・プリオリとは先験的・先天的な経験に先立って与えられている認識や概念のことを言います。語源はラテン語で反語はア・ポステリオリです。「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)の中に空間を存在論の中で捉えようとする箇所があり、注目しました。「空間は主観の内で存在しているのでもなければ、世界が空間の内で存在しているのでもない。むしろ空間は、現存在にとって構成的な世界内存在が空間を開示したかぎりにおいて、世界の『内』で存在している。空間が主観の内で見いだされるのでもなければ、また、主観が世界を、『あたかも』世界が一つの空間の内で存在している『かのように』考察するのではなく、むしろ、存在論的に十分によく了解された『主観』、つまり現存在が、空間的なのである。空間はおのれを、ア・プリオリなものとして示すのである。~略~ア・プリオリ性とはここでは、道具的存在者がそのときどき環境世界的に出会われることのうちで、空間『法域としての』が出会われることの先行性のことなのである。」家を建てたり、土地を測量したりすれば、そこの空間は現存在(私)の眼差しに入ってきます。ただし、純粋計量的空間学にいたる考察は、ここで主題にするのではなく、純粋空間の主題的暴露等置かれている現象的地盤が主題であるとハイデガーは断定しています。いずれにせよ空間の存在論的解釈をじっくり読み込んでいこうと思います。
    若かりし頃の貧乏旅行
    「保田龍門・保田春彦 往復書簡1958ー1965」(武蔵野美術大学出版局)を読んでいると保田先生が若かりし頃にフランスのパリから各地を経てスペインに赴く旅日記がありました。手持ちの金銭が少なく、食事や宿泊費用を切り詰めての貧乏旅行で、その状況や雰囲気がよく伝わってきます。自分にも同じような経験があるので、なおさら伝わりやすいのだと思います。自分は1980年から85年までの5年間をオーストリアで過ごしました。その間、西欧ではドイツ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー(スイスとルクセンブルグは通過しただけ)を旅しました。東欧ではハンガリー、チェコスロバキア(当時)、ユーゴスラビア(当時)、ルーマニア(ブルガリアは通過しただけ)を旅しました。オーストリアを引き揚げる際に、トルコ、ギリシャに2ヶ月に亘って周遊し、彼の地で見た地中海沿岸の遺跡の数々が、現行の陶彫作品に繋がっていると言っても過言ではありません。自分も持ち金が乏しく、書簡にある「オート・ストップ」をかなりやりました。所謂ヒッチハイクのことで、行き先を大きな紙に書いて、アウトバーン(高速道路)の入り口で翳しているとよく車が止まってくれるのです。街では地図を片手に徒歩で美術館に行って、全身眼になって作品を嘗めるように見回し、マーケットで食料を買って公園のベンチでパンやソーセージに齧り付くという旅でした。鉄道の駅で野宿もしました。あの頃は不思議と病気はしないもので、たいした疲労も感じず、ただ意欲だけで生きていました。そんな旅を思い出させてくれる「保田龍門・春彦 往復書簡」です。
    「存在と時間」におけるデカルト&カント批判
    「デカルトは実体性に対する存在論な問いを総じて回避しているばかりではなく、彼が表立って強調しているのは、実体そのもの、言いかえれば、実体の実体性は、それ自身に即してそれ自身だけでは、あらかじめ近づくことのできないものだということである。~その後デカルト著「哲学の原理」より引用文が続くが、略する~『存在』自身はわれわれを『触発する』ことがない、このゆえに存在は認知されえないというわけである。カントの言うところによれば『存在は、レアルな、つまり事実内容を示すような述語ではない』のだが、これはデカルトの命題を言いかえたにすぎないのである。かくして存在の純粋な問題性というものの可能性が原則的に断念され、一つの逃げ道が求められ、さらに、そうした逃げ道をたどって諸実体の前述の諸規定が獲得されることになるのである。」文中にあるレアルとは事象内容に属しているもののことです。諸実体の前述の諸規定とあるのは引用文の前段階で論述されたデカルトの存在論のことです。「存在と時間Ⅰ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、存在そのものを綿密に解き明かすもので、デカルトやカントの存在論に触れる箇所が度々あります。「存在と時間Ⅰ」は存在全てに亘る論考の中で、存在究明におけるデカルトやカント哲学に対する批判が述べられています。ハイデガーは過去の哲学によって規定されていた概念を覆し、存在そのものの問い直しを図るため、基盤から再構築する膨大な理論展開を試みています。
    屏風と床置きによる「群塔」
    壁と床の両方を設置場所にする新作に「発掘~群塔~」という題名をつけました。壁面は屏風にしてそこから突き出る陶彫を複数配置します。床にも陶彫の塔を複数配置して、屏風と床面が一体化した空間を創り上げようとしています。次なるイメージはその時作っていた作品が発展したものとして湧き上がってくるようです。7月に発表した「発掘~層塔~」はひとつの巨塔を90体以上の陶彫部品を組んで作りました。この制作が佳境を迎えている時に、突如「発掘~群塔~」のイメージが湧いてきたのです。現行の大きな塔さえ苦心しているのに、さらに塔が群立している新作イメージで、自分の心が折れそうになりました。ともかく「発掘~群塔~」の制作に取り組み始めました。今回は陶彫の他に木彫を併用します。これは私の常套手段ですが、木彫した面を大地に見立て、そこに陶彫した塔を群として点在させていきます。ハイデガー著による「存在と時間」のなかに「歴史をもつものは、なんらかの生成と関連づけられ、『発展』は、ときには興隆であり、ときには衰退である。歴史をもつものは、同時に歴史を作ることができる。画期的な時代を作りつつ、そのように歴史をもつものは、現在的でありながらなんらか未来を規定する。」という存在に於ける歴史性の学的解釈があります。まさに自分がイメージする都市残像が存在論として述べられています。そんな哲学としての核を抱きつつ制作に邁進したいと思います。
    凌ぎやすい9月になって…
    暑かった夏が過ぎて、凌ぎやすい季節になりました。朝晩は肌寒く感じます。今月は制作に弾みをつけていきたいと思います。休日出勤以外の週末は基本的には朝から夕方まで作業をやります。新作は塔が群となって都市を形成するイメージがあります。大きな塔は10体と考えていて、それらを上部と下部に分けて成形します。窯に入れる関係でこの10体だけは上下部連結のカタチになりますが、他の塔は単体で作ります。塔は今のところ全体で60体程度を考えています。そこに木彫が加わるので、新作は今夏発表した「発掘~層塔~」並みに大変な作業になるのではないかと思っています。そこで今月の目標としては大きな塔の下部の成形と加飾を10体全て終わらせていきたいと思っています。RECORDは毎日1点ずつ作る平面による小品ですが、その日のコンディションによって一番犠牲になりやすい作品です。仕事から帰宅後の眠さに打ち克って、今月もRECORDを何とか継続していきたいと考えています。美術館へは今月も足を運び、充実した鑑賞をしたい意向です。読書は携帯している哲学書や職場に置いてある往復書簡を続けていくため、今月は新たな書籍を紐解くことはないと考えます。凌ぎやすい9月になって、陶彫やRECORDに一層力を入れたいと思っています。