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  • 三連休 気持ちが昂るまで待つ
    三連休の最終日です。今日は職場へ午後から出かけました。職場での用事を済ませた後、職場の人が油絵のグループ展をやっているので、東京銀座まで足を伸ばしました。そのグループ展は美術家連盟画廊でやっていて、当画廊は日本美術家連盟が持っている画廊でした。私は日本美術家連盟に所属しているので、馴染みのある画廊でした。職場の人は銀箔と日本画の顔料を使った抽象絵画をやっていて、銀箔による壁が何とも雄弁で、その変化の様子が楽しいと感じました。そんなことがあって、今日は朝早くから工房に行って制作を始めました。制作は朝が勝負と決め込んで7つ目の成形に打ち込みました。「発掘~群塔~」の陶彫部品を今月は10個作ると決めていて、計画した制作工程通りにやっていました。まだ精神が研ぎ澄まされることはありませんが、こうした地道な積み重ねが、そのうち制作に緊張を与えていくものと思っています。気持ちが昂るまで待つ、というのが現在の制作姿勢でしょうか。それにしても三連休は充実はしていた半面、妙な疲れが残りました。鑑賞と制作に明け暮れたせいかもしれません。夜になって近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきました。身体と気持ちのバランスがとれて、妙な疲れがなくなりました。明日から通常勤務の日常が待っています。また来週末に気持ちの昂りを期待したいと思います。
    三連休 出勤の合間に制作
    三連休の中日です。今日と明日は出勤しなければならない用事があります。勤務はせいぜい1時間程度ですが、その合間に制作をしました。朝7時に工房に行って、成形をしておいた「発掘~群塔~」の陶彫部品に彫り込み加飾を行いました。午前9時過ぎに職場へ行って、再び工房に戻ってきました。午後は土練機を回して40キロの土練りを行いました。朝は涼しかった工房が、午後は真夏並みの暑さになって、夕方には疲労が出て、休憩に1時間程度自宅に戻りました。昨日の過密スケジュールのせいかもしれませんが、なかなか精神が研ぎ澄まされることが出来ず、制作面では不満が残りました。昨日観て来た映画「大いなる沈黙へ」の影響で、坦々とした作業が脳裏に焼きついて離れなかったのです。自分は神に全てを捧げる信仰は持ちませんが、創作の場面であらゆるものが浄化されて、制作中の作品しか眼に入らなくなることがあります。それは自己表現であっても自己のためという観念が消え、何かのために衝き動かされている感覚を持つのです。イメージが降って湧いてきたり、作品を取り巻く空間に広がりが見え、至福の景色が現れる瞬間なのです。信仰とは異なるものだと分かっていますが、修道士が一心不乱に祈る姿に、イメージの景色が見えている自分の姿を重ねていました。今日はそこまで気持ちを持っていけなかったのが何とも残念でした。明日は頑張ってみようと思っています。
    三連休 情報を求めて…
    三連休初日である今日は、3つの美術館へでかけた後、東京新宿にあるミニシアターで映画を観てきました。過密なスケジュールでしたが、充実した一日が過ごせました。たまたま家内に演奏の予定が入っていたため、今日は単独行動になり、まるで学生時代のような東西奔走をやってみました。まず朝7時半に自宅を出て、東京の西高島平にある板橋区立美術館に行きました。横浜の旭区から2時間の道のりで、これは遠いなぁと思いましたが、「種村季弘の眼」展はどうしても見たかった企画展だったので満足でした。ドイツ語圏のファンタスティックリアリスムやマニエリスムの芸術家を論じた評論家として種村季弘は自分の中で重要な著述家でした。選抜された芸術家のオリジナル作品が見たいと思っていたので、長い移動時間は苦になりませんでした。次に向かったのは両国にある江戸東京博物館で「発掘された日本列島2014」展を見てきました。自分の作品は「発掘シリーズ」として現代の出土品と評されることもあって、これは全国の発掘現状を知り、古代出土品の実物を見てこなくてはならないと思ったのでした。出品されていた大きめの縄文土器に改めて感動を覚えました。以上前述した2つの展覧会の詳細な感想は日を改めて書きたいと思います。3つ目は六本木にある東京国立新美術館で開催中の「二科展」に行きました。これは彫刻部門に自分の後輩が出品しているのを見るためで、彼は自分と同じ二束の草鞋生活を送りながら頑張っている作家なのです。今年彼は賞を頂いていました。学習机の天板を並べ、そこに波紋や水が撥ねたような状態を木彫していました。机という日常から新象風景へ導く意外性があり、木材を水に置き換える素材の変容が見事でした。今まで彼の作風は、絡み合う凝縮した生命の根源を求めるものが多かったように記憶しています。今回は広がりを狙った世界であり、彼の作風が確実にステージを上げて、大きな空間を獲得しているように思えました。凝縮と拡散双方の世界観が、今後どう折り合いをつけていくのか、とても楽しみな作家です。そして最後に新宿に辿り着きました。午後3時を回っていましたが、昼食をとるのを忘れていました。新宿の雑踏の中でカウンターの食堂を見つけ、腹ごしらえをしました。新宿では新宿シネマカリテで上映中の「大いなる沈黙へ」を観ました。この映画に臨む自分の姿勢は、溢れる情報や物質の中に曝される自我をリセットし、自分が真に必要とするものは何か、自分にとって創作とは何かを問い直すことがありました。厳格な修道院での寡黙な修道士の生活を捉えた3時間近くに及ぶ映像は、自分に何を齎すのでしょうか。ナレーションなし、照明なし、劇伴音楽なし、修道院に入れるのは監督一人だけという条件で撮影された余りにも独特な映像作品。上映後、静かな感動を覚え、帰路は呆然としてしまいました。詳細な感想は後日にします。
    9月RECORD「宙吊りの魂が棲まうところ」
    今月のRECORDは表題のような不安定なテーマを掲げて作品を作っています。魂というのは詩情として置き換えた現存在(私自身)のことで、現在読んでいる哲学書の存在論に触発されて、こんなテーマを思い立ちました。著者ハイデガーの語彙は大凡ポエトリーなものではなく、ニーチェのそれとは大きな違いがあります。まだ大著「存在と時間」を読破していないのですが、解説によると存在が宙吊りのままでいる状態を示唆する箇所があって興味が湧きます。今までのRECORDに見られる自分の傾向として、抽象的、象徴的な傾向が強く、具象的なそれを大きく上回っています。現存在(魂)を象徴するテーマは、過去の傾向から言っても決して新奇なものではなく、カタチを変えて追求してきたものだと考えています。今月も日々頑張っていこうと思います。
    「存在と時間 Ⅱ」を読み始める
    「存在と時間 Ⅰ」に続き「存在と時間 Ⅱ」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)を読み始めました。またハイデガーの抜本的で詳細な理論に親しみます。既成概念を覆すように根気強く展開される存在論は、読む側にも根気を強いてきます。目次を見ると、第Ⅰ巻から続く第一編が途中から第二編に変わるのが第Ⅱ巻のようで、第二編は現存在と時間性が取り挙げられています。第一編と第二編を併せて第一部としていて、「存在と時間 Ⅲ」には第二部が出てきません。つまり第一部だけで終わってしまう「存在と時間」なのです。これは未完の哲学書ということが分かります。結論の出ない存在論ですが、起因動機や展開に見られる微細で大胆な論考としては20世紀を代表する大著であることに変わりはありません。「存在と時間 Ⅱ」に最初に出てくるテーマで自分が留意したものは情状性です。「恐れの対象、つまり『恐ろしいもの』は、そのときどきに、道具的存在者か、それとも共現存在かの存在様式をもった世界内部的に出会われるものである。」その恐ろしいものとは時に驚愕になり、戦慄になり、仰天にもなります。また恐れの変種として、尻込み、おじけ、気がかり、びっくりが挙げられています。それら了解を論じた後のまとめとして「情状性と了解とは、実存範疇として、世界内存在の根源的な開示性を性格づける。気分的規定性という在り方において現存在は、おのれがそれらのほうから存在している諸可能性を『見てとる』。」というわけです。続きを読んでいきたいと思います。