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  • 「ホドロフスキーのDUNE」未完の大作
    東京渋谷にあるミニシアターで「ホドロフスキーのDUNE」を観ました。「DUNE」は未完なので、これはインタヴュー等で綴られたメイキング映像でした。見終わった後、まず「DUNE」の発想の凄さが伝わってきました。興行的に成功するかどうかではなく、真の芸術性を求めて巨額を投じようとしたホドロフスキー監督の意図がよくわかりました。「DUNE」は斬新なSF映画で、宇宙を舞台にした壮大な叙事詩になるはずでした。キャストを見るとサルバドール・ダリやミック・ジャガー、オーソン・ウエルズ等錚々たる人たちがいて驚きました。スタッフでは音楽にピンク・フロイド、キャラクターデザインにメビウス、宇宙船デザインにクリス・フォス、建造物デザインにH.R.ギーガー、特殊効果にダン・オバノン等これも錚々たる人たちです。「DUNE」のコンセプトは「エイリアン」や「スターウォーズ」「マトリックス」等に繋がっていったようですが、SF映画の発展に附与した影響は計り知れないものがあると思いました。とりわけ自分はH.R.ギーガーのデザインに惹かれます。人体を象徴的に表した建造物やどこまでも続く奇怪な道などが不安を煽り、宇宙的な規模で展開するドラマを感じさせます。「エイリアン」の巨大動物の骨格を模した洞窟に、閉塞した面白さが宿り、西欧的な装飾性にぎっしり埋められた建造物は、まさに「DUNE」でも、その表現を遺憾なく発揮されたことでしょう。ハリウッド的スペクタクル映画とは異なる世界観を表出したであろう「DUNE」を完成したカタチで観たいと願うのは私だけではないでしょう。
    「リアリティのダンス」現実と超現実の狭間
    先日、勤務時間終了後にちょっと無理をして東京渋谷まで足を伸ばし、表題の映画を見てきました。監督は85歳のアレハンドロ・ホドロフスキー。世界中のアーティストを熱狂させる映画監督が23年ぶりに作った映画と聞いて、多少無理をしても観たかった映画なのでした。見終わった後の感想として、監督の自伝を通して主題では家族の再生や魂の癒やしを謳っていますが、寧ろ自分は現実と超現実の狭間にある映像の美しさや編集の巧みさに思わず吸い込まれてしまいました。それは決して審美ではなく監督が語る通り臨床的な映像になっていました。ロシア系ユダヤ人としてチリの港町で暮らしているアレハンドロ少年は、学校でいじめられ、父親からは虐待を伴う厳しい躾を受け、母親は母の父(アレハンドロからすれば祖父)に似た息子に祖父の幻影を抱いている一方、アレハンドロの理解者として描かれていて、さまざまな恐怖を母親によって癒やされています。父親は過激な共産主義者で、波瀾万丈の旅に出て、やがて改心して帰宅します。ホドロフスキー一家は、3人それぞれが主観的に過去を捉えて、やがて自分の輪郭を飛び越えて再生していくものだと映画が語っているように思えます。超現実映像が織り交ぜられているのに、現実感が印象に残るのは何故なのか、写実で描かれていても嘘臭い印象が残るのを考えると、現実と超現実の狭間にあって、訴えてくる主題がより強調されるのかもしれないと思う次第です。創作に関わる者として、自分に何かを投じてくれた映画でした。
    墓参り&美術展巡り
    秋分の日である今日は家内と午前中に菩提寺に出かけ、墓参りをしてきました。菩提寺では住職が変わり、近々に晋山式があるため懇請金も納めてきました。仕事の関係で11月の晋山式には家内が参列します。午後は東京の美術館を巡ってきました。今回は家内と一緒なので先日のような東西奔走というわけにはいかず、東京竹橋にある国立近代美術館と知り合いの画家が個展をしている銀座に行ってきました。国立近代美術館では今日から「菱田春草展」が開催されています。36歳で夭折した日本画家の才気溢れる作品に接してきました。詳細な感想は後日にします。それから銀座に行き、心象展に例年大きな抽象絵画を出品している知り合いの画家が、るたん画廊で個展をしているので見てきました。補色を使った鋭利な面でインパクトのある抽象絵画を描いている人ですが、全てフリーハンドでやっているため緊張感のある画面が生まれていること、また筆で精緻なグラデーションを出すのに時間と根気の鬩ぎ合いが作品の決め手になることを以前から聞いていました。公募展の大作とは違い、個展には小品が並んでいましたが、バリエーションのある世界が展開されていました。自分の制作に関して言えば、今日は墓参りの前に2時間くらい新たな陶彫成形を行いました。銀座から帰る時間帯に、若いアーティストからメールが入り、工房に来ているとのことで、自分もすぐ帰ることにしました。工房に戻ったのは午後5時でしたが、そこから2時間くらい制作をやって、夜7時過ぎに若い子を自宅まで車で送りました。今日は制作・鑑賞ともに充実した一日でした。
    「アーレントとハイデガー」愛について
    「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み始めて中盤を過ぎました。大著「存在と時間」で知られる哲学者マルティン・ハイデガーは、マールブルグ大学の気鋭の哲学教授になったばかりの35歳の頃に、当大学に入学してきた18歳のハンナ・アーレントと恋愛関係になり、情愛に溺れながら「存在と時間」を書き上げたようです。きっと女学生に献身的に慕われたことがパワーとなったのだろうと推測します。時が流れて、恋愛感情が消えても愛は継続し、アーレントは米国に去ってユダヤ文化再建委員会の仕事で思想家として渡独し、ハイデガーに再び会っています。ハイデガーは生粋のドイツ人、アーレントはユダヤ人、しかもハイデガーはフライブルク大学総長に任命され、ナチ党加入に加え、党のイデオロギーに共鳴する学長演説を行った事実があります。その後に猛省はあっても非難を免れることが難しい局面に立たされていたハイデガーを、アーレントは救いの手を差し伸べ、またハイデガーの罪を贖うような行動もしているようです。愛とは斯くも民族を超え、イデオロギーを超えても存在するものなのか、本書はこのような2人の関係を廻る賛否両論の反響があったと聞き及んでいます。まず、通勤の友として後半部分を読んでいきたいと思います。
    週末に読む評壇
    例年書いていただいているビジョン企画出版社の新報に、今年も個展の批評が掲載してありました。今年も昨年に続き、「発掘~層塔~」の写真付きでした。「陶彫。『発掘』シリーズ。遺跡の発掘品を思わせる土色の陶彫で、巨大オブジェを組み立てたり、地を這う生き物みたいな形を拵えたり。色々手が込んでいて、異様なアピール力を持つ。」という短文でしたが、異様なアピール力という一文に創作への活力をいただきました。存在感とか迫力とかアピール力というコトバを今まで批評家にいただいていますが、パワーが衰えないでいられるのは、自分が安定し、且つ外に発信できる創作イメージが持てることにあると自負しています。今日も朝から工房に行って制作三昧でした。工房には相変わらず若いアーティストが2人来ていました。彼らと集中する時間を共に過ごすことに幸せを感じています。今日の夕方になって漸く10体目の陶彫成形が出来ました。彫り込み加飾は10体のうち6体しか終わっていませんが、今月はもう一度週末がやってくるので、何とかなりそうだと思っています。10体のうち初めに作った1体目は乾燥が進んでいます。1体は簡易ビニール梱包を取り除きました。今のところ罅割れは見当たりません。この調子で来週末に残り4体の彫り込み加飾をやりたいと思います。