2014.10.15 Wednesday
先日、KAAT(神奈川芸術劇場)に表題の芝居を観に行ってきました。橫浜では三連休の間に5回公演し、その後京都やスイスに巡回するようです。職場にある新聞の記事で本公演を見つけ、自分の好きな彫刻家ジャコメッティがタイトルにあったこと、実際の親子が共演し、父が画家で息子が演出家という環境を最大限に生かした作品であることが観に行こうと決めた要因です。結果としては、発想段階からして面白く、かつて芝居小屋で観たアングラ演劇のような要素と、日常を切り取る演劇とは何かを提示する要素があって、思わぬ表現効果に心底楽しめました。舞台は画家である父のアトリエにあった道具をそのまま使っていると解説がありました。芝居が始まる前から舞台に父や家族が登場してお喋りをしていました。息子が登場して芝居を始めることを観客に伝えましたが、既にお喋りの中で導入がされていて、気難しい父の面倒を見る息子の図式が示されていました。息子は演劇とリアルな現実を交互に交え、役者と解説の両方を担っていました。父は役者としては素人なので、呆けた設定にして、ジャコメッティが乗り移ったかのようになり、息子が演じる矢内原伊作をモデルに油絵を描いていました。事実ジャコメッティ風な油絵を舞台上で描く行為があり、現実に画家である父のリアルな行為として自分には写りました。その時の親子の交流はスムーズで、逆に現実に戻るとギクシャクする情景が描かれました。演劇か現実か、寧ろ父がジャコメッティになりきってしまう仮象の方が親子とも心豊かに過ごせるのは何を意味しているのか、交差する心理の綾取りに引き込まれました。一緒に観た家内は現実生活の介護を芝居中に見取り、胸に込み上げるものがあったようです。リアルな現実をどこまで演劇に持ち込めるのか、突き詰めれば演劇とは何か、演劇に接することで現実生活を豊かにするものは何なのか、さまざまな思索がこの芝居によってもたらされたように思います。
2014.10.14 Tuesday
「存在と時間Ⅱ 」(マルティン・ハイデガー著 原佑・渡邊二郎訳 中央公論新社)は、第一篇から始まり、途中から第二篇になりました。ここからは「存在と時間」の存在に時間を加えた論考が中心になるようです。文中で言えば「現存在の実存性の根源的な存在論的根拠は時間性なのである。」とあるように現存在における気遣い同様、時間性を持ち込むことで現存在は実存論的に了解されるとハイデガーは言っています。続く引用で「時間性が現存在の根源的な存在意味をなし、しかもこの存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとかかわりゆくことが問題なのだとすれば、気遣いは『時間』を用いざるをえず、したがって『時間』を計算に入れざるをえない。」としています。頁を捲っていくと時間概念から生じるのかどうか、先を読んでみなければわかりませんが、「死」という言葉が再三現れてきます。現存在の終焉を意味するのでしょうか。「死」を存在論的に分析すると、どういう考え方に収まっていくのか興味のあるところです。最近では難解さにも大分慣れてきて、読むペースが少しずつ早くなった気がします。でも論理を楽しむというところまではいかず、やはり難論を紐解くと言った方が相応しい接し方です。もっと集中すれば徹底的に解明できるのでしょうが、二足の草鞋生活に加えて余剰の読書時間では心許なくて上っ面を滑ってしまう時もあります。それでも難論に喰らいついて頑張っていこうと思います。
2014.10.13 Monday
三連休最終日は、台風19号が迫る中、東京国立新美術館とKAAT(神奈川芸術劇場)に出かけました。彫刻家池田宗弘先生から自由美術展の招待状をいただいたので、朝一番に美術館に飛び込みました。池田先生の作品は野外に展示されていました。真鍮直付けによる「ネコ 椅子の上で」と題された作品で、椅子の上にいる猫は振向き、背もたれの上にいるカタツムリをじっと見つめる情景を作ったものです。池田先生の得意とする猫の表現で、猫も椅子もカタツムリも全て真鍮です。今でも思い出すのは、自分が彫刻を学ぼうとした時、池田先生の猫の群像が眼の前にありました。皿に置かれた骨だけになった魚を狙う痩せこけた猫たち。情景の緊張感も然ることながら、骨格だけになった飢えた猫の群像表現、それは量感がなく腹に穴が開いている凄まじい猫たちでした。ただし、その穴だらけな猫たちに限りなく大きな空間を感じ、ジャコメッティにも似た乾いた空虚を見て取りました。この人に教えを請おうと決めた瞬間でした。あれから30年以上も経って、今も池田先生にお世話になっています。その後、池田先生はキリスト教彫刻の第一人者になり、日常風景から聖書の物語へテーマが移りましたが、今回の出品作品は言わば原点回帰のようなものでした。昔に比べると肉付けが安定し、その分空虚な危うさが消えたように思えました。彫刻らしい彫刻がいいのか、欠損した不安定に存在を問うのがいいのか、果たしてどうなのか自分にはわかりません。午後はジャコメッティをテーマにした演劇を観にKAAT(神奈川芸術劇場)へ行きました。「わが父、ジャコメッティ」という比較的小さな空間で演じられた芝居で、現実と演劇の敷居を行ったり来たりする実験的な試みがありました。これは面白い試みで、演出上で呆けたことにした父親の面倒を見る息子が図式としてありましたが、一緒に芝居を観ていた家内の胸を打つものがあったようです。家内は看護住宅にいる私の母と接することが多いので、演劇内容を重ねてしまったのでした。この芝居はまだまだ要素が詰まっているので、詳しい感想は後日にしたいと思います。
2014.10.12 Sunday
昨日の疲れが出ていましたが、今日は美術を学ぶ高校生や職場関係で油絵を描きたい人が来ていたため、工房を休むわけにはいかず、昨日心の中で決めていた制作目標に向かって頑張っていました。制作目標とは、昨日成形した陶彫全ての彫り込み加飾を終わらせるというものでした。昨日はどんどん作業が進んだのに、今日は遅々として進まず、結局は目標の達成は出来ませんでした。残した仕事はウィークディの夜にやるしかありません。やはり人間がやることなので、上手くいくことがあれば、そうでもない時もあると思い知らされました。調子がいい時に立てた目標は、後になってみれば厳しいもので、実現不可能な場合もあります。彫り込み加飾は、荒っぽい成形に比べれば、細かく神経を使う仕事で時間がかかることを熟知しているのに、こんなことくらいあっという間に出来ると思ってしまったことがいけなかったのでした。でも、昨日同様に集中する時間帯が今日もありました。それは周囲の状況が眼の前から消え失せ、素材と語り合う時間です。陶土にヘラで彫り込み、また動勢を与え、素材と自分が一体化して、あれこれ考えることもなくなる時間、または自分の意思の充実を確認できる時間、そんな至福な時間帯があったことで今日は満足しました。明日は東京の美術館と横浜の劇場に出かけます。
2014.10.11 Saturday
今日から三連休です。3日間のうち2日間を制作、1日は鑑賞にしたいと考えています。鑑賞は彫刻家池田宗弘先生から自由美術展の招待状が送られてきたので、最終日の13日に国立新美術館に行こうと決めています。その日は午後KAAT(神奈川芸術劇場)で「わが父、ジャコメッティ」という芝居を観る予定で、もうチケットを取り寄せています。ということで今日と明日は制作です。今日は午前中に職場に行き、用事を済ませてから工房に行きました。職場に行っていた3時間を取り戻すために無我夢中で成形や彫り込み加飾に取り組みました。気持ちを入れ込むというのは凄いことだなぁと思いましたが、今日はまさに疲れ知らずの一日でした。彫り込み加飾1点、成形4点を5時間で作り上げました。これがどう凄いのかは作者にしかわからないことですが、自分なりに満足しました。勢いで夜は近隣のスポーツ施設へ水泳に出かけてしまいました。やり過ぎかなぁと思いつつ、明日は燃え尽き症候群ミニ版にならないようにしたいと思います。夜はとても起きていられず、激しい睡魔に襲われました。もっと書きたいことがあるのですが、今晩はこのへんで止めておきます。