Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 鑑賞・制作とも充実した1ヶ月
    今日で9月が終わりますが、夏季休暇明けの校務が始まっている中で、今月は鑑賞・制作とも充実した1ヶ月だったと思います。まず展覧会は「種村季弘の眼」展(板橋区立美術館)「発掘された日本列島」展(江戸東京博物館)「二科展」(東京国立新美術館)「菱田春草展」(国立近代美術館)「だまし絵Ⅱ」展(Bunkamura)の5つ、そのほか知人の個展やグループ展に行ってきました。映画では「大いなる沈黙へ」(新宿シネマカリテ)「リアリティのダンス」「ホドロフスキーのDUNE」(渋谷アップリング)の3作品を観てきました。鑑賞ではここ数年の中で一番充実した1ヶ月だったと思っています。制作では毎週末に工房に篭って「発掘~群塔~」の第一歩になる陶彫部品の土台を10体作りました。制作目標通りに作業が進められたのも今月が充実していたことを示すものです。「発掘~群塔~」は陶土を使って今月から制作を開始しています。準備は5月から始まっていますが、実際のカタチになっているのは今月からです。制作サイクルを確立しながら今後も進めていきたいと思います。RECORDは象徴的な図柄ばかりで、先月のアンコール遺跡をテーマにした具象的傾向とは打って変わった作風になりました。読書は相変わらず大著「存在と時間」に挑んでいますが、先日NOTE(ブログ)にアップした通り、著者ハイデガーの人間性に着目した書籍を読みました。来月もこの調子でいこうと思っています。
    「アーレントとハイデガー」読後感
    「アーレントとハイデガー」(エルジビェータ・エティンガー著 大島かおり訳 みすず書房)を読み終えました。本書は20世紀を代表する哲学者M・ハイデガーと彼に師事したH・アーレントに関する1920年代からアーレントが没する1975年まで2人の関係を描いた小冊子ですが、出版後の反響はかなりあったようです。2人の間で交わされた往復書簡が未公開だったことや、哲学者同士の関係を低俗なメロドラマにしてしまった批判など様々な論争がありました。訳者あとがきにある「思想家の秘められた私的な行為や人間関係はそもそもその人の思想とどこまで関係づけて見られるべきものなのか、偉大な思想家にもひそんでいるだろう人間的弱さや傲慢さや醜さは、その人の思想そのものの評価とは切り離して考慮されるのが妥当なのか」という問いかけが本書を締め括る訳者からの言葉になっています。文中からそうした内容を拾ってみます。「ハイデガーは情事をはじめたとき、アーレントへの最初の手紙から明らかに見てとれるように、先見の明をもって彼女の教師としての自分の立場と成熟した歳の重みを利用し、少なくともある程度は、彼女のうぶな心と、彼の知性や男らしさが彼女にとってもつ圧倒的な魅力を、計算に入れていた。」「どう見てもハイデガーは、少なくとも因襲的な意味では攻撃的な男ではなかった。しかし自分の家庭と履歴を危険にさらすことも辞さずにハンナを追い求めた彼の姿勢は、力ずくの自己中心的な性質と、無慈悲にも狡猾になれる能力とを示している。」そのうちナチスが台頭し、アーレントは米国に亡命します。ハイデガーはナチ党に入り、悪名高い学長演説を行っていきます。「ハイデガーは妻の協力のもとに、ナチ・ドイツでの彼の十二年間記録を弁護し正当化すること、というよりむしろ人生のその時期を再解釈し、書き変え、再創作することに没頭した。」「ハイデガーは自分の過去を改変したかっただけでなく、賞賛と崇敬も欲しかった。」ユダヤ人であり、米国在住の著名な学者となっていたハンナ・アーレントは、それでも民族やイデオロギーを超えてハイデガーを擁護していました。そこに理解が及ばない研究者がいても不思議ではありません。最後にアーレントの心境を描いた一文があります。「彼に『誠実でありつづけるとともに不実でもあった』、そしてそのどちらも『愛ゆえ』であった、そういうアーレントを、彼は知らないままだったのである。」
    週末 意欲と疲労
    今月の制作目標である陶彫部品の土台部分が10体完成しました。朝から夕方まで工房に篭り、午後4時近くになって何とか10体目を終えることが出来ました。長い制作工程からすれば初めの一歩ですが、この積み重ねが大切なのです。週末の制作は精根尽きるまでやってしまうので、日曜日の夜は筋肉疲労でヘトヘトです。土曜日の夜に、自分は10年以上も前から近隣のスポーツ施設で水泳をやる習慣があって、その疲れも重なっているのかもしれません。二束の草鞋生活が始まって以来、週末は彫刻家として仕事をしていて、精神を研ぎ澄ませ、内面を突き詰めていくことを信条としています。その振り戻しが自宅に帰ってから、心身共にきているのかもしれませんが、自分にはわかりません。筋肉疲労が溜まっていることくらい自覚できますが、心の負担はどうなっているのでしょうか。自分には通常のストレスはないと思っています。ストレスがあれば疲労で意欲が萎えてしまうところですが、今の自分は疲労があっても創作意欲が増すばかりで、来週末を楽しみにしています。きっと今日よりも来週末は上手くいくだろうと信じています。疲労を上手に解消しながらやっていくしかないと思っています。
    週末 金木犀匂いたる工房にて
    週末になると朝から工房で制作三昧になります。今日は涼風が立ち、創作活動にはちょうどいい気候になったと思いました。秋は湿度が低くなり、爽やかな空気に覆われます。このところ中国籍の若いアーティストが工房にやってきて、私と制作時間を共有しています。彼女が今日の工房は金木犀の匂いがすると言っていました。工房は造園業をやっていた亡父の残した植木畑の中にあります。工房のガレージ側に桃や木蓮があり、西側には梅の大木、東側に紅葉の老木があります。金木犀は南に面した窓から見えるところにあります。木々に囲まれた工房は常に緑に溢れていて、創作活動をする環境としては抜群ではないかと自負しています。金木犀は香しき匂いを風に乗せて工房に運んできていました。彼女は生まれ育った山東省の自宅の近くに大きな金木犀があったと言っていました。その匂いで故郷を思い出していたのかもしれません。中国では巨木が多いけど、日本は庭師がいて手入れをするから木々を大きくしないようにしていると感想を漏らしていました。工房内では、暑くもなく寒くもない今が一番作業が進む時期なので、集中力が途切れるまで頑張っていました。陶彫部品の10体がもうすぐ終わるので、これが済めば予定通りの制作工程になります。明日も頑張ります。
    渋谷の「だまし絵 Ⅱ」展
    先日、渋谷のミニシアターへ行った折、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「だまし絵 Ⅱ」展を見てきました。だまし絵と言えば思い出すのが、20代の頃の話ですが、滞欧中に見たG・アルチンボルドの果物や樹木を使った人の横顔で、その精巧な油彩画に驚いてウィーン美術史美術館に通った記憶です。今回の展覧会にもアルチンボルドの「司書」等が来ていて嬉しく思いました。芸術の虚構性はどの作品にもあるものですが、この展覧会は眼の錯覚を促す詐欺的な楽しさに溢れていました。イスラエルのD・ローズィンの「木の鏡」は、小さな板を基盤状に敷き詰め、観ている自分の陰影をカメラとモーターによって木片が動いて作り出すもので、ハイテク技術と木という素材が織り成す不思議な世界が出現されていました。高松次郎やL・ケイガンの影を使ったトリックも楽しいものでした。