2014.05.28 Wednesday
創作活動には思索とその具現化のための制作があります。思索は自分の脳裏に刻まれた知識や経験の中からイメージとして湧き上がるカタチに意義を与えるものです。イメージは訓練によって培われると自分は信じています。そうした一切のことは日常から非日常に至る自分の視取る振幅の大きさによると考えています。非日常を感じ取り易い方法として、気軽に出来ることは美術品の鑑賞です。美術館やギャラリーに行って作品を見る、次に作品から何かを感じ取る、これが鑑賞の第一歩です。自分の感情の襞に引っかかる作品もあれば、どう見ても退屈を覚える作品もあります。その作品選択こそが自分らしさを捉える方法と自分は考えています。自分の好きなものは何かという自己発見に繋がるからです。そこまでで心の潤いを得られるのが鑑賞です。この作品に出会えて良かったと思える一瞬があれば、それはもう珠玉の鑑賞と言えるでしょう。批評はそこから一歩も二歩も奥に入り、自分なりの解釈を加え、新たな鑑賞の方法を示唆するものです。そのための薀蓄や発想も必要です。言わば作品を媒体にした創作行為とも考えられます。優れた批評は、総括的な全体の中で緻密な部分が織り成す気迫の篭ったデッサンを見ているような感想を持ちます。どんなに心動かされる作品にあっても自分は批評まで辿り着くことが出来ません。単なる鑑賞で充分満足し、それを糧にして創作活動に繋げていけると現在思っているからです。作家と評論家は役どころが違うと思っている節が自分にはあります。
2014.05.27 Tuesday
「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 藤原書店)を読み終えました。「1861ー1945」という副題が示す通り、本書は19世紀から20世紀の第二次世界大戦が終わるまでのドイツの首都ベルリンにおける実情を伝えています。描かれる大都市の変遷は多義にわたり、政治・経済・文化を網羅していますが、日本人留学生の関わりが大きなテーマになっています。大勢の留学生がこの時代にベルリンにいたという事実に驚きました。ヒトラー政権が台頭するベルリンの様子を、同盟国だった日本人が内部から描いていること、日本人もそれぞれの分野で異なった見解をもっているものの、逼迫した現状に閉塞感を抱きながら生活していたことがよく分かりました。都市の構造からすれば、ベルリンはパリやロンドンのような歴史的情緒に欠けている嫌いもあったようですが、機能性に優れた公共建築を彼の地で生活した日本人が評価しています。私はバウハウスやシュトゥルム画廊のことが記載されている箇所が気に入りました。20代の頃、私はウィーンに5年間住んでいましたが、当時の西ベルリンは東ドイツにあり、陸の孤島とも言われていて、結局行かずに帰国してしまいました。ドイツが統一され、今一番行って見たい都市がベルリンです。機会があれば訪れたいと思っています。
2014.05.26 Monday
「変身」(カフカ著 高橋義孝訳 新潮社)を読み終えました。2泊3日の出張に携帯した文庫本ですが、往復新幹線の車中で読み終えることが出来ました。中学生の時に初めて手に取った文庫本でしたが、主人公が遭遇した不思議な状況に帰結感がないまま終わる本書に納得できず、当然カフカが生きた時代背景もわからず、理解が覚束ないまま忘れかけていたのでした。40数年を経た現在の自分の視点は、カフカの自白とも思える内省に他の登場人物の心理が交差して、短いながら凝縮した世界に惹かれました。中学生時代に遡ると、こんな状況にあって何故家族が騒ぎ立てないのか、マスコミや研究者が突如虫になった男の原因解明に努めないのか、それどころか主人公を隠蔽して家族が通常の日常生活を送っていられる不条理に悩んでしまいました。単純でない謎解きが落としていった波紋が広がり、やがて自分の専門となる美術の方面から表現主義の興った時代状況を把握し、おまけに20代後半で滞欧生活を送って、初めて絡んだ紐が解けていくように感じました。ただ、変身したものが虫であったという意図、その究極のところが今でもわかりませんが、世情の不安からくるギクシャクした心理表現は十分に伝わりました。
2014.05.25 Sunday
出張最終日となり、今日は奈良に行きました。久しぶりに訪れた奈良公園は相変わらず観光客が大勢いました。仕事の合間に戒壇院に行き、四天王像を見てきました。塑造された勇猛な姿に暫し時を忘れました。奈良国立博物館で「鎌倉の仏像」と題する展覧会を開催されていたので、ここも見てきました。自分は神奈川県に住んでいるにも関わらず、鎌倉時代の仏像がまとまって見られるとあって、いい機会を頂いたと思いました。鎌倉時代の武家文化の特徴は質実剛健であり、写実性が重んじられたことが有名です。運慶・快慶を中心とするリアリズムの追求があり、とりわけ肖像彫刻に見られる人物の風貌に驚くべき迫真性を感じました。頂相(ちんそう)とは禅僧の肖像画を指す語で、やがて彫像も指すようになり頂相彫刻と呼ばれたようです。自分は20代初めに大学で人体塑造を学びました。所謂西洋彫刻の神髄を学習していた訳で、飛鳥時代から始まる仏像とは異なる表現形式でした。それが鎌倉時代で写実表現になり、自分の感覚が刺激されました。私は運慶・快慶を窓口にして仏像彫刻に興味を持ったと言っても差し支えありません。そんなことを思いながら「鎌倉の仏像」展を見て回りました。
2014.05.24 Saturday
2泊3日の関西出張の2日目です。仕事の合間に平安神宮の近くにある京都市美術館で開催されている「高橋秀 気への形象」展を見てきました。高橋秀氏は早くから安井賞画家として出発し、長きに渡ってイタリアに在住していた画家で、私も学生時代から抽象的な画風を知っていました。オリジナル作品を観るのは今回が初めてでした。大画面に単純明快な構成とよく練られた色彩。最近作は金箔・銀箔を多用し、そこにドリッピングしたアクリル絵の具を用いて、どちらかというと日本の伝統的な感性を刺激する要素に溢れた作品群でした。厚板を加工し、そこにカンバスを張って大きな画面を作って平塗りを施す、という制作工程は絵画というよりレリーフに近いもので、筆致を排除した乾いた潔さを感じさせてくれます。イタリアの風土からの影響もあるかもしれません。陽のあたる道を邁進してきた84歳の現役画家の枯れることのない豊潤な世界を今日は堪能しました。