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  • 2020東京オリンピックに思うこと
    今日で9月が終わります。今月のトップ記事は7日に決まった2020年東京オリンピック開催決定でしょう。思えば1964年の東京オリンピックは、自分はまだ子供で、煌びやかだった開催式や東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールの決勝をテレビで見ていました。こんなことは一生に一度しかないと祖父や父が言っていたのを思い出しました。祖父も父も亡くなりましたが、東京オリンピックは再度やってきます。7年後には自分は公務員を退職し、自由な身になっていると思います。オリンピックを競技場で実際に見たいなぁと家内と話しています。その時どんなスター選手が登場しているのでしょうか。東京は周辺も含めて都市環境が生まれ変わっているのでしょうか。自分はどんな生活を送っているのでしょうか。彫刻で自分が思うような表現が出来ているのでしょうか。7年後はすぐにやってきます。人生目標を立てるのに都合の良い期間です。オリンピックまでに自分はこうなっていたいという実現可能目標を掲げてやっていこうと決めました。
    週末 RECORD撮影日
    例年5月に個展用の図録撮影がありますが、陶彫作品だけでなく、自分にはRECORDと称するポストカード大の平面作品があります。毎晩自宅で作っている小さな作品ですが、塵も積もればの感があって作品点数はかなりの量になっています。今日は懇意にしているカメラマンがやってきて、RECORDの撮影になりました。まとめて撮影し、ホームページにアップしていきます。同じ創作活動でも彫刻制作とRECORD制作は、作品に向かう気持ちが異なります。彫刻は制作スパンが長く、陶土や木材との対話を楽しみながら、制作工程を横目で見つつ、年間を通して作っていくものです。RECORDは一日で作ります。原則的には構想から下書き、彩色、仕上げまでを2時間程度でやります。彩色は週末にまとめることもあり、仕上げが前後することもありますが、基本は一日1点ずつ作っていくものです。彫刻一年、RECORD一日、これが今のところ自分の創作活動の全てです。RECORD撮影でデジタルデータとして残していただき、ホームページで見られるようにしているのは自分にとっても先行きを考えるうえで有効です。彫刻だけでなく、RECORDも過去のオリジナル作品を見るために保管箱を探さなくてはならないので、ホームページの気軽さを思わないではいられません。
    週末 陶彫の頑張りどころ
    朝夕めっきり涼しくなり、ようやく秋がやってきました。制作には絶好の季節到来で、ここが頑張りどころです。前回NOTE(ブログ)に書いた制作サイクルは順調に滑り出し、昨晩タタラにしておいた陶土10枚を使って、今朝から成形に入りました。塔の新作は彫り込み加飾に時間がかかるため、陶土の乾燥を見ながら成形し、そこに水を吹きかけてビニールで梱包しておきます。陶板を表面は柔らかく内部はやや乾燥気味にしておく必要があるのです。梅雨の季節はその兼ね合いが上手くいきますが、空気が乾燥してくる秋は油断できません。工房では個展搬入が間近に迫っている若いスタッフが朝から制作をしていたので、自分も負けじと気持ちを高めながら、朝から夜まで制作に励みました。若いスタッフの出入りは、自作の手伝いだけではなく、各自それぞれが制作をすることで社会的促進が生まれることが大きいと思っています。言わば美大の工房と同じ空気が流れているような錯覚をもてるのが良いなぁと思っています。明日も制作続行です。制作サイクルで言えば、明日は次回の土練までやってしまう予定です。
    工房に潜む魔力
    ウィークディの夜の制作は気分的にはシンドいものがあります。仕事から帰って、くつろぎたい気分になっているところで工房に出かけるのは精神的には大変です。夕食後になって工房に行こうかどうしようか迷うところですが、思い切って工房に足を踏み入れてしまうと、作品の磁力に引っ張られるように制作に没頭してしまうのです。夜の工房は周囲が暗く、照明の光は時に集中力を高めます。成形のようなアクティブな行為には向きませんが、細かい彫り込み加飾には最適な環境です。工房には創作魔が潜んでいて、自分に乗り移っているのではないかと疑うことさえあります。身体はヘトヘトだし、おまけに自宅に戻ってからRECORDやNOTE(ブログ)を書かなければならないので、工房の夜の制作は長く続きませんが、意欲が萎えず集中して制作が出来るのはどういうことでしょうか。毎晩は無理ですが、身体が保つなら可能な限り工房に行って、工房に潜む魔力の虜になりたいと思っています。
    前期式枯山水と後期式枯山水
    日本庭園を鑑賞する時、自分は全ての枯山水を同一視していましたが、「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)を読んでいるうちに枯山水の歴史に触れ、時代とともに枯山水の形式が移り変わってきたことを知りました。前期式枯山水は平安時代、後期式枯山水は鎌倉時代から室町時代に至っており、自分の美意識に刺激を与える枯山水は室町時代末期に作庭されたものが多いことに気付かされました。本書の文中では「前期式枯山水は~略~池や遺水に直接関係のない石組本位の庭が指されていて、いわば独立した庭園ではなく、まだ池泉庭園や、遺水の庭園が全盛を極めていた時代において~略~(池泉に直接関係のない場所に)築山などが軽く作られた場合」のことを前期式と定義しています。「石庭に興味がもたれ、それが墨画としての山水画に影響され、又はそれが禅宗教義にも、武家好みにも投じるところから、水を全然用いない庭園が出現し、石を主題として、これに白砂などを敷き詰め、枯れた庭という意味から、白砂を水に見立てて、仮の庭とする結果」が後期式となります。有名な竜安寺石庭は後期式枯山水という訳で、模擬風景を創作したところに、現代における場の彫刻や空間造形に通じる概念があるとも考えられます。自分の亡父が造園を生業にしていただけに庭園に関する興味は尽きません。