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  • 10月RECORDは「塔」
    新作「発掘~層塔~」を作り始めているせいか、いつも塔のイメージが脳裏を過ります。「発掘~層塔~」のイメージは固まっていますが、塔には様々な形態があり、また造形的刺激を受ける建造物も多いのです。塔は見上げると天に近い崇高な雰囲気や、頂上に登れば周囲を俯瞰できることがあって、軍事的必要性や宗教的意図もあったと思います。西欧で暮らしていた若い頃に、どの街にも広場があり、広場に面したところに寺院や教会の塔が建っていることが、街を散策する上での目印にしていました。街の周囲を囲む堅牢な石壁と中央に位置する塔のある都市構造が、たとえそれが幾多の戦争により必然としての戦時体制を物語っていたとしても、日本人の自分には美しい都市景観として眼に映りました。そんな訳で今月のRECORDのテーマを「塔」にしました。世界に残る様々な塔建築をイメージの基盤に据えて、さらに幻想を膨らませ、日々小さな作品をやっていきたいと思います。
    「発掘~層塔~」制作に向けて
    塔のイメージが頭を過ったのは今年初めの頃でした。まだ「発掘~地殻~」の制作が佳境に入っていて木材に鑿を振っていた時でした。こんな時にどうして別の作品のことが頭に浮かぶのか自分でも理解できませんが、ひとつ作品を完成させ、順序良く次作に取りかかることは今まで一度もなく、現行の制作に苦しみながら模索を続けている時に、突如新たなイメージが降ってきて、急き立てられるように新作への導入が始まってしまいます。私はいつもイメージを先行させるため、今まで培った技法が役に立たない場合があります。曖昧なイメージを具現化するために何をするか、構造体をどの素材を使って作るのか、基盤にするものはあっても前作と表現方法が変わるので、毎回新しい課題に挑むことになります。新作は円錐構造を持つ陶彫集合体をどう作るのか考えました。題名にした層塔とは三重塔や五重塔のような仏塔を総称するものですが、作品に宗教的意図はありません。旧約聖書にあるバベルの塔には驕りを諭す寓話がありますが、「発掘~層塔~」には虚構都市という末路を見据えて、残骸として存在するモノに社会性を込めていて、受け手がそこで何かを感じ取っていただければ幸いと思っています。鑑賞者の解釈に作品を委ねることで、いろいろな感想をいただけることが作者冥利につきると考えているのです。
    私の中のヨーゼフ・ボイス
    現代美術を考える上で、自分の中では知名度ばかりが独り歩きをしていて、作品に込める哲学やその具現化等の実態を知らない巨匠のひとりがドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイスです。私が渡欧した1980年当時はドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーの学内にボイスが主催する自由国際大学がありましたが、ドイツ語に疎かった自分は同大に入ってもボイスの理論を理解できないのではないかと思い、旧態依然とした西欧臭の残るオーストリアに留まることにしたのでした。当時は前衛を体感するというより、日本人である自分の存在を外側から問いたいと考えていて、敢えて保守的な国を選びました。国際的な活躍の場を求めることを渡欧目的とはしていなかった当時の自分は、西欧発信の現代美術には眼を瞑っていました。それでも時として現代の芸術情勢を知りたくなって、前衛的な作品を扱う画廊に立ち寄ることもありました。ボイスの作品は厚手のフェルトが置かれた空間があったり、チョークで書かれたドイツ語の黒板があったりして、それらが何を意味しているのか理解できず、ボイス自身が行うパフォーマンスを見なければ、自分の中のボイス観が始まらないと思っていたのでした。今回読み始めたボイスに関する書籍「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)は、自分にとって初めてのボイス論です。ボイスが世を去ってから知る芸術哲学、遅ればせながらボイスの存在を心に刻みたいと思っています。
    「ヨーゼフ・ボイスの足型」を読み始める
    ドイツの現代芸術家であった故ヨーゼフ・ボイス関連の書籍を読むのは初めてです。自分の中での巨匠との関わりは別の機会に書きますが、実績を知りたい芸術家のひとりであったので、「ヨーゼフ・ボイスの足型」(若江漢字 酒井忠康共著 みすず書房)を購入して読むことにしました。本書はヨーゼフ・ボイスの足型を石膏で取ったことに大きな意義があり、そのエピソードが語られています。仏教伝来の国々には仏足があり、米国ではハリウッドスターの手形があって、有名人の身体の一部を後世に残す行為は各国にあります。社会活動家でもあったボイスの足型は面白い発想だと思いました。本書のボイスのプロフィールによると、ボイスは1921年生まれで1986年に没しています。享年65歳。「戦時中、搭乗した飛行機がロシア軍の迎撃により墜落し重傷を負った経験を元に、脂肪やフェルトを用いた前衛的な作品を制作する。~以下略~」とあり、前衛思想の中に個人的体験としての素材選択があると思われます。妙に人間臭い面が感じられるカリスマの生涯とエピソードを楽しみながら読んでいきたいと思います。
    週末 制作サイクル遂行
    来週の三連休に仕事が入っているため、今週末は出来る限り、新作の陶彫制作を進めていこうと思っていました。先週のウィークディの夜も工房に通っていて、夜にも関わらずタタラや成形をやっていました。これは制作サイクルの辻褄合わせで、三連休に時間が取れない分をウィークディや今週末でやろうとしているのです。なかなか厳しい措置ですが、意欲が打ち克っているので、今のところは何とかやっていけそうです。今日もギリギリまで頑張っていました。彫刻は精神の産物だとつくづく思うのは、制作時間が長くなると肉体より頭脳がつらくなることです。頭の中がまわらなくなるのです。ただ身体だけを動かしている労働より、頭の中でイメージを辿りつつ制作する方が疲れます。それは作業全般に亘って神経を使うためで、フォルムに緊張感が出たり、逆に緩慢になったりするのは精神の成せる業ではないかと思うのです。緊張感や集中力を伴うと自分は歯を食いしばる癖があって、顎が疲れているのに気づくことがあります。8時間を超えると身体の疲れが顕著です。そこを突破するためには心の修練が必要なのかもしれません。短期決戦では作れない彫刻は、一気呵成に行うことが出来ず、緊張感や集中力を維持していく必要があるので、心の持ちようが出来不出来を決めると思います。ミケランジェロがどの芸術よりも彫刻表現を優位と見なしていたと、ある書籍で読んだことがありましたが、わかるような気がします。ひとまず今日は朝から始めた陶彫制作を8時間を超えた夕方6時に止めることにしました。秋の日は釣瓶落としで工房の周囲は真っ暗になっていました。