2013.10.30 Wednesday
「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読み始めました。本書は2009年に水戸芸術館現代美術センターで企画された展覧会の図録で、先日書店で購入したものです。購入した理由は本書の中に「ヨーゼフ・ボイス関連用語集」が収められていたからです。参考資料として50音順で並べられたボイスを巡る概念は、ボイス理解に大変役に立ちます。本書の主たるところでは、さまざまな分野で活躍する人がボイスとの関わりを述べています。そうした多角的な視点からボイスを浮かび上がらせることが本書のねらいであり、水戸芸術館現代美術センターで開催された展覧会を思い起こさせるものと思います。自分は同展も西武美術館で行ったアクションも見ていなかったので、本書に頼ってボイスの活動に思いを馳せるしかありません。加えて自分が今後読みたい書籍にニーチェとシュタイナーがあります。ボイスから端を発し、それら思想体系に触れてみたいと思っています。ボイス理解のために読むのではなく、ボイスから離れて、自分の思索上の興味関心から読もうと思っています。また、通勤の友が出来たので楽しみたいと思います。
2013.10.29 Tuesday
「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)を読み終えました。ヨーゼフ・ボイスの生涯に亘る活動を要領よくまとめられている本書は、自分にとってボイスというカリスマを知る良い契機となりました。遅ればせながら自分もボイスの存在の大きさをようやく認識しました。「美術家として出発したボイスは、やがて社会彫刻の名の下に社会の改革を唱えるようになった。けれどもそれ以前の制作から、彼にはシュナイダーの霊学に根ざしたメシアの思想が兆していた。僕にはボイスのような巨人の思想をひとつにまとめる意図はさらさらない。むしろそれぞれを開放状態にしておきたい。けれども、ボイスは社会改革のなかにメシア思想を見、メシア思想のなかに社会改革を見ていたとだけは言っておきたい。二つはボイスという人間の、それぞれ心臓であり、肺なのであり、いずれが欠けてもボイスという統一体は存在しえないはずだ。」「社会彫刻を実践するうえで、ボイスは狭い意味での芸術を投げ捨てた。そして『全ての人間は芸術家である』という意味での芸術、すなわち『拡張された芸術概念』を唱えた。けれども、彼は芸術固有の直感、本能の働きこそが、理性主義の世界の陥穽を脱し、人間性を高めるうえで最高の武器となることを他方で強調した。『芸術』の放棄と『芸術』への固執ー。ここには矛盾ではなくして、二つの意味が働く場の違いを見るべきである。」以上2つの引用は、ボイスのボイスたる所以をまとめた箇所です。自分にとって今ひとつしっくりしないのは、ボイスが影響を受けたシュタイナーやニーチェの思想を自分自身よく知らないことです。近いうちにこうした思想をも読み込んでいきたいと考えています。まだ、ヨーゼフ・ボイスに関わり続けていこうと思っています。次の読書もボイス関連の書籍を選びました。
2013.10.28 Monday
今読んでいる「ボイスから始まる」(菅原教夫著 五柳書院)には興味が惹きつけられる箇所がたくさんあります。抜粋すると「ヒトラーとボイスには確かに似ている面がある。前者は第一次大戦がもたらしたドイツの荒廃から現れ、後者は第二次大戦の焦土から立ち上がり、社会を導こうとした。その意味で、いずれもがドイツのカリスマであり、ドイツは常にカリスマを求めてやまない国家である。現代美術がやらなければならないのは、むしろこうしたカリスマへの盲目的信仰に対する批判でなければならないのに、といったボイスに対する批判もそこから出てくるのだが、しかし二人の間には決定的な違いがある。すなわちヒトラーは社会を〈冷やす〉邪悪な父であり、反対にボイスはこれを〈温める〉優しい父である。」「ボイスが主張する社会は、自由で民主的な社会主義の国である。それは西側の資本主義とも、東側の社会主義とも異なり、むしろその間に第三の道を求めていく点で、社会民主主義の理念に近いと言えたかもしれない。」「文化の土台を形作る宗教がキリスト教か、それとも仏教かの問題は、シュタイナーを通じて人智学を知り、宗派を超えた霊性の復活こそを最重要視するボイスには、何の障害にもならなかった。彼はとにかく西洋の文明が物事の分析に終始してきたと批判する。」以上3つの文章を書き出しましたが、いずれもヨーゼフ・ボイスの存在感の大きさを示すもので、一貫性のある内容ではありません。むしろ一貫性をもって語れないところがボイスだなぁと思います。それほどボイスの活動が多義に亘っていた証拠で、極めて振幅が大きい存在に対し、どういう捉え方をしたらいいのか考えているところです。こんな文章もありました。「ボイスを書くことの難しさというか、とまどいは、一つのテーマに絞って書こうとしても、関連するテーマがどんどん芽吹いて枝分かれし、その引力に引っ張られて叙述がさまざまな方向に向かい、全体が混沌としてくることだ。それだけボイスの世界は網目状に方々に通じているということだろう。」
2013.10.27 Sunday
今日も昨日に続き、美術館に出かけました。今日は朝5時に起床、家内と自家用車で一路栃木県へ向かいました。目指したのは足利市立美術館で開催中の「石田徹也展-ノート、夢のしるし」。31歳で夭折した画家石田徹也は、画集を通して知っていました。オリジナルの作品に触れるのは今回が初めてでした。親近感を抱いたのは自分と同じ大学を出ていたためでしたが、彼は卒業後10年もしないうちに踏切事故で亡くなったのでした。描いた世界は日常の中に潜む不条理を伴ったトラウマとも社会的抑圧とも取れるものです。一度見たら忘れられなくなる世界です。詳しい感想は別の機会を持ちますが、絵画のインパクトの強さに自分が吸い取られていくのを感じました。足利市街には朝8時頃到着したので、足利市立美術館が開くまでの間、足利学校を見て回りました。泉水庭園が美しく、また再現された昔を物語る建造物の中で、ゆったりした時間を過ごしました。その後、美術館で2時間ほど過ごし、帰りがけに栗田美術館にも立ち寄りました。伊万里や鍋島の秀作を並べた美術館でしたが、その敷地の広大さに驚きました。木立のある庭園が美しく、ここでもゆったりと過ごすことができました。今日は充実した一日を足利で過ごし、夕方になって横浜に帰ってきました。台風一過で天候に恵まれ、また久しぶりのドライブで満足しました。
2013.10.26 Saturday
今週末は2日間とも展覧会を巡ります。秋は見たい展覧会が目白押しなので、制作を中断して出かける予定を立てました。今日は東京汐留ミュージアムで開催中の「モローとルオー」展、それから工房に出入りしている美大生の個展に行ってきました。制作も休むわけにはいかないので、朝7時から10時半まで集中して制作しました。陶彫部品を数多く作らなければならない状況はよくわかっているくせに、展覧会に行く予定を入れてしまうのは、どういうわけか自分でもよくわかりませんが、敢えて苦しい状況を作って自分を追い込んでいるのかもしれません。余裕のある中で緊張感に溢れた作品は出来ないと思っているところが自分にはあるのです。汐留ミュージアムは企画が良いので、企業が経営する美術館としてはよく出かける美術館のひとつです。「モローとルオー」展も楽しく見ました。ギュスターヴ・モローとジョルジュ・ルオーは師弟関係にあって、ともに影響し合いながら生きた象徴主義の画家です。詳しい感想は機会を改めますが、色彩豊かな画面に魅了されました。それから浅草橋に向かい、同地の倉庫ギャラリーで個展を開催している美大生に会って来ました。工芸工業デザイン学科でテキスタイルを学んでいる彼女は、板染めという技法を駆使して、滲みが生んだ不思議で美しい世界を作り上げていました。20歳そこそこの若さで完成度の高い作品を創りあげた実力に驚きました。これからの展開が楽しみです。明日は栃木県に行って、待望の展覧会を見てくる予定です。