2013.11.19 Tuesday
「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)を全て読んだところで、ニーチェとはどんな人物だったのか、ニーチェにとって哲学とは何だったのかと知りたいと思うようになりました。「悲劇の誕生」は体系的な学問と言うより、むしろ散文を読んでいるような感覚を持つのは私だけでしょうか。自由記述的で魅力的な言い回しは、天性なのか、敢えて豊富な知識の中から掻い摘んで個性的な表現をしているのか定かでないところが散見されます。面白さで言ったらこれほど面白い哲学的読み物はないと思います。これが学問としての文献学的体裁を作っているものではないと、他書からの情報にありましたが、自分も同じ感想を持ちました。ただ、全てがニーチェ流解釈で進んでいく本書は比類ないものであることは疑う余地はありません。本書が出版された当時、学者達からは黙殺され、また相当な批判を浴びたことは自分も頷けるようになりました。ただ、ニーチェの問題提起力は物凄いパワーがあって自分も惹きこまれてしまいました。今流行りの暴露本のようにも思えてきます。これが24歳の処女作であれば、晩年の「ツラトゥストラはかく語りき」はどんな内容なのか、これもいずれ読んでみたいと思っています。ニーチェは継続して読むことは避けようと思います。放射するパワーを自分の中で一旦保留して仕切り直しをしたいと思います。
2013.11.18 Monday
RECORDはポストカード大の平面作品を一日1点ずつ作っていく文字通りRECORD(記録)の総称です。オリジナル作品の展示発表は、2008年に旧横浜市教育文化センター1階の市民ギャラリーにおいて、1年間分を12枚のパネルにしてお見せしたことがあります。展示準備の作業はなかなか大変でしたが、それからオリジナル作品の発表の機会に恵まれず、以後はカメラマンが1点ずつまとめて撮影し、デジタル画像としてホームページにアップしているのです。オリジナル作品は2ヶ月分をまとめて保存用ケースに入れて工房の棚に仕舞い込んでいます。ケース毎に乾燥材を入れているので、乾燥材を交換する時に過去の作品を確認しています。〇年〇月〇日制作の作品が見たいと思っても探すのに手間がかかります。デジタル画像がホームページで見られるのは大変便利で、言うなれば24時間ウェヴギャラリーで発表していることになります。今回2011年の4月に制作したRECORDをホームページにアップしました。ご高覧頂ければ幸いです。なお、ホームページにはこのNOTEの左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。
2013.11.17 Sunday
今日は制作三昧の一日でした。昨日の制作サイクルの遅れがあって、何とか挽回しようと頑張りました。今年初めての窯入れを先週行い、上手く焼成できていたので安心しました。それならば今までの制作サイクルに焼成サイクルを合致させて、土練から焼成までの全工程を一連の流れに組み込もうと思います。問題は窯入れをしてしまうと電力の関係で、焼成中は照明その他の電気が使えなくなることです。日曜日の夜に窯入れをすると、次の窯入れは水曜日になり、結局ウィークディは工房での作業は出来ません。今までは二束の草鞋生活の利点を生かした工程でしたが、昨年と今年は陶彫部品の制作量が違っているので、これで間に合うかどうか心配になります。でも、全工程が流れるようにサイクル化しようとすると、これが最善というしかありません。昨年や一昨年のようなやり直しがなければ、部品数が多くても何とかなりそうですが、創作活動である以上何があるかわかりません。その時はその時で無理して対処するだろうことはわかっています。そこに爆発するような意欲や緊張が生まれることも事実です。今のうちはともかく計画通りに進めていき、作品全体の視点は予感の中に仕舞い込んでおこうと思っています。
2013.11.16 Saturday
今日は職場の若い男性が結婚式を挙げ、職場を代表して数人で挙式に参列しました。川崎駅前のモダンなイタリア料理店で披露宴があり、楽しいひと時を堪能しました。人と人の縁は偶然もあって不思議なものだと感じました。職場には若い世代の人たちが増え、久しぶりに喜ばしい席に招かれたことを嬉しく思います。最近は挙式をせず、入籍を済ませるだけの人が増えていますが、自分は周囲に認めてもらうために挙式はした方がいいと思っています。結婚式は自分たちのためでなく周囲の人たちのためにするんだと、自分の結婚式の際に言ってくれた人がいました。その通りだと思っています。私は今日の予定を結婚式の他に制作も入れていましたが、夕方自宅に帰ってくると、些か疲れて工房に行くのが億劫になりました。それでも夜になって工房に行って2時間ほど制作をしてきました。明日は朝から制作三昧を決め込んでいます。
2013.11.15 Friday
「悲劇の誕生から死、そして再生」という表題を掲げましたが、現在読んでいる「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)にこんな文章があります。「ギリシャ悲劇の発生史は、ギリシャ人の悲劇的芸術作品が実際に音楽の精髄から生まれ出たことを、はっきりわれわれに語っているのである。またそう考え始めて、合唱団の根源の意味、まことに驚嘆すべきその意味も正しくつかめたことになると、われわれは思うのである。」という箇所は悲劇の誕生を要約しています。続く文章でソクラテスの芸術に対する対蹠的関係があって悲劇が死を迎える箇所を描いています。「われわれが当面する問題は、その対抗作用によって悲劇を滅ぼしたあの力が、いつの時代でも、悲劇ならびに悲劇的世界観が芸術的にふたたびめざめることを防げるほどの強さを持っているかどうかということだ。古代の悲劇は、知識ならびに科学の楽天主義に対する弁証法的衝動によって、その軌道から押し出されてしまったのであるが、われわれはこの事実から、理論的世界観と悲劇的世界観が永遠に戦うものであるという結論を引き出すことができよう。」さらにその先に続く文章では芸術の再生となるドイツ音楽や哲学について書かれています。「ドイツ音楽こそ、あらゆるわれわれの文化のただ中で、唯一に純粋清浄な、しかも浄化するはたらきをもった火の精だからだ。~略~われわれがこんにち文化・教養・文明と呼ぶすべてのものは、いつかこの誤ることのない審判者ディオニュソスの前に立たねばならないだろう。~略~同じ源泉から流れ出たドイツ哲学の精神に、どういうことができたかを思い出してみよう。科学的ソクラテス主義の満足した存在のよろこびを、カントとショーペンハウアーはその限界を指摘することで否定したのである。またこの指摘によって、われわれがまさに概念的に把握されたディオニュソス的知恵と呼びうるような見方、倫理的問題や芸術に対する無限に深く無限にまじめな見方がみちびき入れられたのである。」ギリシャ文化からドイツに飛躍して、ドイツ音楽の優越性を表明している箇所です。思想史として見れば甚だ偏った見方とも言えますが、問題提示の大家であったニーチェをよく表しているところでもあります。