Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 制作集中&黄金町ライブへ
    今日は朝から工房に篭って制作に集中しました。遅れ気味の制作サイクルを端折って土練からタタラ成形までを一気にやったせいか、冬なのに額から汗が流れました。作品は精神の産物だとつくづく思うこの頃ですが、今日の午後4時までは周囲が見えなくなるほど制作に没頭し、身体中に疲労を感じたのは夕方遅くなってからでした。視界に陶土しか入らない時間帯が数時間ありました。明日もこの調子で頑張りたいと思います。今日の夜は恒例になっている横浜の黄金町の「視聴室」にライブを聴きに行きました。家内の従兄弟が弾き語りをやっているのです。もう何回ここに足を運んだことでしょう。40分程度の弾き語りですが、歌も交えて楽しいひと時になりました。やはり生演奏はいいものだなぁと思いました。弾き語りで元気をもらって、明日も制作に没頭したいと思います。
    終焉までの道のり
    現在哲学書を読み耽っているので、こんなことをテーマにしたわけではありませんが、どんなに贖ってもどんなに嫌がっても人には必ず死が訪れます。死を終焉として意識するのは動物の中で唯一理性をもつ人間だけです。そのせいで人は儚い運命を受け入れ、かかる時間を人によっては芸術に費やしたり、宗教に救済を求めているのではないかと思うのです。最後の日はいつ訪れるのか誰にもわかりません。終焉が近づくと、きっと自分だけには予感があるのかもしれないと思うことがあります。芸術家が残した絶作を見ると、不思議なことに最後の雰囲気が漂っているからです。生命の一滴を作品に込めて旅立っていく情景が伝わります。ところで自分は彫刻を作りながら今は哲学書を漁っています。これは何がしか自分の人生との因果関係があるのかもしれないと思っています。決して意図してやっている訳ではありませんが、人が限りある生命を生きていくために、また刻一刻と終焉に向かって生きている現状を考えると、自分にとって必要不可欠なものが芸術であり哲学と思うからです。ですが、まだまだ自分は終焉を実感として意識できません。将来を描けているうちは、自分は生きていけるのだと思っています。彫刻はまだ答えが見つからず、哲学は学ぶことに懸命で、本質が自分の中に取り込まれていません。宗教を持たない自分は芸術が全てです。そこに生きる意義を見出し、生きた証を残そうとしています。こんな自分ですから、終焉までの道のりがこれから長くあってほしいと願うばかりです。
    「K・ツィメルマン ピアノリサイタル」
    胡弓奏者である家内は、時に秀逸で豊潤な音楽を聴きたくなるらしく、「クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル」のチケットを予約していたのでした。私は勤務が終わってから、家内と待ち合わせをして、会場である横浜みなとみらいホールに向かいました。演奏が始まると忽ち私はクリスチャン・ツィメルマンが天才肌のピアニストだと感じました。もちろんクオリティを高めるための絶え間ない努力はあると思いますが、音環境が至高に到達しているせいか、聴衆一人ひとりの内面世界に様々なイメージを抱かせているようにも思えます。漣のように、時に怒涛の如く緩急を織り交ぜた曲想がありました。音が連なる流れの中で、自分は眼を瞑っていると西欧の街並みが見えてきて、その構築の中に匂い立つ文化や宗教が立ち現れてくるのをイメージしました。ベートーヴェンの後期3大ピアノソナタという演目が、そうイメージさせたものかもしれません。ピアノソナタ30番、31番、休憩を挟んで32番のみ、アンコール曲はなし。当日配布されたものはパンフレットではなくA4版に演目の印字された白い紙のみ。余分なものは全て削ぎ落として、3曲だけに全てを費やし、それだけで聴衆を魅了し満足させる実力がクリスチャン・ツィメルマンにはあると感じました。音楽に生命を賭けているのでしょう。一人の芸術家が一つの表現に全てを注ぎ込んでいる生きざまを見て、今宵はとても快い気分になりました。
    理性と概念について
    「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)を読んでいると思わず惹きこまれる箇所があります。本書の大きな単元をまとめ上げることは私には到底無理で、気に留まった箇所を抜きだしてまとめていきたいと思います。「人間は現在と同時に未来にも、過去にも生きるのである。動物は瞬間の欲求を満足させている。しかし人間はきわめて技巧的な準備をととのえて、自分の未来を心配するし、それどころか自分の体験できない時代を心配することさえある。動物は瞬間の印象にとらえられ、直観的な動機の影響にすっかり身を奪われている。しかし人間を規定するのは抽象的な概念であって、これは目先のことに左右されない。人間はそれゆえに、よく練られた計画を実行したり、あるいはまた、環境や瞬間の偶然の印象にとらわれることなく、格率に従って行動したりする。だから、例えば従容として自身の死のために精巧な準備のできるのも人間であり、他人には探知できないほどに自分を擬装してみせたり、自分の秘密を墓場まで持っていったりできるのも人間なのである。」動物と人間の相違を述べた箇所ですが、そこに理性や概念が出てきます。「人間が動物にまさっているあの特殊な精神力、『理性』とよばれる精神力から派生したことは、どの時代でも、どの民族でも一致した見解といっていい。人間は誰でもこの能力の現われを認識するすべをもよく心得ている。また、理性が人間のこれとは別の能力や性格とぶつかりながら現われ出てくる場面では、何が理性的であり、何が理性的でないかを言うすべを心得ていよう。」次に概念についての箇所です。「概念は、これまでみてきた直観的な表象とはすっかり種類の違った、独特な一つの部門であって、人間の精神の中にだけ存在している。それゆえ概念の本質に関して、直観的な、厳密に明証的な認識を手に入れることはけっしてできるものではなく、せいぜい抽象的な、論証的な認識しか手に入らない。」以上が理性と概念について書かれたところで、この論考を基に「関係」やら「知」や「情」やらが登場してきます。このまとめは自分が整理するためにやっているようなもので、NOTE(ブログ)にアップするのは甚だ遺憾ではありますが、自分なりのメモとして利用させていただいております。
    12月RECORDは「環」
    2013年の最後を飾るRECORDのテーマを「環」にしました。「環」とは数学的な定義や天文学的な定義があって、コトバそのものを調べると分野外の人間にとっては難解極まるコトバです。RECORDとしては造形的に簡単に考えることにしました。物質の連鎖があって、それらが円を描いて起点に戻ることを「環」の基本テーマにしたいと思います。起点に戻るということが最後の1ヶ月に相応しいかなと思っています。成長があれば初めの起点ではなく、位置としては上のところに戻ってくる、つまり螺旋を描いて戻ってくるのが「環」としての最良のイメージです。同一平面から螺旋までバリエーションを考えながらRECORDを進めたいと思います。今年は漢字一文字による月ごとのテーマを掲げてきましたが、来年はどうしようかとボンヤリ考えています。年間を通して、どんな傾向の作品にするか、これからまず考え始めたいと思います。