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  • 週末 制作に奮闘 遅れ取り戻せず
    昨日は気分転換を図って美術館に出かけたため、制作サイクルが一日遅れました。今日は朝から制作に奮闘しましたが、遅れを取り戻すことは出来ませんでした。焼成サイクルは確実に先に進める方法を取りました。今日の夕方に窯入れし、水曜日には窯出しをして、さらに週末に向けて新たな窯入れをします。焼成は今のところ順調です。これだけが救いです。成形や彫り込み加飾は案外時間がかかるもので、どこまでやるか、どこで良しとするかは自分次第です。諦めずに集中することが当たり前になっているので、時間ばかりがどんどん過ぎていきます。期限までに間に合えば、諦めずに作り込むことは後悔をせずにすみますが、逼迫した状態ではどうなるのか見当がつきません。ともかく週末は頑張って作っていくことしかありません。「発掘~増殖~」は焼成段階にあり、焼成が終わった作品が3点あります。「発掘~層塔~」は陶彫部品の成形が全体の1割程度終わったばかりで、焼成はしていないため未だ先行きが見えない状態です。「陶紋」は成形が4点終わりました。こうして記録していくと今後が苦しいなぁと思います。窯入れしているためウィークディの夜に工房に通うことはできません。週末は大切な時間なので、体調を崩さずにやっていこうと思います。
    週末 気分転換を図る日
    昼間の公務と週末の制作・焼成サイクル、夜毎のRECORD制作とNOTE(ブログ)のアップ、これらの活動を完全に止めることはできませんが、このところ気分転換がしたいと思っていました。思い切ったことは出来ませんが、美術展鑑賞を目的に散策をしてきました。毎回やっている気分転換の方法で変わり映えはしません。でも今はこれで充分満足です。飼い猫のトラ吉も気分転換に役立っていますが、猫にも意志表示があり、こちらの思う通りにはなりません。今日は朝から東京上野の都美術館で開催中の「ターナー展」と「太陽美術展」をまず見てきました。英国が誇る画家ターナーの表現力の凄さに圧倒されました。水を湛えた風景の空気感に感動を覚えました。詳しい感想は後日に改めます。「太陽美術展」は前の職場で一緒だった人が自分と同じ二足の草鞋生活をしていて、毎回具象絵画を出品していて招待状を頂いたのです。ターナーを観た後だったので、正直な批評をすれば画面全体が平板に見えたことが挙げられます。具象絵画には奥行き、空間、さらに空気感が求められると自分は思います。出品している彼に限らず、その公募団体全体がそう見えました。自分のことを棚上げして些か辛口に言いますが、日本人特有の生真面目さはあるものの絵画らしさを感じさせてくれる作品が決して多くないと思ってしまいました。次に東京駅近隣にあるブリヂストン美術館で開催中の「カイユボット展」を見ました。カイユボットの世界も都会的な空気を感じさせてくれる絵画でした。これも詳しい感想は後日にします。ついでに大きな書店に立ち寄って書籍を見て回りました。自宅の書棚に並ぶものはどれも読んだものばかりになったので、そろそろ新しい知識を入手したいと思っていたのです。これも気分転換の一つです。それから地元横浜に戻って、横浜美術館で開催中の「横山大観展」を見ました。洋の東西を問わず絵画には同じ要素が必要だと改めて思いました。これも感想は改めます。今日はターナーといい、カイユボットといい、横山大観といい、画家の知人といい、ともかく絵画表現に接してきました。描かれた対象こそ異なり、また時代も違えど、絵画を鑑賞して満足を得ることは、大変気持ちが良いものだと実感しました。明日は制作に励みたいと思います。制作・焼成サイクルが一日遅れてしまいました。
    霊学と人智学について
    霊学も人智学も聞きなれない学問なので、現在読んでいる「シュタイナーの思想と生涯」(A.Pシェパード著 中村正明訳 青土社)の中に、この学問に関連した箇所を見つけ出し引用することにしました。まず、シュタイナーの自伝から霊視が確認された子供時代のことを抜き出します。「シュタイナー自身が語るところによると、早くも八歳のときから、触るなどの物理的接触ができないという意味で物質界の現実とは異なる現実に、気がついていたという。だが、その現実は物質界の現実とは異なると言っても、いつも変わらぬ完全に客観的な仕方ではっきりと霊視されたので、本物であって幻影ではないという確信が得られた。」次に神智学協会に所属することになったシュタイナーの講演を聞いたフランスの権威シュレーによる感想がありました。「霊界の出来事や現実を描写しているとき、シュタイナーはそれについて何でも知っているように見えた。シュタイナーは描写していたのではなく、この未知の領域の対象や情景を実際に見ていたのであり、ほかの人々にもそれらが見えるようにし、その結果、宇宙的な現象が現実のものだと思えるようにしたのである。シュタイナーの話を聞いていると、その霊視の現実性を疑うことはできなくなる。シュタイナーの霊視能力の届く範囲たるや想像を絶するほどである。」さらに人智学協会を創設したシュタイナーの人智学に関する箇所を抜いてみました。「『知恵』という言葉は常に神の知恵を意味しており、『人智学』という言葉は、人間の真の本質と宇宙にたいする人間の関係を認識してはじめてこの知恵が得られる、ということを示している。さらにこういう意味もある。今までは神の知恵は神の世界そのものによって人間に与えられていたのだが、今では人間自身が、神の恩寵を受けながら、自分を真に理解することによって、地上で生まれた自分の思考を高次の神的知恵に変容させなければならない、というのである。」これだけの抜粋では不十分ですが、本書全体を通して霊学と人智学が網羅されていて、全て読み込まないとわからないというのが今の感想です。
    「石田徹也 創作ノート 夢のしるし」
    ちょいと前になりますが、栃木県の足利美術館に表記の展覧会を見に行きました。創作ノートを掲載した図録を購入してきて、今も折に触れて眺めています。石田徹也は夭折の画家でしたが、どうも腑に落ちないのが31歳の若さで命を落とすことになった踏切事故で、本当に単純な事故だったのかどうかということです。石田徹也は精神を病んでいたようで、踏切事故にはそうした要因もあったのではないかと疑ってしまいます。ともかく石田徹也の世界は強烈なペシミズムに貫かれた具象絵画で、それも現代社会に潜む画一化された功利主義を暴くものです。主となる登場人物は全て自分です。企業戦士の虚無が描かれていますが、履歴からその社会的立場に立ったことが一度もないことがわかっています。むしろ組織的人間を想像で扱ったおかげで管理社会を冷静で透徹した目で描き切れたのではないかとも思います。自分のように組織と個人活動を行ったり来たりするような二足の草鞋人間では、社会を突き放して視ることができません。シュミレーションされた石田自身は次第に擬人化、合体化を繰り返し、笑いやナンセンスの世界にも触手を伸ばしていきます。残された膨大な創作ノートはアイデアやコトバが満載してあって、いろいろな箇所で目が留まります。絵を描き続けて、アイデアを絞って、また絵に没頭して散った31歳の画家。特異な存在はいつまで輝き続けるのか、一時の時代世相か、それとも永遠か、画家の存在の位置が自分にはまだ見えません。
    「シュタイナーの思想と生涯」読み始める
    「シュタイナーの思想と生涯」(A.Pシェパード著 中村正明訳 青土社)を読み始めました。私がルドルフ・シュタイナーを知ったのは学生時代で、最初は曲線を多用した独特な建築ゲーテアヌム(正確には第2ゲーテアヌムでシュタイナー自ら設計した建築物)によって印象づけられましたが、シュタイナーは哲学者であり、教育家であり、シュタイナー教育創立者として日本でもよく知られる存在になりました。その時の自分は彫塑的な建築物を図版で見るだけで、これといったシュタイナー理論を読むことはありませんでした。シュタイナーの生涯の中で重要な意味を持つ人智学という今まで聞いたことのない学問を知ろうと思ったのはつい最近のことです。ヨーゼフ・ボイスに関する書籍を読んだことが契機になりました。本書の目次に霊学というこれも聞きなれない学問があります。シュタイナー自身が著したものを読む前に解説書から入ろうと思ったのは、今まで自分が学んでこなかった学問に対する畏れがあるためです。これで興味が湧けばシュタイナーの著作を読もうと思います。まずは概観を掴むところから始めます。通勤の友は相変わらずドイツ系の哲学者です。