2013.11.09 Saturday
今日は朝から夕方まで工房に篭って制作していました。土練、タタラ、成形、彫り込み加飾を繰り返す制作サイクルの中で、いつから仕上げ工程である化粧掛けや窯入れに入るかを考えながら制作を進めていました。問題は時間の確保です。乾燥した陶彫にヤスリをかけて整ったカタチに仕上げて、そこに化粧掛けを行うためには、まとまった時間が必要です。そろそろ窯入れをやっていかなければなりません。陶彫は窯で焼成して、ようやく完成するからです。今のままでは新作は何一つ出来上がっていないことになります。陶彫は焼成トラブルも考えられるので、早めに焼成をしたいと思っています。焼成には3日間ほど要するので、ウィークディが相応しいのです。月曜日に窯入れして水曜日に出し、そのまま次の作品を窯入れして、金曜日に出すというのが、いわば焼成サイクルです。二束の草鞋生活のため、ウィークディは工房に行けないので窯に任せておくということを昨年もやっていました。昼間、別の仕事に埋没していた方が窯の中が気にならなくてすむのです。現行の制作サイクルに焼成サイクルを組み入れるのは時間的に困難です。制作サイクルを見直さねばならず、日曜日の午後を仕上げ工程にして、その夜に窯に入れておこうと決めました。2日間の制作サイクルを半日削って仕上げ工程を行なくてはならず、かなり厳しい状況になりますが、これは仕方ありません。明日から実行したいと思います。
2013.11.08 Friday
「悲劇の誕生」(ニーチェ著 秋山英夫訳 岩波書店)を読み始めました。哲学者フリードリッヒ・ニーチェは1844年にライプティヒ近郊の村に生まれました。当時はドイツという国ではなくプロイセン王国でした。大学で古典文献学を修めたニーチェは、若くしてバーゼル大学の教授に迎えられますが、24歳で上梓した「悲劇の誕生」が波紋を呼びます。これは古典文献手法を用いず、主観的で学問としての厳密さを欠いているとして当時は散々酷評されたようです。これを読み始めて思ったことは「悲劇の誕生」を書く契機となったショーペンハウワーによる「意志と表象としての世界」をまず読まなければならないと感じたことです。「悲劇の誕生」は、たとえばボイスだったりシュペングラーだったり、他書からの引用があって読み始めましたが、この世界にどんどん深入りしてしまいそうな自分を発見し、ニーチェが「生の無垢」を求めるために「永遠回帰」の思想に到達する過程に、とことん自分は付き合ってしまうかもしれないと感じてしまいました。ニーチェと音楽家リヒャルト・ワーグナーの親密な関係はよく知られていますが、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を立ち上げ、「ニーベルングの指環」を上演すると、ニーチェはそのワーグナーを取り巻くブルジョア社会の卑俗さに失望し、上演途中で退席したようです。その後、ワーグナーと袂を分かつようになります。そんなニーチェが55年の生涯を賭け、常に更新し続けた思想に浸れば浸るほど、哲学的思惟に強からぬ自分は翻弄されるだろうことはよくわかっています。それでもニーチェに暫し付き合おうと決めました。今回の通勤の友は若干手強いかなぁと思っています。
2013.11.07 Thursday
「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読み終えました。ヨーゼフ・ボイス関連の3冊の書籍を読んで、自分も一応ボイスの目指していた「社会彫刻」や「拡張された芸術概念」等について知ることが出来ました。社会を芸術によって変革しようとする試みの理想とするところはよくわかります。それはひとり一人の心の問題としている考え方もわかります。でも自分はミヒャエル・エンデとの対談による考え方の相違に注目しました。「ふたりの相違は『芸術』概念にも顕著である。ボイスが『芸術』概念は人間の営み全般に拡張できると語るのに対して、エンデはあくまで特定の形式をもった『芸術』に固執する。~略~エンデの『芸術』概念は、ボイスのそれに比較すれば一見旧弊である。しかし、伝統的な『芸術』概念を一蹴し、誰もが社会形成に向かうべきだとするボイスの主張は、エンデにはおそらく高圧的に聞こえたであろう。エンデは『なんでも共通分母にそろえたがる』『ドイツ的傾向』を批判しつつ、遠まわしにボイスの主張を非難する。あらゆる人を同じ目標に向かわせる権利など、誰にもない。」自分はエンデの主張に同意します。ボイスの功績の大きさを認めつつ、3冊の書籍から浮かび上がるボイスの思想には、前書籍にあったようなヴァーグナーやヒトラーに比較し得るような体質があるように思えます。これをドイツ的と言い切っていいものかどうかわかりませんが、カリスマであったことだけは間違いなさそうです。次なる通勤の友はニーチェにします。
2013.11.06 Wednesday
このNOTE(ブログ)を含むホームページは、自分にとって造形作品を発信する上で重要なアイテムです。24時間ウェブギャラリーを公開しているので、端末機があればどこでもいつでも見ることが出来ます。ホームページでは野外に立体作品を置いて撮影したLandscape(風景)があって、陶彫による「球体都市」を数点アップしています。そこに新しく「陶紋」を加えました。不思議な空気の中に存在する作品は、表面に施した紋様が画像処理によって強調されています。これは自分のアナログ作品を媒体にしたカメラマンの手によるデジタル作品と呼びたい世界です。作品は出来上がった時点から作者の手を離れ、自らを主張し始めますが、まさにカメラマンの手に委ねられた主張が、完成時とは違う世界を構築していて、自分がハッとさせられる瞬間があります。Landscapeはさまざまな可能性を秘めていると思っているので、今後もどんどん展開していきたい世界です。ホームページには風景があれば記録もあります。Record(記録)は一日1点ずつ作っていく小さな平面作品で、毎年毎月テーマを決めてやっています。ホームページに今回2011年3月分をアップしました。新しくアップしたLandscape&Recordをご覧いただければ幸いです。ホームページには左上にある本サイトをクリックしていただければ入れます。よろしくお願いいたします。
2013.11.05 Tuesday
アンディ・ウォーホルは米国が生んだポップアートのスターで、量産という概念をアートに持ち込んだ芸術家です。「ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命」(水戸芸術館現代美術センター編 フィルムアート社)を読んでいて、ボイスとウォーホルが比較されている箇所があります。別の筆者によるマルセル・デュシャンとの関係もあって、ボイスの位置づけに興味が湧いてきます。「ネオ・ダダやフルクサスが、『レディメイド』作品などによって既成の芸術概念を解体することに力を入れたマルセル・デュシャンの影響を強く受け、『反芸術』路線に拘る傾向があったのに対し、ボイス自身はしだいにデュシャン的なものから距離を取り、ルドルフ・シュタイナーの人智学や、シラーの美的教育論、ノヴァーリスのロマン主義的・魔術的世界観などの影響を背景に、むしろ、人間の内にある創造性を発展させる芸術の社会的役割を強調し、『芸術』概念を拡張するという考え方を追求するようになった。」(仲正昌樹著)「ボイスとウォーホルは、戦後美術を語る時にしばしば対比的に語られる。アメリカの消費社会の表層をひたすら反復しつづけたウォーホルと、ゲルマン的な神話の起源をどこまでも遡行してみせるボイスの作品は、一見すると対極的に感じられるのも無理はない。~略~なによりも異なるのは、ウォーホルが商業や欲望、消費といった領域を核としながら、人間主体よりも機械に傾倒していたのに対し、ボイスは労働や意志、生産という概念に基礎をおき、マルクスのように歴史の主体としての『プロレタリア』と、自らの『ボヘミアン』としての立場を重ね合わせようとしていた点である。」(毛利嘉孝著)ボイスとウォーホルは面識はあったようですが、生前お互いの関係を作る機会はなく、現代美術界の2大巨匠として君臨しています。