2013.03.18 Monday
もうかれこれ30年も前の話です。ウィーン滞在中にイタリアへ何度か旅行しているので生パスタを食べているはずですが、あまり記憶に残っていません。あるいは当時は生活費に困っていて、安価なパンばかり齧っていたせいか、生パスタを食べていなかったのかもしれません。大衆レストランに入るのにも財布の中身を確かめなければならなかった時代でした。最近になって知り合いの若い子がイタリア旅行から帰ってきて、生パスタが美味しかったというので、日本でもどこかで食べられないかと探していたところでした。家内と車で出かけた折、生パスタの看板を出している店を見つけ、さっそく入ってみました。モチモチ感があり、また腰の強いパスタは美味しいと感じました。日本の蕎麦は生麺があたりまえなので、生パスタは差し詰めイタリア版手打ち蕎麦といった感覚でしょうか。自分は蕎麦が好物なので自ら手打ちをやってみたいと思っていますが、イタリア料理が好きな家内はどう思っているのでしょうか。今は時間的余裕なんてありませんが、自分は料理もアートのひとつと思っているので、材料や味付け、器に至るまで凝ってみたい願望はあるのです。
2013.03.17 Sunday
今日は朝8時から夕方6時まで工房にいました。「発掘~地殻~」の木彫が佳境を迎えています。昨日の続きで、荒彫りの終わった箇所に仕上げ彫りをやっています。彫り跡を残したまま波打つ抽象形態に対し、細かな角度をつけながら彫り進んでいます。ようやく楽しい作業になりました。既に出来上がっている陶彫部品とのバランスを考えながら、また最初のイメージを振り返りながら、カーヴィングをしていきます。木彫した箇所のところどころに丸みが出てくると、単純な作業から創造的な制作へ気持ちが移ってきます。逸る気持ちもあるのですが、木彫は音が出て近所迷惑も考えられるので、6時には作業を止めました。ずっとやっていたい気持ちですが、こればかりは仕方ありません。水曜日は職場が休みなので、ここでまた仕上げ彫りを続行したいと思います。
2013.03.16 Saturday
「発掘~地殻~」は6点のレリーフを屏風として展示する予定で、それぞれ壁面には陶彫と木彫を組み合わせて凹凸による空間を作ります。陶彫部品は全て出来上がりました。陶彫を囲むように木彫を配置していて、その木彫では6点レリーフのうち3点の荒彫りが出来ています。残り3点も大まかな面取りはしてありますが、木彫の段階には達していない現状です。鋸で角度をつけて切断しているだけなので全体の雰囲気はまだ感じられません。今日は残りの荒彫りと併行して荒彫りの終わっているレリーフの仕上げ彫りをやってみました。木彫を1点仕上げて、そこに陶彫を組み込んでみないと、イメージの確認が出来ないと思ったからです。仕上げ彫りもなかなか時間がかかります。今日は1点の完成も出来ず、ほんの僅かな部分を仕上げただけに過ぎませんでしたが、それでも雰囲気は伝わってきました。最初のイメージに近いものを感じたので、これでいこうと思います。荒彫りも仕上げ彫りも時間がかかるので、撮影までの残り時間を計算しながら作業を進めます。今日は制作工程上の迷いが吹っ切れたので精神的には満足しました。明日も当然続行です。
2013.03.15 Friday
昨日、NOTE(ブログ)で自然の流れに逆らわずに生きることを自分の信条にしていると書きました。自分の周囲の人々の状況を鑑みて、無理が祟って不幸を招く結果があるから、そうした考えが頭を過っているのです。自然に生きることは何か根拠があるわけではなく、それは自分の身の丈を知ることだと理解しています。自分はどの程度の人間なのか、それを推し量る身の丈は、将来に向けた願望や努力によって変化し、自分次第で度量は大きくなるものと信じています。人生経験や社会的な立場によって、若い頃に出来なかったことが出来るようになるという経験が自分にも多少なりあります。自分もようやく年相応になってきたことを自覚したこともあります。20代で海外留学を決めた時、所帯をもった時、30代で就職を決めた時、自宅を建てた時、40代で個展が決まった時、50代で管理職になった時、自分の工房を建てた時…。そうしたいくつかのターニングポイントに差し掛かる度に、自然の流れに合っているかどうか、自分の身の丈に合っているかどうかを常に確かめてきました。決して今の状態に満足しているわけではなく、ただ背伸びをしないで、自分の夢に向かって努力を積み重ねていこうとしているのです。月並みですが努力は報われるというコトバを信じていて、今日より明日、さらにその先の未来へ向けてポジティブでありたいと願っています。
2013.03.14 Thursday
いつの頃からか自分の信条としていることがあります。「死生は命なり」という論語がありますが、それに近いものです。ただ天の与える寿命と言っても、自分は長く生きて芸術家生活を謳歌したいと望んでいて、そのために常日頃から心に固く信じていることがあるのです。自分の周囲には羨むような存在がいて、若い頃から夢を実現していく運と実力を備えている人物がいました。過去形で語る理由は、その人物は幸せの絶頂と思えた時期に不慮の事故に遭い、帰らぬ人となったからです。かつての職場にも力量のある人が、その力量ゆえに無理して身体に負担をかけて入院する事態になったことがあります。別の人は、ひょんなことから財力を手にして身辺の幅を広げ、逆に大切な人を失いました。これはどうしたものだろうと思っていて、人は何か自然ではない動きをすると無理が祟るのではないかと自分は感じるようになりました。これは根拠のある考えではなく、もちろん宗教でもないのですが、自分は現在自身がしていることが自然の流れに逆らわずにいるのかどうかを常に考えるようになりました。親しい友人にこんな話をして失笑されたこともありましたが、自然の流れをいつも意識している自分がいます。無理せず、自分に見合った生活環境であるのかどうか、分相応なことをしているかどうか、常に自分自身に問いかけをしているのです。