Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 管理職仲間と浅草散策
    昨日の勤務時間終了時から管理職仲間5人で東京に出かけ、親睦を深めながら浅草で一泊しました。昨晩は浅草寺の周辺を散策し、予約してあった料亭で舌鼓を打ち、東京スカイツリーのライトアップを堪能しました。今日は寒い強風の中を歩き回り、やはり美味しい昼食をいただいて帰ってきました。5人とも職場はバラバラですが、思いや悩みは一緒で、そうしたことを分かち合える幸せをかみ締めました。慰安旅行というような大げさなものではなく、ちょこっと散策といったものでしたが、気持ちは充分に発散できました。1年1回のことで、お互い腹を割って話し合い、助け合える関係作りがいいと思っています。 
    「ゲーテの美術論集成」を読み始める
    ドイツの文豪ゲーテは美術にも造詣が深かったことは私も知っていました。たまたま書店で「ゲーテ美術論集成」(J・W・フォン・ゲーテ著 高木昌史編訳 青土社)があったので購入しました。翻訳に加えて解説があるので、それを手掛かりにゲーテの美術論を紐解きたいと考えました。美術評論には客観的分析や考察はもとより詩魂も重要な要素で、詩人の中に美術評論を手掛ける人が多いのは、偶然ではないような気がしています。美術を論じるためには数値や論理で割り切れないものが多く、詩人としての資質が問われるようなところがあると思います。そういう意味ではゲーテの美術論は必読かなぁと思っています。じっくり深読みしながらゲーテの文豪たる所以を味わいたいと思います。それに伴いゲーテが論考している北方ルネサンスの画家について、さらに自分でも学んでいきたいと思っています。ミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークは自分がヨーロッパに行った時、最初に訪れた美術館でした。中世の絵画の質量に圧倒されて頭が混乱してしまったのを覚えています。願わくばもう一度出かけ、ゆっくり時間をかけて個々の画家について鑑賞したいと思っています。ゲーテや他の評論家による美術論を手掛かりとして…。
    工房にプロパンガス搬入
    相原工房を建てた時に蛇口から湯が出るようにプロパンガスの設置をしていましたが、実際にプロパンガスの契約はしないで今までやってきました。ウィークディの夜の制作で手が悴むことが多く、先日業者と契約をして新しいプロパンガスを置いてもらいました。このところ夜の制作を続けていて、蛇口から湯が出ることで寒さから手が守られています。ストーブで手を暖めるより、湯で手を温める方が快適です。夜はほとんど手の感覚がなくなってしまうことが多く、足湯ならぬ手湯で回復を図りながら作業を続けています。工房は農業用倉庫として建てたものなので住居としては厳しい環境と言わざるを得ません。外から打ち付けた壁だけで断熱材も内装もありません。家庭用の大きめのストーブだけでは周辺しか暖かくならず、それでも首都圏に工房が持てる幸運を感じています。自宅では蛇口から湯が出るのが当たり前の生活になっていますが、工房では改めてその便利さに感謝しています。
    「マチスの肖像」の読後感
    「マチスの肖像」(ハイデン・ヘラー著 天野知香訳 青土社)を読み終えました。マチスは画集「ジャズ」やヴァンス礼拝堂という晩年の作品が自分にとって印象的な画家ですが、生い立ちから修行時代、不遇な時代を経て、ロシアやアメリカのコレクターに認められ、ピカソとともに20世紀を代表する巨匠に上り詰めるまでを本書は分かりやすく綴っています。マチスは色彩によって絵画の価値観を変え、構成も抽象化・平面化していきました。これは後に続く芸術家たちの非対象作品への道を切り開いたものであったように思います。マチスが愛したアラベスクは、自分も影響され、洋の東西を問わず世界各地の文様の素晴らしさに目を瞠るようになりました。マチスの洗練された線描も、自分が美しいと感じるデッサンのひとつとなっています。次にマチス自ら著した「画家のノート」がどこかの書店で見つかれば、これも読んでみたいと思っています。本書の最後に掲載されていたマチスの言葉で締めくくります。「私は忍耐強く木のマッスが、それから木そのものが、幹、枝、葉…がどのようにできているかをつかみ取らなければならない。木と一体化した後、私は木に似た対象を創造しなければならない。つまり木の記号を。」
    形態のピカソと色彩のマチス
    現在読んでいる「マチスの肖像」(ハイデン・ヘラー著 天野知香訳 青土社)の中でピカソとマチスのライバル関係が浮き彫りになっています。自分の鑑賞遍歴から言えば、ピカソは自分にとって解りやすい巨匠で、青の時代からキュビスムを経て晩年に至る作品の数々に、自分は高校時代から刺激を受けてきました。自分がアカデミックなデッサンを学んでいる頃は、「青の時代」の痩せこけた人物に惹かれ、自分が抽象衝動に駆られた頃は、その後のピカソの作品に惹かれました。まさに形態を追求したピカソは自分の興味関心を寄せるに充分な巨匠だったと言えます。マチスは色彩によって世界を創りあげようとした巨匠で、ピカソに比べて平穏な画面構成が多く、若い頃の自分には理解できませんでした。マチス晩年の色面による平面的な作風に感動を覚えたのは、ずっと後のことで、マチスの作品が南国の太陽のように輝きだし、その斬新な構成に心が囚われてしまったのでした。とくにマチスのアラベスクから自分のレリーフ模様は生れたと言っても過言ではありません。形態のピカソと色彩のマチス。いずれ劣らぬ20世紀の巨匠で、今でも親しみつつ刺激をもらっています。