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  • 三連休最終日 制作振り返り
    今日で三連休が終わりました。陶彫追加制作と木彫荒彫りに明け暮れた三連休でした。陶彫の追加分の方は何とかなりそうです。木彫の方はコツコツやっているにも関わらず、思ったより進まない状況です。昨年のように厚板に彫り込みを入れているのではなく、今年は木材の塊を彫っているので、思い通りにならないのはあたりまえと思うようになりました。イメージが先行していて鑿による彫りがついていかないもどかしさがあります。少しずつカタチが現れていますが、彫りを楽しむところまで到達できていません。カタチの各面が決まってくると面白くなってくるのですが、そこまでの表現に辿りついていないのです。木彫ではなく木材のままの状態では未だ全体構成の苦しさから脱却していないと言えます。今月いっぱいで何とかなるでしょうか。イメージが見えているので、後は作業あるのみです。また来週末に頑張ろうと思います。
    三連休 陶彫追加&木彫荒彫り
    三連休の中日です。朝から工房に行って制作三昧です。午前中は陶彫追加制作で成形をやっていました。陶土をドベで接着したり彫りこんだりしてカタチを整えていました。典型的なモデリングです。通常の彫塑と異なるのはカタチの内側ががらんどうで、乾燥や焼成に耐えるようにしてあるのです。追加制作を決めてから工程にない仕事が増え、いまだに成形が終わりません。明日も陶彫に多少は関わっていくことになりそうです。午後は木彫の荒彫り作業の続きで、これは典型的なカーヴィングです。鑿で木材を彫りこんでいきます。午前と午後は技法的には正反対のことをしています。さらに今後は絵画的要素も盛り込んでいくつもりです。大地に鼓動する命を表現するために何でも利用する気構えでいるのです。夕方遅くまで作業をして、そろそろ電動工具の音が近所迷惑になるかなぁと思って、今日は工房を後にしました。明日も朝から工房に行きます。
    三連休初日 後輩たちのグループ展
    今日は朝から工房で制作をしていて、午後は横浜市民ギャラリーで開催されているグループ展に後輩たちが出品をしているので見てきました。自分も以前はこのグループ展に出していました。仕事が多忙化するにつれてグループ展から離れてしまいましたが、当時一緒にやっていた仲間たちの成果を見て、自分の制作を振り返る機会にしています。とりわけ後輩にあたる2人の作家に注目していて、彼らの作品があるからこそ同展に出かけたと言っても過言ではありません。一人は彫刻家で二科展に出品しています。畝って広がる有機的な形態を木彫で表現しています。花弁のような開口部から現われるモノに命の息吹を感じさせてくれます。もう一人は画家で太陽美術展に出品しています。西欧の日常風景を丹念に写実する画風で、抑えた色調が醸し出す何気ない一瞬を捉えています。こうした若手作家のおかげで自分も活力をもらえると思っています。関内にある横浜市民ギャラリーは今年3月をもって閉館になりますが、若い頃から自分の作品を育ててくれた空間がなくなる一抹の寂しさを抱きながら、市民ギャラリーを後にしました。
    キュビスムと葛藤するマチス
    「マチスの肖像」(ハイデン・ヘラー著 天野知香訳 青土社)を通勤途中に読んでいます。マチスが生きた時代に美術界を席巻したキュビスムに対して、マチスが自己芸術観と相容れないキュビスムと葛藤している様子が窺える箇所があります。「キュビスムが勝利を収めた時期は私にとって困難な転機だった…私はキュビスムという他の人たちが行っていた実験に加わらないほとんど唯一の人間だった。それは、ますます追隋者を増やしてゆき、これまで以上に評判を高めていた方向へ参加しない、ということを意味したのである…私は、実験、解放、色彩、力としての、光としての色彩の問題、といった自分の探求に閉じこもり、守りを固めていた。もちろんキュビスムに関心はもっていた。しかしそれは生命をはらむ線やアラベスクを大いに愛する私の深い感性には訴えかけなかったのである…私にとってキュビスムへ向かうことは私の芸術信条に反することとなったろう。」マチスが語ったコトバには時代の流れに惑わされない強い意志が感じられます。マチスは時代を変えるような大きな運動の中心にはならなかったし、また自身も芸術運動の牽引者とはなりませんでした。でも、マチスは絵画上の偉大な足跡を残しています。意志を貫く姿勢を感じさせる一文だと思いました。
    詩の朗読CDを聴く
    詩人の庄司利音さんから自作の詩を朗読したCDを借りてきました。これはライブを録音したもので、拍手の音も混じっていて、その場の雰囲気が伝わって快い気持ちになりました。劇伴音楽ならぬ詩伴音楽と言うべきギターの演奏が流れていました。これは奏者が作曲したもので、朗読より前に出ることがなく、詩の内容をさらに深く豊かに彩り、時に無音、時に情感が溢れて雄弁な楽想を感じることができます。利音さんは語りに抑揚があり、艶やかな響きとコトバの切り口に常々魅了されています。利音さんにお会いした時もその場で詩を朗読してくださいました。この人は声優にもなれそうだと思えましたが、自作だからこそ生きる語りなのかもしれません。コトバの威力を縦横無尽な表現をもって発揮する詩と音楽に、自分は憧れさえ抱くのです。