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  • 休んでばかりいた日々
    家内との会話の中で、自分が10代の頃にズル休みしたことを思い出しました。高校生だった自分は嘘の体調不良を訴えて、自宅で寝て過ごしていました。窓から空を眺めていて流れる雲をいつまでも目で追いかけていました。なんとなく罪の意識がありましたが、ずっと空を登っていく自分をイメージしていました。そんな光景が浮かぶ谷川俊太郎の詩があります。こんな気持ちのいい状態をコトバに出来るなんていいなぁと感じていました。また別の日にズル休みをしていて、春の暖かい日差しの中で、自宅の前に広がる田んぼを眺めていました。田んぼの蛙が泥の上を跳ねるのを見て、蛙になったら窮屈な思いをしなくていいのにと思ったりしました。これは草野心平の詩が頭にあったのでした。当時はズル休み=心の開放=詩作への憧れといった図式があったように思います。二束の草鞋生活で暇のない生活をしている現在では、詩作など到底無理な環境にあります。何にもせず気苦労もなく心配事もない生活になれば、周囲の情景に心が動かされていくのでしょうが、そんな生活が果たしてやってくるのか今の状況では考えられません。休んでばかりいた日々。今でいう心の病から発する不登校ではなく、たまに学校をサボる程度の緩い日常。周囲にバレることもなかった時間と時間の狭間。でもサボりを今でも覚えているのは不思議です。頑張ったことなど忘れているのに…。
    イメージ源泉の蓄積
    昨日のNOTE(ブログ)に西欧の古都に思いを馳せる文章をアップしました。公務員と彫刻家の二束の草鞋生活を定年まで送ろうとしている今の自分にとって憧れは募るばかりです。しかしながら実際にヨーロッパに旅立ってしまうと、そこで気持ちが入り込んでしまい、現在の仕事に戻れなくなるかもしれないと思っています。ヨーロッパ以外なら単純に旅行として扱える気分はあります。ヨーロッパは自分が20代後半を過ごした場所であり、そこで美術的なイメージを培い、感覚を磨いてきたところです。テレビのBS番組で流れるヨーロッパの古都を見ていると、そこの空気や匂いまで甦ってきます。街の人々は微笑を浮かべて日本人を接待してくれましたが、一方で頑固なご老体からあれこれ注意を受けたこともありました。理屈を押し通されて理不尽な目にも会いました。それでも長い歴史の中で保ってきた街の情緒は、どこまでも魅力的です。もう一度、イメージの源泉にあふれた場所に出向いて、自分の心の貯蔵庫にカタチの蓄積をしたいと願っています。今の立場から開放された時に必ず再訪の機会を持つつもりです。
    西欧の古都に思いを馳せる
    最近テレビのBS番組で、海外の街の様子を紹介する番組が数多くあります。自分も1980年から85年までの5年間をドイツ・オーストリアで過ごしているので、西欧の古都には特別な思いがあります。煉瓦や石で構築された街は、狭い路地裏にも情緒があって散策が楽しかったことを思い出します。この頃は現在と違って時間が沢山ありました。毎日夕方になると市街を歩いていました。自分が最初に住んだドイツ・バイエルン地方の小さな街は、山々が連なり、湖があって絵本の世界のような美しさでした。山荘風の家々のベランダには色とりどりの花があって緑があふれていました。次に長く住んだオーストリアの首都ウィーンは、ハプスブルグ家の帝国時代の遺産に囲まれた古都でした。旧市街を散歩していると鍛冶屋の様子がウィンドゥ越しに見えて、自分はいつも散策の途中に立ち寄っていました。同時にオットー・ワーグナーの20世紀初頭に作られた華麗でモダンな建物にも注目していました。自分が学生として登録していたウィーン美術アカデミーは環状道路沿いにある装飾のついた古い建物でした。アカデミーの石造りの廊下にはカマボコ型の大きな窓があり、制作の場になっているマイスタークラスには重い木製の扉を開けて入っていきました。自分の生育とは異質な文化を噛み締めながら、そこで毎日を過ごしていました。近い将来、再び西欧に行って古都を散策したい願いがあります。テレビを見ていると、今度は南欧のイタリアやスペインに行きたいと思います。彼の地の美術学校はどんな学生が学んでいるのか、興味が尽きないところです。
    描写に飢える
    幾何抽象的な作品ばかりやっていると、具象的な傾向に引き戻されていきます。これは10代の最後になって美術家を志すために精一杯やっていたデッサンの影響です。ギリシャ彫刻の模造である石膏像や静物を木炭や鉛筆で描いていました。その狭い世界の中で紆余曲折して10代から20代初めまで過ごしていました。彫塑も同じです。紙が空間に代わり、鉛筆が粘土に代わっただけで、デッサンの勉強には変わりはありませんでした。巧く描ける友人を羨んだり、蔑んだりしながら自分自身を見つめる時間を持ちました。良くも悪くも人生の過敏な時期に、自己表現の術の何たるかを考えていたことは、その後の人生に何らかの影響が出ると思っています。最近、描写がしたいと思うようになりました。こうした願望が出るのは、自分がずっと美術の世界の中に浸っていた証であると思います。今の自分にはRECORDという小さな創作活動があって、幸い描写を試みる機会があります。鉛筆ではなく描き損じが出来ないペンを使って、描写の欲望を満たしています。造形的な計画の具現化ではなく、こうした欲望もあって、それらを全て含んだものが創作行為なのだと思います。描写に飢えるのは自分にとって幸せなことで、これが続く限り創作活動は大丈夫と自負しています。
    気持ちの切り替え
    横浜市公務員として20年以上勤めてきました。彫刻を作り続けて30年余り、修行時代も含めれば制作歴はさらに長くなります。自分は公務員と彫刻家の二束の草鞋でずっとやってきたことはNOTE(ブログ)に度々書いてきました。工房に出入りしている若い世代のスタッフの中にも、二束の草鞋で画業を続けようとしている子もいます。二束の草鞋には気持ちの切り替えが必要で、自分にはそのキャリアがあります。それでも新作が佳境に入る時期の気持ちの切り替えは苦しいものがあります。たかだか週末2日間の制作ですが、気持ちが入り込み過ぎて、ウィークディの仕事になかなか戻ってこれない時があります。2日間は造形感覚をギリギリまで働かせ、手許の制作状況に埋没しています。そうなると今日のような週初めは頭がボーとしています。月曜日は毎回どうしようもなく疲れているのです。ただ、ウィークディは逆に造形感覚や作業を休むので、週末に向かって徐々に元気を取り戻します。でも昼間の仕事で神経を使うので、別の部分が疲れ始めるように感じます。気持ちの切り替えは習慣として身についたものですが、案外このバランスがいいのかなぁと考えることがあります。定年までこれでいくしかありません。濃密なスケジュールだと頭で認識していますが、実際は慣れもあってそれほどキツさを感じない日常です。